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初めてジャッジムーヴをした日の物語

イワネスインセインの初めてのジャッジムーブ。それは2017年11月、まだ私がIWANESSと名乗っていた頃の物語。当時開催されたダブルダッチワンズには、仕事の都合でREGSTYLE及びYUTTYKINGDOM.のメンバーの不参加が確定していた。上記2チームが不在となると、選手として上位を狙えるプレイヤーがごっそり減ることとなる。そうなると普段では本戦に残れないプレイヤーたちが繰り上がってくる訳だ。良くも悪くも新しい風が吹くと考えた運営陣は、ジャッジも同じく新しい人選をしようと考えたのだ。

そこで白羽の矢が立ったのが私、IWANESSだった。当時の私はポイントランキング一位で、今シーズンのファイナル出場はほぼ確実であった。故に上位勢がいなくなってくるとIWANESSの一人勝ちという運営も観客も望まない結果となってしまう訳だ。かく言う理由でIWANESSがジャッジとして選ばれたのだ。

当時のIWANESSはスランプで、バトルシーンではあまり活躍出来ていなかった。ランキングでは一位であるものの、全ての予選に出てコンスタントにポイントを稼いでいるだけで、勝率という点をみると全く振るわなかったのである。故にジャッジをやってみないかという声が掛かった時も、一度は断ろうと考えた。しかし、悲しいかなIWANESSは虚栄心が強い男であった。ジャッジをして、偉そうにコメントをしてみたい...... そんな思いを捨てきれず、ジャッジの依頼を受けてしまったのだ。

こうなってくると心配なのがジャッジムーヴだ。ジャッジは、偉そうに審査をするだけの資格があることをギャラリーとプレイヤーに納得させるだけのムーヴをすることで、初めてジャッジたり得るのだ。IWANESSにとって人生で初めてのジャッジムーヴ、心は期待と不安で混濁していた。

IWANESSが選んだナンバーはDiggy-moの"JUVES"だ。BPMは133、曲調も複雑でダブルダッチのソロムーヴに使う曲としては難しい方に分類される。しかしIWANESSには、"簡単な曲でお茶を濁すようなやつになりたくない"という強い思いがあったのだ。故に"JUVES"を選択したのだ。

この曲を選んだのにはもう一つ理由がある。JUVESというのは"juvenile"という英単語のもじりで、子供らしさという意味である。少年が世の中に対する不満をブチ撒ける様をDiggy-moの独特な言語感とフローで歌い上げる名曲だ。昔も当時も今もシーンへの不満があったIWANESSにとってはぴったりだ。"現状何か違うぜ 起こせ革命 不満だぜ "というリリックは、私の心の叫びでもあったのだ。

そうしてナンバーを決めたIWANESSはリリックをルーズリーフに書き出し、どのタイミングでどんなステップをするか、どんな技を繰り出すかを決めていった。ここまで綿密に内容を練るのはIWANESSにとっては珍しく、それはジャッジムーヴを完璧に決めて喝采を浴びる自分の姿を夢想していたのと、ジャッジとしての説得力を見せつけなくてはならないという責任感から来るものであった。

そして迎えた当日。ジャッジムーヴのリハの時間は与えられず、一度切りの本番を迎えることになる。自分の他のジャッジはTATSUYA(Waffle)、SHIGE(Who is Respected?)、MAYU(Mrs.DOUBLEDUTCH)。三人とも手練のプレイヤーでスキルも申し分ない。もちろんジャッジとしての経験は豊富であった。そんな三人は初めてのジャッジであるIWANESSに華を持たせるためにジャッジムーヴの大トリを任せてくださったのだ。その選択に緊張と嬉しさが入り混じる。

サイファーが始まり様々なプレイヤーが我々にアピールする。それを見て厳正な審査を下す。上位陣がいないとは言え見応えは抜群であった。業界きってのダブルダッチフリークである私は、繰り出されるトリックに心を踊らされ、この空間を存分に楽しんでいた。しかし心の奥底ではジャッジムーヴの時間が刻一刻と近づいていることを理解していた。

サイファーが終わり、バックヤードでは本戦進出プレイヤーの剪定が行われる。前述の通り上位陣不在の為、トーナメントには新顔が並ぶ。それを見て私は面白くなりそうな気がする......と本能で理解した。そしてついに時間がやってきた。ジャッジムーヴだ。前の三人は流石も流石。質の高いムーヴで各々が存在を証明する。さあ、自分の番だ。MCが高らかに名前をコールし、DJはコントロールヴァイナルに針を落とす。私は一歩踏み出した。

"JUVES"がフロアに響き渡る。Diggy-moとラップが空間に広がる。好きもの等は曲がかかると同時に手を挙げた。最初の8小説は言わば「聞かせ」の時間。IWANESSはゆっくりとターナーへ近づく。そしてロープに入り、そこから24小説、およそ45秒の間ノンストップで跳躍を続ける。エントリーしてからの記憶はあまり無い。はっきり言ってIWANESSは実力不足であった。ジャッジを任される器ではなかったのだ。フックの切れ目でロープを抜け後ろ向きで去る。拍手はまばらだった。

こうして私のはじめてのジャッジムーヴは失敗に終わった。人前で一人で"ショー"をする難しさを身を以て味わったのだ。


そんな私だが、ついに来月一人の"ショー"で大会に挑む。思い返せばこの時"IWANESS"の苦い思い出が原体験となって今日の"イワネスインセイン"を形成しているのかもしれない。新しい挑戦は楽しいが難しい。自分の度量を超える結末を夢想し、結果失敗する。そんなことを繰り返していれば、時に褒美のように喜びが与えられる。その喜びのために私は今日も挑戦するのだ。


著 イワネスインセイン



おまけ

その時の動画がこちら。見れたもんじゃないのでこういうオーディエンスの少ないところに残しておきます。

https://drive.google.com/file/d/1bK_vukMLnVnIbnw7NgT0mvLtQGyIPK-c/view?usp=sharing



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