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一人箱根駅伝復路

何をしでかしたか

芦ノ湖から大手町まで、箱根駅伝復路をオジサンが一人で走ってみた。元日に。懲りずに。

しでかした結果

大凡走しながら14時間43分かけて走破。最後はバッテリー切れのアシモ。

車でも嫌な距離

なぜ…

去年のカルマに囚われた結果です。往路一人で走ったんだから復路という、素朴過ぎる拷問

準備

去年は往路一人でオジサン寂しかったので、11月頭より生贄友人を誘い始める。

「突然ですが12/26-28あたりの予定ってどんな感じですか、27日夜からオーバーナイト出発がいいですね、そうしましょう、決定

話を聞かないオジサンの悪い癖が出ました

生贄お友達を何名か乱獲した後は、11月中旬は世田谷ハーフマラソンで78分台を出し、続く上尾でも82分台とまずまずのタイムでオジサン気を良くする。

ただここ辺りから体調がおかしく、咳が止まらないまま12月前半にNYへ出張へ行き、向こうでも咳が止まらないのに毎日走り続け、帰国後気管支炎と診断され12/22頃までゴホゴホ苦しむオジサン。
元々12/27-28で予定していたプランに黄色信号が灯りオジサン超慌てる。

その後12/23に回復し、ジョグで繋ぎ何とか行けるかなと思っていた矢先、子供がインフルになり万事休す。12/31まで自宅待機を余儀なくされる。

結果的に生贄となってしまった友人達は、当日40kmやら70kmやら走られており、申し訳ない気持ちでいっぱいにオジサンなっていました。

新しい嵌め込みの形です。

とは言いつつも、これだけ大風呂敷広げて全くやらないのはオジサンとしても歯痒い上に、数名年末に一人箱根駅伝されている方がちらほらいらっしゃり、やばい人いる…と思いながら密かに「オジサンモヤリタイ(・∀・)」という呪文が海馬を占領し、目が覚めた時には大晦日に正装を準備し始める始末。オジサンは成長をしない、判断力は一方的に劣化。歳をとるのは嫌ですね。

オジサンの正装

明けて2024年元日。子供を実家に朝8時ごろ預け、ちょっと箱根から走ってくると遺言を残し、オジサンそそくさと東海道線へ。
10:30には箱根湯本に着き、オジサン午前中に発走できるんじゃないかとウキウキしていました。その後の地獄を知る由もなく。

ユモティー前

が、10:35発の箱根町港行きのバスに長蛇の列が出来ていることを目視し、オジサンちょっとパニックに。

オジサン「これ乗れますか」
バススタッフ「いや知りません並んでください」
オジサン「走った方が早いですか
バススタッフ「」

そんな他愛もない会話をキャッキャと元旦から繰り広げながら、大人しくオジサン10:50のバスに乗車。何より元旦から交通網動かして頂いて本当に頭が上がりません。
乗車してからしばらくしてオジサン閃く、ああ、今日元旦だ、初詣だ、だから混んでるんだと。別に閃きでも何でもないんですが。

そして予想通り箱根神社前で大渋滞。大芝で降りれば良かった説があったものの、足を残したいオジサンは鉛のように固まって動かず。同じくバスも動かず。結局ここの渋滞を抜けるまで45分程、魂を飛ばしていました。

オジサン最前列でウキウキしてたのに渋滞

6区

元箱根港前の脇道を通過した後は、ホテル前バス停までかなりスムーズに到着し、無事箱根駅伝往路ゴール地点、すなわち復路スタート地点へ!
1年ぶりの「東京箱根間往復大学駅伝競走」の立て看板が!

いやぁああ全然やりたくないいぃぃ!!

パリピオジサン気合いを入れます!今回は初っ端から顎がしゃくれてやがる…

出走前にクエン酸補給をと思い、メダリストの500ml専用粉末をソフトフラスコに入れるところを焦って無事直接口に投入。絶好調に喉を刺激し、バフゥゥ!と奇声を発し、粉が鼻へ逆流してクァァッ!!と反り返り、一人で妙な準備運動を始める。2分ほどスタート地点でバフバフしてました。オジサン何やってんだろう。そんなこんなで12:11出走。

芦ノ湖で当初から10度近くあり、鳥居のある2km地点にも行くと既に額には汗がじんわりと。オジサンここでは汗かかない予定だったのにオジ汁出まくってきてもう温泉入りたいと思い始める。

去年と違いたくさんの観光客が、オジサンのファンかな

ジョグなのに、直射日光に晒され、更に上りなのでオジ汁の分泌が絶好調。オジ汁出過ぎて、5km地点の国道1号最高地点に到達した際には500ml分ソフトフラスコ終了していた。そもそも1本分しか入れてないのが間違い。

