平和のシンボル、「こんぶ」。
きょうは正々堂々と頭の悪い記事をかこうと思う。
ちなみに、酔った勢いでもなんでもなく、シラフの状態でそんな記事を書こうとしている。
一瞬画面切り替えの際にフリーズしたパソコンの画面に映った自分の顔が、恐ろしいほどの真顔でびっくりしたくらいだ。
何を隠そう、今日の記事の内容は、わたしの愛してやまない愛犬の「こんぶ」である。
いま話題の「美しすぎる○○」だとか、「千年に一度の○○」というそんな扇動的なキャッチコピーには「誰がどの目線でいっとんねん」という否定的な態度を長らく一貫していたわたしだが、うちのこんぶは控えめにいっても「千年に一度の可愛すぎるイヌ」だ。
去年の誕生日のときに、自分に「何がほしい?」とたずね、質問とかぶせ気味に出てきた答えが「犬」だった。
グッチやらシャネルやら、そういったブランドものには昔から全くと言っていいほど興味はないし、そもそも物への執着がびっくりするほどないのだけど、犬はなんなら世界一周中から欲しかったし、帰国間際でペルーで懐いた犬(名前は「どん座衛門」と名付けていた。)を、連れて帰ろうかとも思っていた。
それほどまでに、犬が欲しかった。
実はちいさい頃から、犬やインコ、ハムスターやふぐ、道で死にかけてたスズメなんかを拾って面倒見てはみんな家族になり、たのしい毎日を過ごしていた。そんなわたしの夢はまだ、「動物に囲まれて過ごす」こと。(幸せすぎて早死にしそうなので、これは今のところ50歳くらいの夢にしてある。)
動物というのは、健気な生き物なのである。
人間以上に繊細な変化を感じ取るし、犬や猫は特に懐いてくれる分、愛情が湧く。
たとえ、人間に嫌なことをされたとしても、動物はいつか人間を許してくれるような器をもっていることも確かだ。
それはこんぶが証明してくれている。
こんぶはもともと捨て犬で、一度保健所へ渡った犬。だけど人間がだいすきでたまらなく、一度も何かに怒ったことのない穏やかで優しい子に育った。飼い主はいつもブーブー言ってはビールを飲んで気づいたら寝てるようなガサツな人間なので私似でないことだけは確かなのだけど、あまりにも穏やかすぎて、ガンジーの生まれ変わりなんじゃないかと本気で思うことがある。
控えめにいっても可愛さが異常なのだ。
最近は人からの「かわいいね〜」を待てず、「かわいいしょ?」「かわいいって言って」と、かわいいの押し売りをするほどの域にきてしまった。
友人には「かわいいのカツアゲ」と言われている。
毎日可愛さが更新されていくので、正直少し困っているレベルにも達してきている。
そんなこんぶが、昨日突然寝転がるわたしの顔の前で寝っ屁をした。
品と教養を兼ね備えた方はこんな下品な言葉は聞いたことがないかもしれないので説明しておくと、寝っ屁とは、「寝」ながら「屁」をすることである。
文字の通りだ。
普通だと、千年の恋も冷める大事故であろう。
わたしも青春真っ盛り高校一年生のとき、端正な顔立ちで一線を画していた、一つ上の大好きな彼氏の前で笑った瞬間一緒におならが出てしまったときは丸二日間落ち込んだ。
「どうしてあのときに」と、どこにぶつけていいか分からない自然現象への怒りと自分の不甲斐なさに、あの一瞬を何度も回顧し、お風呂のなかで50分間ほどボーーっとしてしまい家族を心配させたことがある。
それほどのことだ。
のちに色々と経験し、「繊細な心」を捨てる代わりに「ゆるがない図太さ」というのを手に入れたのは数年経ってからの話だ。
いまはオナラと上手く共存できていると思っている。
そんな大好きでたまらないこんぶが顔の前で寝っ屁をしたとき、最初に思ったのが「くさかわいい」である。
「くさかわいい」
一見すると相反するこの二種類の感情が上手く融合を果たした、平成最後の年に新たな「カワイイ」の分野が確立された瞬間である。
そんなこんぶ、タカが外れたのか今日も二度目の寝っ屁をした。
今日は臭いが少し優勢。
過去の経験から、きっといつか私よりも先にいなくなってしまうことはわかっているけれど、今日一緒に過ごせたことがなによりも宝物。
いつもいつも、ありがとう。
そして、私のところに来てくれてありがとうね、こんこん。
明日も良い一日にしようね。
それでは、みなさんおやすみなさい。
あしたもみなさんにとって、素敵な一日になりますように〜。
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