激動の一年をふりかえる。
気づけばこの岩内に来てからもう五回目の冬を迎え、またもう一つの年が終わろうとしている。
去年の今頃は、店舗開店に向け奔走し「設計のデザイナーを入れるか、いれないか」で悩みに悩んでいたことを思い出す。結局、「自分の思い描くものを妥協せずに作り上げたい」という思いからプロのデザイナーはいれない決心をして、大工のふくしまさんとの二人三脚の日々がもうすぐ始まるところ。
あれから一年が経った今、思いっきり泥臭い記事を書いてみようと思う。
今年一年は、タイトルにもある通り、「激動の一年」だった。
どれぐらい激動だったかというと、Youtuberが急上昇に上がり人気になってから、問題を起こし炎上して謝罪動画を出すまでのスピード感に匹敵するくらいの激しい動きだった。もちろん、Yahoo!ニュース掲載までがセットだ。あのスピード感は毎回目を見張るものがある。
緊急事態宣言が各地で出ているような、コロナ真っ最中での新事業のスタート、しかも打撃を真正面から受けている飲食店の開店はもちろん簡単なものではなく、更には本業の旅行業が瀕死状態の中での挑戦は、はたから見ると「無謀」以外のなにものでもなかったらしい。
「やめた方が良い。」
岩内に残ると決めたときにたくさんの人たちに言われた言葉を、また何度も頂いた。
もちろん、私を思ってかけてくれる言葉なので嫌な気持ちになることはなく、むしろ人の話をことごとく聞かない当の本人は新たに始まる挑戦に不安なんて1ミリも感じず、ただただワクワクしていた。
世界二周をしてたどり着いたこの岩内で、こんな時代だからこそ、子供達や地元の人たちがワクワクできる場所を作りたかったし、自分一人じゃできなくても、岩内の人たちと一緒ならできると思った。
そしてこの挑戦を決めた理由が、もう一つある。
それは、10代から20代前半に貯めた貯金をここ数年は切り崩しながら生きていたという事実と、それがもうそろそろ底をつき始めていたことに気づいてしまっていた、ということだった。
貯金というのは、お金のことではない。
会いたい人がいれば日本各地どこへでも会いに行き、上手くいくかいかないかなんて考えず、ただがむしゃらに努力し走りぬいてきたあの時代に築いた「人脈」や「経験」や「感情」という私を作っていた貯金のことだ。
だからこそ、この大変な時に言い訳のできない状況で打ちのめされるくらいの体験を、二日酔いのときのポカリくらいどこかで求めていた。もちろんサイズは2Lだ。
言ってしまえば、そんな条件が揃いすぎていたその時に、挑戦をしないという選択をする余地はなかった。
「どんなことがあっても、逃げずにとことん向き合おう。」
この挑戦をするときに、そう強く心に決めた。
そんな中でも、当たり前ではあるけれどキツいことがあったり、それなりに理不尽なこともたくさん経験した。お店から家までたった10分の道のりが、どうしても前に進むことができなくて、頬を伝う涙を一人で何度も拭いながら3時間かけて帰ったこともある。
たくさん応援してくれている人がいるのが分かっていても、どうしたって拭うことのできない孤独感に押しつぶされそうなときがあった。
今はできることを、やるだけ。
何度そう、自分に言い聞かせたことだろう。
店舗探しから始まり、各業者への打ち合わせ、内装などのデザイン設計やインテリアの仕入れ、各方面へのご挨拶、お店作りが終わったと思ったら次はメニュー開発や仕入れ。スタッフ探しや、SNSでの発信。ペンキもたくさん塗ったなあ。
それに並行して、今年も北海道庁さんや北海道運輸局さん、国土交通省さんといった国からのお仕事や、各自治体からの講演依頼なども頂き、身の丈に合わないほどのお仕事をたくさんいただいた。
そのおかげで、一度は死亡宣告を受け「今期が山場です」と心肺停止まで追いやられた地方の弱小旅行会社はまだ死なずに生きているし、現在はむしろ緩やかではあるがコロナ禍でも業績はプラス成長を続けている。びっくりぽんである。
もちろん自分だけの力ではない。
むしろ、何一つとっても一人ではとてもじゃないけど成し遂げることができなかった。どれもこれも、これはお客様はもちろん、働いてくれているスタッフや、取引先の皆様、そしてお隣の誠寿司さんや優しいお隣さん、家事や愛犬の世話も全部引き受け仕事に専念させてくれる母、その他大勢の皆様のおかげであり、本当にいくら感謝しても足りないくらいに感謝している。
同時に、改めて気付いたこともある。
毎日いろんなことがあるがあまり、落ち込んでいる時間もない!と負のエネルギーさえもすべて力に変える必要があった2021年という年。
人に言われたことやされたことよりも何よりも自分の不甲斐なさに何度も落ち込み、自分のお尻を無理やり叩きながら過ごしてきた。
でも、負のエネルギーを「なにくそ精神」でプラスに変えることも大いにありだが、これは走るには走るが比較的燃費も悪く、ロマンもストーリーもあるが走るたびに排気ガスを放出する80年代のアメ車と同じ、ということを、30年の月日をかけて知った。
絶対的にそれが必要なときもあるけれど、自分がやればやるだけ放出されるその排気ガスの矛先は、大抵の場合本来一番大切にしなければならない近くの存在へ向かいがちだ。
大好きな歌の一つで、サンボマスターさんが歌う「世界はそれは愛と呼ぶんだぜ」という歌に、こんな歌詞がある。
「悲しみで花が咲くものか」
今年は本当に、やりきった。
でも来年は、誰よりも楽しむぞ。
本当に良い年だった。
みなさん、今年は本当にありがとうございました。
たくさんの感謝と愛を込めて。
P.S. たくさんの人たちに連絡や御礼の挨拶、ご報告などをしなければないことがあるなか、かなり遅くなってしまい本当に申し訳ございません。明日から数日お休みをいただく中で取り掛かろうと思っておりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。本当にいつもありがとうございます。
また来年、よろしくね。
※この記事は新型コロナウイルスを話題にした内容の記事を書いていますが、あくまでも自身に起きた仕事上の話であり、人命が最も優先される事項だと認識しております。実際に被害に遭われた方々には心より謹んでお見舞い申し上げますととともに、一日も早い回復をお祈りしております。
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