既に若干覇気が無いパリピオジサン

とは言いつつも下りに入り、去年はここ遭難しかけながらカチ歩きして登ったんだよなぁと感傷に浸りながら宮ノ下方面へ。
下りで大腿四頭筋にダメージが来ることは分かっていたので、摺り足で進む。ペースは5'30"/kmとか?正直今回の挑戦中はほぼ時計は見ず。

今年の宮ノ下は走れそうだとちょっと嬉しいオジサン

ユネッサンまで降りてきた所で、明日に迫った第100回箱根駅伝の日テレクルーさん達が、櫓の上でスタンバイ。

前後の選手との差が分かるポイント!あれ、オジサンの前にも後ろにも選手いないよ…

オジサンちょっとアピールして写してもらおっかな☆と思ったのですが、チキンハートなので断念。オジサン結構人見知り。

オジッサン

当初の計画では入ることは無いだろうと思っていた、昨年もお世話になったセブンイレブン箱根小涌谷店さんへ。オジ汁出まくってしまったので水分補給、トイレ休憩、そしてこの旅に欠かせない紀州南高梅おにぎりを捕獲。改めて元日から営業、大変助かります。

オジサンの99%は紀州南高梅で出来ています

大分息を吹き返したオジサンは大平台を越え、一気に湯本まで駆け下ります。駆け下りてはないか、摺り降りる。

直射が酷くてオジサンのロースト
ローストオジサン完成了!

湯本まで降りてくると観光客の方々も多く、賑わっていました。半袖の方々もいたぐらい暑く。オジサンきっちりローストされました。テカりがまぁオジサン。

そして、はて、あそこに見える看板は。

老眼+近眼でオジサンには何も見えない

見えた時には涙が出ました。

横浜60kmなんて涙でよく見えない

オジサン涙を堪えながら何とか鈴廣の敷地へ。6区、時計は見ていなかったけどおそらく2時間丁度ぐらいで走破。

ここから90kmって…とびびるオジサン

7区

直射日光は勢いそのままに、オジサンを焦がし続けながら7区スタート。去年4区を走った時に小刻みなアップダウンが多いことを感じたので、この区間も摺り足ベースで足に負担がないように進む。

30km手前、酒匂橋に到着した時にはいよいよテカリ具合がよろしく、顔の変形もよりオジサンみが出てきましてよろしい。

酒匂橋とオジサン
小田原市が長くて悶死するオジサン
二宮町に入った所ではもう大体終了しているオジサン

35km程度行った所で2度目の紀州南高梅投入。これ本当に効くので、こういうちょっと頭おかしいロング走やる方にはおすすめです。
飲み物については、ほぼ麦茶一択で進めました。

危うく紀州南高梅チンする所でした

7区は見どころが余り多くなかったので、日が暮れないうちに出来るだけ距離を稼ごうと前進。漸く日本橋まで70kmとなり、合計40km程度走破。

早くも目が終わってきました

そして大磯駅を抜け、回り込む形で平塚中継所、唐ヶ原へ!
サッポロの横断幕を横目に7区撃破!

これちょっと元気出たです。サッポロの広告泣けるよね
夕暮れの唐ヶ原、オジサンちょっと泣きそう
ペースはキロ6ぐらい

8区

平塚中継所を抜けた所で日没。そのため例年通りオジサンの魔法の光を発動。

オジビーム

個人的には箱根山中と、ここの湘南の海岸沿いが一番暗さを感じる。もしこの辺りを夜中に走る愚か者ランナーの方は、反射板とヘッドライトはマストだと思います。

湘南大橋渡った時はまだ午後6時ぐらいなのにこの暗さ

49km過ぎ、どうやらハンガーノックっぽい症状が出て足に力が入らなくなって来て3度目のコンビニ休憩。ここでは15分ほど長めに休みを取り、ストレッチを入念にして、そして低血糖状態を出来るだけ回復させてからの走り出し。
正直かなり悪い意味でびっくり。半分も行っていないのに体の急変を感じ始めてオジサンちょっと涙目。年取ると涙もろくなって嫌。

ブドウ糖は優秀

55km、浜須賀に着いた時にはいよいよ目が終わって来ました。今見るとただの不細工、当時はリタイアとの感情のせめぎ合いでした。

オジビームは元気

藤沢方面に入り始め、細かなアップダウンの途中の、おもっくそPoshなStarbucksを通過する際には不細工が際立ち始めました。

オジビームは元気

その直後の歩道橋でも無事不細工。

オジビームは元気

8区の鬼門はやはり遊行寺坂。60km程度進んだ足にはかなり厳しい傾斜で、この辺りからランでは無くなってきた記憶が。キロ7まで落ちてる。

写真では伝わりにくい傾斜

4度目のコンビニピットイン、ここでオジサンすごく涙目、紀州南高梅がない!取り急ぎ紅しゃけとブドウ糖で繋ぐ。

誰か他にも一人箱根駅伝やってるのか…?

