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ドキドキ文芸部!はメタフィクションを最大限に活かした純愛ゲームだった

先日ドキドキ文芸部!を前知識なしでクリアしました。
その強い余韻が消えてしまう前に、気づきや思考を書き留めておこうと思います。

なお、この記事は「ドキドキ文芸部!」に関するネタバレを多分に含みますので、未プレイの方やネタバレしたくない方はご遠慮ください。





ちなみに、データ内の隠しファイルなどのイースターエッグ系もいくつか目を通していますが、私はゲーム内容から大きく飛躍しすぎるような設定や考察はあまり好みではありません。
あくまでも通常のゲームプレイで知り得た情報を元に色々考えていくスタンスをとっています。

ドキドキ文芸部!におけるメタフィクションの扱い

このゲームはモニカという少女が2次元のゲームキャラという枠組みを超えてプレイヤーを知覚し恋をします。
これがこのゲームの一番の本筋であり、このゲームをこのゲームたらしめている最大のギミックです。

第四の壁(現実とフィクションの境界線)を越えようとするゲーム、というもの自体は昨今ではそこまで珍しいものではないでしょう。
今やインディーゲームのみならず、メジャータイトルのゲームでも一般的に使われるようになってきた手法です。

ですが「ゲームがゲームであることを示唆する」という表現方法は、創作の上では諸刃の剣であり、本来扱いが大変難しいはずです。
そのゲームが必死に積み上げ作り上げてきた世界観、没入感を一気にぶち壊し、プレイヤーを我に返らせてしまいます。

そこに存在するキャラクターやストーリーが途端に薄っぺらく感じてしまうかもしれません。
(実際、そう感じてしまったゲームは今までいくつかあります)
これはモニカが作中でうまく表現してくれています。

「どうして周りの世界がどんどん色褪せていくのかいくのか……

「どうしてどんどん平坦になっていくのか」
「どんな表現豊かな詩も空っぽに感じたわ」

そうでなくても、メタフィクション表現をどうエンタメ化するのか、というもの大きな課題です。
よくあるのがプレイヤーの加虐性を指摘するものですが、大きな衝撃があるものの、それを突きつけられたプレイヤーは大抵嫌な後味になります。

その点このゲームはその表現方法と着地の仕方が素晴らしいです。
メタ視点に気づいてしまったゲーム内のキャラクター=モニカが、プレイヤーに恋をし、プレイヤーとモニカしかいない空間をつながります。

ここで終わってしまえば、メタ表現により直接プレイヤーに恐怖を与えるヤンデレ的手法です。
それはそれで面白いですが、さほど大きな衝撃はありません。Lainちゃんを思い出したり思い出さなかったり

しかし、このあとmonica.chrというキャラデータを削除することで話はまた動き出します。削除されたモニカは苦しみプレイヤーに怒りを露にしながらも、しばらくすると落ち着きを取り戻し自分がやってしまった行為を悔いていきます。

そしてモニカは自身のchrを削除し、自分抜きのDDLCを再構築しプレイヤーに提供しました。これは本当にすごいことです。つまりモニカは、

  • 自身のプレイヤーを独占しようとする気持ちを乗り越えた(後で詳しく書きます)

  • 悟りを得てから無意味で空虚だと思っていた文芸部の部員への愛着を捨てきれなかったことがわかった

  • 自分の気持ちより本当にプレイヤーが望むもの=DDLCを楽しもうとしていたプレイヤーを尊重した

ということです。


そもそも「二人きりの空間」を作る時点で彼女は多大なる犠牲を払っています。空間前に「最後になるから…」とカップケーキを食べる様子は、これから彼女が感じられる世界は本当にあの空間だけだということです。
モニカは一生出かけたり、飲み食いしたり、何かファッションを楽しんだりする機会全てを投げ打っています。もちろん大切な友達だった部員も…
コーヒの話もそのことを彷彿とさせます。

