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たとえ英雄になれなくとも

先に書いておくと、これは決して武勇伝じゃない。
いまだにもっと上手く対処できたと後悔している。
じゃあ何でわざわざ書くのかというと、自分のこれまでを振り返るのに必要だったから。
それと、誰でもいいから許してほしかったからだと思う。
女の子を泣かせてしまったことを。
つまるところ、これは懺悔だ。


一度だけ、電車で痴漢の現場に遭遇したことがある。
1年以上前なので正確には覚えていないけれど、あの気持ち悪い感覚だけは今でもはっきりと残っている。

細かく描く意味もないから雑に言うと、朝の通勤時間帯に電車に乗っていたら、40を過ぎたおっさんが中学生くらいの子の手を執拗に触っていた。

僕自身のんきなもので、その時は親子かなくらいにしか思ってなかった。
(どう考えても痴漢なんだけど、それまで実際に出遭ったことがなくて、その時は結びつかなかった)

ただ、乗り換えの駅が近づいてきた時に異変が起こる。

明らかにおっさんの動きが親子のそれではなくなっていた。

そして、女の子が泣いていた。

頭を鈍器で殴られた気がした。

頭がぐちゃぐちゃのまま、おっさんに声をかけていた。

「親子ですか?」

後から思えば他にもっと気の利いた言い回しがあっただろうに、咄嗟に自分から出た言葉はそれだった。
(牽制とはいえ親子扱いされる女の子には堪ったもんじゃないだろう)

それでも、おっさんにとっては効果てき面だったようで、泡を食ったような顔していた。
おっさんは絞り出すような声で肯定して、何故か女の子を「こらっ」と叱りつける。
おっさんの「親子」像への想像力の限界という感じがして、見ていて痛々しかった。
(念の為、さっきの一言以外なにも僕は言っていないし、当然女の子は何も悪いことをしていない)

そのタイミングで、ちょうど電車のドアが開く。おっさんは他の人に紛れてそそくさと去っていった。
僕も乗り換えだったのでそのまま降りた。
特に女の子に声はかけなかった。


これが今までで唯一痴漢に遭遇した時の顛末。

この数十秒を思い出すと、いまだに気持ち悪さが蘇る。

武勇伝になり得ないのは、正義感でもなんでもなく、女の子を泣いている事実に打ちのめされたが故の行動だから。
動くだけマシとも言えるけれど、なら最初から動けって話である。

むしろ正義感で動けていたのなら、こんなに後を引くこともなかったのに、と度々思う。

正直信じられなかった。
そんな風に通勤のついでに誰かに害なすような人間がいることが。

大学でも個人的にジェンダー論については学んでいたし、卒論もジェンダーを絡めて書いたから、人よりはそういった問題に関心がある方だと思う。

けれど、それは人々がどのように自由を勝ち得ていくかという話であって、どのように人が傷つけられるかではなかった。

シンプルにこんな気持ち悪いことが現実に起きてることの意味がわからなかった。

あれ以来、電車で痴漢を見かけたことは無い。とはいえ、それは見えていないだけというのは分かっている。満員電車にでも乗れば簡単に見つかるに違いない。

たまに「痴漢は死ね」と過剰なくらい言っているのはそういった気持ち悪さが残っているからだ。
男である自分が敢えてそうして口にすることで防げるものがあるなら儲けものだろう。

とても間接的ではあるけれど、この一件が会社を辞めることを考えるきっかけの一つにはなったと思う。
おっさんは見たところサラリーマンだった。脂汗のテカリがなんとなく印象的だった。
そんなおっさんが毎日同じ空間にいるということがどうにも気持ち悪かった。

通勤に電車を使う女性たちには本当に尊敬の念しかない。
被害を受けていない自分ですらこうなのだから、直接される側だとしたらどう考えても耐えられないだろう。

実のところ、女性を傷つける行為には尚更敏感になってしまった。
ぶっちゃけチキンもいいところ🐓

基本的に下ネタを控えているのはそんな理由だ。
(別にエロが嫌いというわけではない)
ただ、不用意に人を傷つけることは避けようと気をつけている。

英雄みたいに人を救えないとしても。
あんな風に、人の泣くところは見たくないから。

そんなわけで。
善悪の尺度は持ち合わせていないけれど、せめて自分の価値観に従って生きようと思うのでした。

ばいちゃ。

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