仕方が無いので手持ちの梅を。

合法ドーピング

そして最後、鉛のような足を引き摺りながら何とか戸塚中継所への登りを撃破、これにて8区終了。

決して変顔をしているわけではなく、この辺りからリアルに呼吸困難
とは言えどもまだ平均キロ6ちょっと

9区

地獄を見始めたのはこのあたりから。戸塚中継所直後、不道坂方面に抜ける道でかなり下らされる故に大腿四頭筋がブチブチいってしまう。

まず直進が出来ないのでメンタルがやられる
不動坂に着いた頃には重傷

そして復路最後のアップダウンと言っても過言ではない権太坂。去年は楽々登って下っていた、あの権太坂に相当オジサンの筋細胞は持っていかれました。四頭筋を庇うように走っていたら今度はハムとヒラメ筋までぶちぶち

照らす方向はそちらではない
権太坂がはっきり見えるように傾くオジサン

5度目のコンビニピットインでまたもや紀州南高梅が見つからず、紅シャケとブドウ糖のセカンドベストコンビで繋ぐ。いよいよ横浜でリタイアか…と気持ちを固め始めてしまうオジサン。

ほぼ最後のコンビニかなーとか気持ち固めてたオジサン

そして78km、漸く横浜駅前へ!寒さも出てきて、そして終電で間に合う時間ということもあり、この前で2分ほどリタイアするかどうしようか悩みました。

すっぱし、という顔をしてますが、別に紀州南高梅を沢山食べたからではない

しかしながら、元々生贄と一緒に走る際に、このコンビニを中継地点にしており、それが見えたことで後30km頑張ってみるかと気持ちを固める。ここで帰らない=タクシーか、下手すると始発で帰ることを意味するので、本当に辛い決心。

今回の挑戦で一番葛藤した場所

その後鶴見中継所までは余り記憶が無い。ただひたすらに長いなと感じ、オジサンぶつぶつ喋りながらランとは言えない動きを続ける。気づいた時には日を超えていた。年明け恒例の徘徊老人

最後の中継所、オジサンからオジイサンへの襷はつながった
この区間3時間以上かかる異常事態
来年の年賀状

10区

この区間に笑いは無かった。寒さは時間を追うごとに厳しくなり、出発時に既にランのペースはいよいよキロ10まで落ちていた。
鶴見中継所を出発した時点では0:30頃、もし普通にキロ6で走れていれば2時間で終わって3時には家に帰れていたはず。しかし脳からの指令が届かない。
典型的な低血糖、脱水症状の始まりだった。

地獄の始まりに絶望

六郷橋までの3kmですら足が重く全く進まない。非情なことに幹線道路を跨ぐことが多く、歩道橋が増えてくる区間であるため、エレベーターがあるかどうかが生死を分ける。
更なる追い討ち、「休止」のエレベーターの表示を見た時に、あまりの絶望感でボタンを連打してしまった。正月の真夜中にエレベーターのボタンを連打する高橋名人徘徊老人。

オジサンの足を助けてくださいお願いしますお願いします

しかしその直後旧友から連絡があり、六郷橋に向かってくれると。1時を過ぎ、大田区の表示を見た先の欄干上で落ち合う。すぐさまOS-1とウイダーを差し出してくれた。異変を全て分かってくれていた。

長い長い92kmに渡る神奈川県が終了

ここから17kmが果てしなく長かった。もはや普通の歩行スピードすら出ない低血糖状態に陥っていた。
友人に数100メートルごとにOS-1とウイダーを貰い、股関節周りの筋の激痛を耐えながら蒲田を超え、新八ツ山を目指す。一歩一歩がただただ拷問。
加えて96km地点では自分自身の電池切れに加え、Garminが電池切れを起こす。ここまでやって来た記録が無くなる可能性があると思い、動かない体で何とかモバイルバッテリーに繋ぐ。10分ほどすると距離表示はそのままに画面が戻り一安心。心拍数は計測されなくなるが最早それどころでは無い。記録が無くなり来年やり直しだけは絶対に避けなければならないというオジサンの信念が勝った。

見慣れた品川、日本橋の表示だけは激写

身体的には新八ツ山前の登りが今回一番マズかったと思う。寒さによる全身の痙攣が酷く、低血糖で歩きなのに心拍数も体感的に170超えの苦しい感覚が続いた。目は瞑り、蛇行をしていたと後から聞いた。何とか紀州南高梅のチューブを捻り出してナトリウムとカリウムを取れていなかったら、OS-1を補給出来ていなかったらと思うと。新八ツ山の登りは1kmも無いのに、永遠に感じた時間だった。