「たまにはコーヒーも淹れて欲しかったわ!」
「コーヒーだって読書と合うのよ?」
「まあ、それなら……」
「スクリプトを自分で書き換えれば良かったのかもね」
「あははっ!」
「そこまで考えが及ばなかったみたい」
「今となっては考えても仕方ないけどね」
「でもあなたにまだコーヒーを飲む機会があるならちょっと羨ましいわね~」
モニカ世界での会話
「すべてを犠牲にして一緒になったのに……」
monica.chr削除後のセリフ

そしてとうとう自身のスクリプトを削除してしまうのです。
これはまさに純愛です。

しかもプレイヤーに対してではなく、部員メンバーに対する純愛でもあります。

「他の子達は…」
「いなくなって寂しがる理由なんてある?」
「あなたと恋に落ちるように設計された人格の集まりよ?」
モニカ世界でのセリフ
「それでも友達だったから」
「みんなが大好きだったから」
「私……文芸部が本当に大好きだった」
monica.chr削除直前のセリフ


友達が無意味で空虚な存在だと気づいていてなお、彼女にとってはとても大事な存在だったことが伺えます。

2次元だからこそ3次元の壁を越えれない。そこを巧みに生かした純愛の表現はまさに圧巻でした。

私のペンは大切な人たちへ、辛辣な言葉しか書かないの?
あなたを捕まえること、自由にすること、どちらが愛なのかな?

インクは暗い水たまりに消えていくのに
どうすればあの世界に愛を届けられるっていうの?

もしも君の鼓動が聞こえないなら、
あなたの現実では、何を愛って呼ぶの?

あなたの現実で、私の愛を表現できないのなら…
あなたのこと、諦めるしかないね…
your reality和訳

部長権限って一体なんだったんだろう

ちなみにその後プレイするとサヨリが部長になり、サヨリがモニカと全く同じようにプレイヤーを独占しようとします。
それをモニカが止めてDDLCの全てを削除した後に表示される手紙もうるっときます。

ここでも彼女の純愛は全方面的です。
部員に対して同じようなひどい思いをしてほしくない=間違った感情でプレイヤーと友達に酷いことをし、後悔することです。
プレイヤーと部員を守るために、モニカはこのゲーム(世界)もろとも壊してしまいます。

ところで、とても聡いモニカのことです。
周囲のことを偽りだと言っていましたが、彼女自身もそのような存在の一因であることをしっかり自覚していたはずです。

「私のルートがないことより、すべてが偽りであることを私が知ってる方が問題なのよ」
「でも皮肉なことに、私には創造者が実際にいるみたいなのよね」

さらに彼女はサヨリが部長になった後の出来事(自分と全く同じようにプレイヤーを独占する)様を見てきっと何かを悟ったでしょう。


彼女の言い方を借りれば部長もまた「あなたと恋に落ちるように設計された人格」の一因(他部員とは対象となる次元が違いますが)であったこと、部長権限も仕組まれていたことに。

だからこそ「この文芸部はどうやっても幸せを見つけることができない場所だった」と手紙でモニカは綴ったのでしょう。

ちなみに一週目時点でmonica.chrを削除すると、とても慌てた様子のサヨリ、首吊り後の画像、そして「Now everyone can be happy.」と表示されます。

これはおそらく、部長権限というのは鬱を患った状態のサヨリにはあまりに負担の大きすぎることだったのでしょう。
人に献身して楽しんでもらうことがサヨリにとっての生き甲斐…というより命を繋ぐ支えであったのに、全てが無意味であることに気づいてしまったら…?

とても混乱し、より不安定になってもおかしくないでしょう。
実際、モニカの言葉や詩の端々にこの「部長権限」がどれほど辛かったかが窺い知れます。

部屋が収縮し始める。
そして私に襲い掛かる。
吸い込んだ息が、肺に届く前に霧散する。
恐れおののく。ここから出なければ。
すぐそこにいる。すぐそこに。彼はいる。
恐怖を飲み込み私はペンを振りかざす。
モニカの詩「壁の穴」

