盛岡駅ビルフェザンの思い出

フェザンとは、盛岡駅に隣接するファッションビルである。

もう10年以上前、大学生だった頃は電車ユーザーだった為毎日のように利用した。大体2階のショップで洋服を眺め、値段を見て諦め、無印良品で文具やお菓子を買い、さわや書店で本を眺め、マクドナルドやタリーズコーヒーで時間を潰した。

高校生の頃はデパ地下エリアにプリクラがあったし、大中みたいな雰囲気の雑貨屋さんもあった。もう15年以上前の話になってしまう。調べたら2005年にフェザンがパルモ(盛岡ステーションデパート)を吸収合併したとあり、パルモ!!パルモ・・・そう言えばあの空間はフェザンではなくパルモだった・・・と暫し感情がタイムスリップしてしまった。懐かしいしかない。

自由なお金の少ない大学生だった私は、普段はフェザン隣接のドンドンダウンオンウェンズデーか大通りのイタンジという古着屋で掘り出し物を見つけるのが喜びだった。古着の流行っている時代で、それはそれで楽しかった。

しかしフェザンのバーゲンの時期は限られた予算の中からローリーズファームやページボーイで厳選に厳選を重ねお気に入りを選んだ。当時の私にとって、バーゲンでやっと買える値段になるその服たちは特に大切に着た。

大学4年生の時に車で通学するようになってからの利用回数は年に数回あるかどうかという状況になり、その後社会人となり結婚出産してからは余計足が遠のいていた。

しかしちょっとした用事があり、今日は久しぶりに行く事ができた。あの頃は1人か友人と歩いたフェザンを、今日は夫と子供2人で歩いた。不思議な気持ちだった。

フェザンは私の知っているフェザンの面影を若干残しつつ、あの頃のフェザンではなかった。楽しそうに歩いている若者たちのファッションは私が歩いていた時とはだいぶ違っているし、売っている服や鞄は学生時代あんなに高級だと思っていたのに、今では欲しいと思えば買える値段だった。

そしてあの頃何往復したか分からないエスカレーターに、小さな子供の手を引き乗り降りし、あちこち触りたがるその存在に細心の注意を払い、抱っこをせがまれれば応じながら歩く自分に、月日の流れを感じた。フェザンも変わったけど私も同じ月日を重ねて変わったのだ。

結局買ったものは子供達のキャラクターソックスと、アンパンマンのジュースだけだった。わざわざフェザンに来て買うものでは無いのだが、子供達ファーストで物事を考え行動してしまう体に、4年かけて自然と育ってきたのだ、私と夫は。子供達が嬉しそうにしていれば万事OKなのだ。それをしみじみ実感した。

それから疲れ果てて入った銀河堂というお店のソフトクリームとカフェオレはとっても美味しかった。帰ってからも、あれは美味しかったねと夫が何回か言っていた。私達はもうそんな感じで満足なのだ。幸せな事だと思う。

あの場所にはいつでもいちばんその時に流行っているものがあって、盛岡をよく知っている人も、盛岡以外の地から訪れる人も、盛岡から離れる人も、一様に存在する、とてもきらきらした場所なのだ。中身が変わったって、それはきっといつまでもそうなのだと思う。あの頃、確かに自分はその中心にいた。だけどいつの間にかその場から離れることは、至極自然なことのように思う。そのことに気が付けたので今日はとても良い日だった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?