新八ツ山を意地でクリア

3時過ぎ、やっとのことで品川に着き、ゴール地点にいてくれているメンバーにも連絡。ここに辿り着く間、さらに白湯をコンビニで調達してもらい、内臓を冷やさないように心がけた。

何とか意地で品川にいることを伝えるための写真

増上寺あたりに着いた時に、ホッカイロを持っていたことに気付き、背中と腹に貼る。これで寒さによる震えは止まり、栄養も少しずつ吸収が始まった感があった。ただ股関節、四頭筋、ヒラメ筋、ハムに加え、前脛骨筋、足底筋膜、アキレス腱に、着地のたびに刺すような痛みが。ただ無心で歩を進めるのみ。友人の声かけにとても救われた。前見ろ!足足足!と。ここで大八木総監督…痺れました。

結構幻想的な写真が取れてオジサンちょっとうれしむ

芝公園、御成門を過ぎ、日比谷を抜けた。遂に皇居が見え、馬場先門の手前で最後のブーストを投入。先日友人から頂いたGUのコーヒー味、カフェインで最後の一絞りを信じる。

オジサンの手にはもう力が無く、歯で開けるしかなかった

京橋、日本橋に進む時にはキロ20という悲惨なペースは変わらず。耐えに耐えて日本橋に着いた時には涙が堪えられず。それは別のオジ汁である。

手元が定まらない老人

最後に高架をくぐり、寺田交差点を抜ける。
もう箱根駅伝本戦のメディアの姿すら見える。

そして、読売新聞社前の銅像を横目に見つつ、夜中ずっと待ち続けてくれていたメンバーを見つけ、無事走破。14時間43分。レストも入れると18時間以上。リタイアや下手したら救急車コースだったところ、何とかゴールにたどり着くことが出来、また別のオジ汁が出ました。

知らなかったが、友人達はゴールテープを準備しておりずっと夜中待っていてくれたとのこと。本当に長時間待たせてしまい、また心配をかけてしまい、申し訳ないと頭を下げ続けることしか出来なかった。

14時間越えの大凡走

その後

到着はなんと箱根駅伝往路出走の1時間半前ということで、メディアや応援観客でごった返していました。
一人応援観客に、何やってるんですかと聞かれ、箱根から走ってきましたと答えたら、綺麗に無視して去っていかれました。それは正解の動きです。

今回の挑戦はかなり強行でした。自身も含め、家族の体調不良により12月後半からほぼ2週間に渡るノーラン状態、その直後に100km以上走ったらまぁこうなるよね、少し頭冷やせ💢と言われても仕方ないです。

正直今回の復路は一人で完走したとは到底言えず、友人皆様に多大な迷惑と心配を掛けてしまったと思います。
特に六郷橋から助けに来てくれた方と、ゴールで待ってくれた方々には頭が上がりません。

今回は気象条件も厳しかったかと。芦ノ湖出走時には8度あり、湯本に着いた際には14度ほど、加えて東に進むコースゆえに直射日光が首元に常に刺さる形になり急激に体力が奪われた格好に。
当然6区の山下りで800m以上大腿四頭筋に刺激を与え続けた事も合い重なり、圧倒的に往路に比べて辛い109kmでした。

正しかった点としては、暑いことは分かっていてもウインドシェル上下、ホッカイロを持参したこと。80km程度までは必要なかったものの、歩きになってからこの2点が無ければ都内で救急搬送だったのは想像に難く無いです。

靴に関しては悩みました。実は2週間前から新しいHOKAの靴を下ろそうと思っていたところで走りに出られない状態になり、ソールが全滅しているNike Pegasus Gore-Texを使うしかありませんでした。爪は全損しましたが共に累計2000km程度戦ってくれました。

相当量のオジ汁を吸収

そして例年通り小売、運輸業界の皆様には年末年始休まず営業して頂き感謝しても仕切れません。
例によってコンビニログ、以下の店舗で大変お世話になりました。

  • 10km セブンイレブン箱根小涌谷店

  • 35km ローソン西湘二宮店

  • 49km セブンイレブン茅ヶ崎サザンビーチ店

  • 59km セブンイレブン横浜東俣野町店

  • 70km デイリーヤマザキ戸塚上柏尾店

  • 76km ローソン西横浜駅前店

  • 83km セブンイレブン横浜子安通二丁目店

  • その他10区で4件ほど

麦茶、紀州南高梅、紅しゃけ、ウイダーパーティー

で?

苦しみながらもこれで一人箱根駅伝、往路と復路を達成ということになるので、来年以降、地獄のようなカルマに囚われる事もなく穏やかに過ごせることを願っています。
またこのアホなオジサンの記事が、今後の変な人達への道標となれば嬉しく思います。
来年はゆっくりとニューイヤー駅伝と箱根駅伝を観戦する、例年通りの一般のオジサンに戻ろうと思っています。



























誰だ上州路とか言ってるのは💢

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