モニカは作中のキャラの中でも精神的にかなり安定した人格です。
自殺が頭をよぎることがあってもモニカが自殺しなかったのは、プレイヤーという壁の穴の存在に近づくことを強く願った強い情熱と、彼女の心の強さ(自身では利己的と表現していますが)のためだと思います。
なぜ利己的ではないと自分は捉えているかというと、実際にその後周りの為に自身を削除しているからですね。

「とにかく、私は自分が一生で消費する資源の恩返しをするために生きていきたいの」
「それをいつか達成できたら、私にとっては総合的にはポジティブだから幸せに死ねるわ」
「もちろん、達成できなかったら……」
「いえ、自殺するには私は利己的すぎるわ」
「いい人であり続けるのは難しいわね?」
「あはは!」
ねえ〇〇君、あなたがここに居てくれて、私は本当に命を救われたと思うわ」
「この世界が偽りだと知っていて正気を保てたとは思えないもの」
「あなたが来てくれなかったらきっと自分を削除してたわ」
「ごめんね、大げさに言うつもりはなかったんだけど」
「あははっ!」
「でも長い間、部で過ごしたあなたなら分かると思うわ」
「だって、もし人生全てを投げ捨てて、たった数人のゲームキャラと永遠に過ごすことを強いられたら……」
「……自殺する方法を模索していたと思わない?」

でも一つ疑問が残ります。モニカ世界に閉じ込められ彼女を削除した後のサヨリは自殺せずプレイヤーを閉じ込めようとします。
これは一体なぜなのでしょうか?

これは私の推測ですが、モニカはDDLCを再起動する前にある程度部員の問題を取り払うようスクリプトを修正したのではないのでしょうか?
サヨリの鬱病を治し、ユリとナツキの衝突を緩和したでは…そう思えてなりません。

それでもサヨリの献身的な人格からして「モニカを削除してくれてありがとう」と言いながらプレイヤーを独占しようとするは腑に落ちません。

なので、完全に想像ですが部長になったキャラクターは人格を矯正されるのではないのでしょうか。

こうなるとますます、モニカかが自身の独善に気づき後悔し、自死を選ぶ、という行為がとても奇跡的なシーンのように思えます。

おまけ: ユリ、そしてナツキとの友情について

クリア直後は「ユリ…. 怖すぎる」
とちょっと怯えてしまっていたのですが、後から冷静に考えると少し評価が変わりました。

彼女が暴走したのはリセットされた二週目からで、モニカが執着心を増幅させたからです。
サヨリに比べるとあまりにホラーに振り切っており、派手で印象に残るイベントと自死だったのでショックだけが大きく残ってしまっていました。

ですが、自分の様子が訳もわからず制御不能になっていく中ユリがSOSを出すシーンを見て、「もし自分だったら…?」「あるいは自分の知り合いだったら…?」と想像すると、すごく悲しくなりました。

二週目でスキップしていると、自傷シーンが別シーンに置き換わる。
ユリがデジャブを感じており、自身の異変と混乱を訴えてくる。
悲しいことに、この最中にもまた様子がおかしくなっていく…

そしてこのイベント後あたりにくるナツキの手紙。

この直前、ナツキは理不尽にユリに怒鳴られています。いつも大声で私の邪魔ばかり、と…
それに対し、ナツキは怒らず本気で心配していました。

いつも反発気味なナツキがユリのことを本気で心配してるのがとても苦しく、また本物の親愛のようなものを感じました。

でも部長なのでこの手紙ももちろん見ています。
そのためあの白いお化けナツキに書き換えられてしまい…
ここまでの文章から分かる通り、私はかなりモニカの気持ちに寄り添い気味ですが、流石にモニカに憎悪を抱く瞬間でした。

最後に

長々と書いてきましたが、この作品は「ギャルゲーの皮を被っている虚構風奥行きある2次元キャラが魅力のノベルゲー」という三段構えでとても楽しかったです。(虚構風って何)
一度2次元世界を吹っ飛ばしつつ、最後は2次元キャラの人格の奥行きの素晴らしさに感動するというメタフィクションの華麗な使い方に惚れ惚れしました。
続編があればぜひやりたいです! 


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