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オタク・ヴァイブスで衝動的に


来た〜〜〜〜〜〜〜。もはやこの人のエントリを楽しみにしている節があるな。


今日のテーマは
チームや個人のバックグラウンド等パフォーマンスまでのプロセスを公開した方が良いのかどうか
です。

これがテーマと。なるほどね。詳しくはゴブさんの記事を読んでもらいたいのだが、ざっくりいうとApollo14thは割と良かったけど、傑作と言えるレベルではないと感じた。でもkiccyのnoteを読んでから見直すと、傑作に近づいて見えたということ。面白い現象だな。

個人的にプロセスがめちゃくちゃ大事だなって思った一件がある。

まずはこの動画を見て欲しい。初めて見る人は何も考えずただ見てくれ。久しぶりに見る人は懐かしさに浸ってくれ。







じゃ、話すね。

DDDE2016の珠龍琉。現在はプロとして大活躍のKENGO SUGINOと、社会人をしながら戦うことをやめない男、クボユウト。彼らの学生時代のチーム。僕はこのパフォーマンスがめちゃくちゃ好き。単純にパフォーマンス自体が良かったってもあるが、それ以上に彼らの良さが十二分に発揮されてるように見えたから。

彼らの一個上にはChap-linB-JACKなど、乱縄史上、デライト史上、日本のダブルダッチ史上でも一二を争うような激ウマ激ヤバチームがいたわけだ。その人たちはもうずっと目立っていて、JAPANに行くのは当たり前、プロ顔負けくらいの勢いで活躍していた。その分一個下の彼らは割を食っていたというか、あまり輝いていないように見えた。おそらくだけど、優秀な一個上と比較されたりとかしたと思うし、悔しい思いもたくさんしたと思う。

珠龍琉はちょいちょい結果は残していたけど、突き抜けてはいなかったな。なんというか、乱縄という看板に潰されそうにも見えた。

これは普通に良いな。

これとかは苦しそう。あんまり楽しくなさそうだな。


そんな中で冒頭に貼った2016年のイーストのパフォーマンス。それまで”乱縄”感を押し出したイカつくてかっこいい感じじゃなくて、素の彼らっぽい、おどけてユーモラスなオープニング。パフォーマンス最中も常に遊び心を忘れずに、全員でショーを楽しんでいるように見えた。今まで優秀な先輩たちのプレッシャーを感じざるを得ないパフォーマンスをしていた彼らが、本当の自分たちらしさみたいなのを解放しているの姿を見て心を打たれたな。

というのを込みで、もう一回見直して欲しいかな。どう?




ってわけで、そういう背景込みで僕はこのパフォーマンスが好きだ。っていう話を大会の後にオカモンさんとしていたら、「そういうの、知ってたらもっと楽しめるのにな〜」って言ってた。なるほど確かに。僕はたまたま知りうる立場にいたけれど、知らん人からしたら知らんよなってことだ。つまり、文脈を知ってもらうとより面白いし、佳作が傑作になりうるってことだな。逆に言えば僕がプロセスを知らないからキャッチしきれていない名作もあると思う。なんでみんな、せっかくなら思い入れのあるパフォーマンスに至る過程を公開しよう。してくれ。


まあそんな感じでゴブさんの記事を読んでの感想でした。てかまあ今回のは割とかなり確信に迫っていると思っていて、パフォーマンスの良し悪しを決める大事なことに触れている。かつてとある仲間が、自分が作ったショーのことを、「ただすごい人だけが集まってすごいことしただけのデモにならないように気をつけた」と言っていたのを思い出した。根本的にはそれに近しいことが書かれている気がするな。

まあ、つまるところはこれがしっかり出来てきれば、良いものが出来るってことだな。何をもっと良いとするかは謎だが。


というわけでなんか普通の講釈みたいになっちまったな。この文章、書き終えて最初から読み直したら我ながら嫌悪感がすごかった。こいつ、偉そうに語ることで気持ちよくなってるな...っていうのが僕の僕に対する感想。こういう話がしたくて議論しているわけじゃないんだよな。もっとさ、実学から離れたところの話をしたい。精神の話をしたいんだよな、僕は。ま、書いちゃったし勿体無いから公開する。








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