そういうタイプの死刑
窓から半分身を乗り出している。顔面に風が吹き付けられて息が苦しいし、今にも落ちてしまいそうだ。乗っている列車の車体が見える。パステルカラーで赤青きいろ、おもちゃみたいな色の列車だ。外には一面草が広がり、気味が悪いほど黄緑一色だ。空は突き抜けるような水色の青空。僕の表情以外の全てが、絵本の世界みたいに異様に明るく塗り潰されている。
車内から父と母が制止する声が聞こえた。そんなことはどうでもよい。父が普段は着けない気取ったハットを被っているとか母が薄い水玉の上品な服を着て旅行の装いをしているとかそんなことはどうでもよい。今すぐここから逃げなければならなかった。
だからポケットに手を伸ばす。コインの直径くらいの長さのネジが、指先に冷たく触れた。窓枠を蹴って窓から飛び出す。指先のネジに想いを込めると、僕の体が巨大な人型の機械に変身した。両親がさっきまでいた列車の一室をちぎり取る。うまく回収できた。列車は前も後ろもどこまでも続いている、果てしない線路の上を一直線に無限に横切っている、端など見えはしない。僕は列車に背を向けて走り出そうとした。黄緑に塗り潰された草原はうねうねと砂漠のように広がっている。しかし、走って数歩もいかないところに、6歳くらいの男の子が立ち塞がっているのが見えた。立ち塞がっているといっても、普通の大きさの子供だ。今の僕から見れば、普段でいうカエルくらいの大きさしかない。なんの障害にもなりはしないはずだった。
それでも立ち止まった。子供はずっと僕を見つめている。きらきら光るきれいな瞳で、咎めるような瞳で、憐れむような瞳で僕を見つめている。いつの間にかその子が大きくなっているように見えた。僕の中で、大きく、大きく、僕の瞳を何も言わずにずっと覗き込んできた。実際は小さいのに。力任せに腕を振ったらもうその子はいなかった。
しばらく走って、僕はその子を殺してしまったことに気がついた。だから逃げ切れないとわかっていても走っていかなくてはならなかった。ここで捕まると10年は檻の中に閉じ込められるということに考えが及んだ。20代の若い時間をそんなことで失うのは耐え難い。まだやりたいことが、やれることがいっぱいあるはずだった。身体能力も認知能力もピークのうちに運動も仕事も恋愛も創作も全部やっておきたかったが、それをやる権利がもう僕には与えられていないと気が付き、心臓が締め付けられるようなどうしようもない思いが僕を満たした。その時の胸中に、身勝手に殺したあの子の顔はなかった。
しかし結局は捕まってしまった。真っ黄色の護送車に、ミントグリーンの作業服を着せられた僕が揺られていった。僕の20代は失われてしまった。全ての友達が僕を人殺しだと見なしてくる。もう彼等には会えないのだ。そして実際に紛れもなくそうであった。でも殺したのは過去の自分なので今の僕は関係ないだろうと思った。思ったけれどもどうしようもなかった。親だけは僕に赦しを与えてくれた、反省して出てこいと、僕が頷くと頷き返してくれた。僕の目を見て頷いてくれたんだ。
着いた先は市民プールの入り口みたいなところだった。無意味に茫漠と広い屋根付き広間の中二階を見上げると誰かいた。この施設の先輩達のようだった。僕と同じミントグリーンの作業着を着てしきりに騒いで歓迎している。その人達の中にふと、僕の見知った顔があることに気がついた。風懐さんだった。彼は僕の大学での先輩で、ちょっといい加減なところもあるが、陽気で面倒見のよい楽しい先輩だった。よく二人で酒を飲んだ仲だったが、こんなところにいるとは知らなかった。彼も僕が来ることを知らなかったろうが、ひとしきり驚いたあと僕の肩を叩いて笑顔で歓迎してくれた。施設の先輩達はみんな有能でいい人で、だからこそ全員人殺しだということが信じられなくて恐ろしかった。僕もその一員なのだ。こんなに普通に会話をしているのに。
施設での1年はとても楽しいものだった。有益なことは一切できないようになっていたが、かといって苦役だってなくて、僕と風懐さんと施設の先輩達は、毎日泳いだりバスケをしたりして遊んだ。毎日笑顔でみんなと仲良くなった。
だから全員殺して逃げ出した。ネジがいつの間にか僕のポケットに戻っていたんだ、今度は爪楊枝くらいの長さになっていた。ひんやりした螺旋に指を食い込ませて僕は大きくなり、全部踏みつけて逃げ出した。最初からこの施設には壁がなかった。そういう手段で閉じ込めておくための場所ではなかったのだろう。
???が僕の瞳を覗き込んでいる気がした。
適当な市街地で変身を解いた。人混みで財布を擦り、公共交通機関を乗り継いで故郷へと向かった。風懐さんのことが思い出された。彼は僕によく笑いかけてくれた、肩を叩いてくれた。でも僕がもっと大きくなるためにはあそこから逃げ出さなければしょうがなかったんだ。両親ならこのことをわかってくれるはずだった。これだけ殺したら死刑に違いないので怖かったが、両親なら慰めてくれるはずだった。
故郷にたどり着き、両親に事の顛末を話した。両親は悲しそうな顔をして頷いた。そして干からびて死んでしまった。ネジはいつの間にかペットボトルくらいの長さになってポケットからはみ出していた。僕は大きくなったはずだった、大きくなり、両親の遺骸を踏み潰そうとしたができなかった。もう消えてなくなっていた。
???さんが笑いながら僕の肩を叩いた気がした。
自分の育った家を、育った学校を、一人で歩いた通学路を、一人で遊んだ公園を、一人で食べたマクドナルドを、一人で向かった東京を、一人で通った大学を、一人で通った本屋を、一人で通ったラーメン屋を、一人で通った夜のスーパーを、一人で赴いた寿司屋を、全部全?踏み潰そうとしたができなかった。もうすでに消えてなくなっていたからだ。いつの間にか真っ暗な空間に一人座り込?でいた。
僕はふと、この人生が最初から死刑だったことに気がついた。一通り生きたあと死ぬだけだ。大きくなったら逃れられるんじゃないかと思い?んでいたがそれは思い違?だった。それだけじゃない。僕の死刑を彩ってくれる人達を、僕は自?で壊してしまった。
辺りには、もうなにもなか?た。ただ暗いだけ?空間。幼い頃の自?が僕の?を覗き込んでくる。大?の先輩の??さんが笑いながら僕の?を叩いてくれる。??が僕の目を?て頷いてくれた。もう全?自?で捨??しまったはずのも?しか残ってい?いようだった。
右手をズボンの????に忍ばせると、錆ついた?んやりした小さな??が僕の指先に?れた。もう願いを込め?も、二度と何も起き?かった。もう僕自身にも、??と?も?きなか?た。