独立して一年が経った、いまの本音。

タイトルの通り、独立して一年が経った。

(参照記事:27歳女が、独立三ヶ月目におもうこと。

どんな一年だった?と聞かれたら、魔法のあの言葉「バタバタしていた」と答えるだろう。

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こんな絵を真面目な顔で書いているときも、ばたばたを「ばたばた」という平仮名にするか「バタバタ」というカタカタにするか本気で考えているときも、この数日間脳裏では「この一年はどんな一年だったのか」というのを大真面目に考え、振り返っていた。

そうすると、ある一つのことに気付いた。

「自分を信じまくって、信じきった」という一つの事実だ。

人は何か壁にぶちあたると、そして人に何かをいわれると、少なからずこう思ってしまう。


「自分が間違っているのかも」


それが良い方向で思うのは良いのだけど、自分の意見が少数派になったもんなら「自分がおかしいんだ」と思いはじめ、今度は自分を疑い責め始めてしまう。

そんなときは自分にかけられる全ての言葉がトゲのある言葉に感じて、何をしていてもとっても孤独に感じ、自分以外の全員が敵に見えてくる。むしろこの場合、自分に味方しない自分自身すら敵と化してしまう。まるで気分は「クレイジー選手権世界王者」だ。

自分の味方をしてあげられるのは、この世に実は自分という一人の存在しかいないのに。(そして冷静に周りを見渡して欲しい。あなたは日本代表になれたとしても絶対にアメリカ代表には勝てない。)

図太さで一線を画しているわたしが言うほどだ。繊細で心やさしい人にとっては甚だ生きづらい世の中だろうとおもう。


世の中生きていればいろいろある。何か新しいことを始めようすると、さらにいろいろある。そんなの当たり前だ。だけどそんななかでも、これだけは常に思っていた。


「自分の"好き"を誰かに否定されるな。惑わされるな。」


「岩内が大好きで大好きで、たまらない」という一点の曇りもない、心の底からの強い気持ちが、どれだけ自分を強くしてくれただろう。

泣きたくてたまらなかったとき、何度「大丈夫」というその力強い三文字に変えて背中を押してくれたことだろう。

そしてそんな思いが、どれだけの人たちの縁を繋いでくれただろう。

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嫌われても人に何を言われても構わないと自分が必死に守ろうとしていたモノに、いつのまにか守られていたんだなあ。

自分の「大好き」を、大人になっても手放しで、そして自分の基準と尺度で堂々と「大好き」と言える自分を誇りに思う。

もう一度だけ言いたい。書いているのは蒼井優ではない。


そして一年間支えてくださった人に、心から感謝します。


わたしはもしかすると、子供なのかもしれない。なんだって、やろうと思えばなんだってできると本気で思っている。だって、一緒に叶えられそうな人がここ岩内にはウジャウジャいるからだ。そんな人たちと、楽しいことを全力でやっていきたい。自分たちの「たのしい」を全力で信じて、そのために死ぬほど努力して、お金や名声じゃない、この町が心から喜ぶことをやっていきたい。


いつまでも自分を信じて、大切な人をたいせつに、自分に嘘のない自分の生きたい生き方で、歩みたい道を歩いていける二年目を歩みたいとおもいます。


たくさんのありがとうと、愛を込めて。


Saya


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