こどもは偉大で、天才だ。

最近わたしは、朝にニュースを読むのをすこしだけやめた。

社会人になってからは毎日義務のように読んでいたニュース。だけど、あまりの忙しさに心が疲れていると、嫌なニュースは、擦り傷のときに入るシャワーでボディソープが傷口をヒリヒリさせるように、弱った身体が痛みに繊細に反応してしまうことに気付いたからだ。

普段落ち込むことが極端に少ないわたしにとっては、これはある種事件であった。

世界一周中、カンボジアからラオスまで30時間乗り続けたバスのなかで、バスのクラクションよりも大きく、盛大に異臭のするオナラをして車内が騒然としたときも、「立派なオナラであった。」と自分が日本代表かのように誇らしく思い眉ひとつ動かさなかったし、バックパッカーなのにバックパックを丸ごと盗られたときも、「荷物がなくなって旅がしやすくなった」と意気揚々と旅を続けた。

でもあまりにも子供や動物が犠牲になるニュースが多いと、とても気が滅入る。ネットニュースを見るたびに心が痛くなり、二日酔いのときと同じくらい、テンションがぶち下がってしまうのだ。

ある日、「あれ、昨日ウォッカ瓶ごと丸呑みしたんだっけ?」と思うほど落ち込んでしまい、その日を境に、すこしだけニュースを読むのをやめた。

そして三日前、滝川クリステルさんが結婚したというニュースが小耳に入った瞬間少し動揺し、久しぶりにニュースを読もうとおもった。

そうして、サーフィン(ネット)をしているときのことだった。

ある記事がふと、目に入ったのだ。なにやら日本のテレビ番組で、ある子供が戦争に関して、「どうしたら戦争がなくなるのか」を考え、こんなことを言ったらしい。


誰かのお誕生日だけは絶対に戦争をしないっていう決まりを作ればいいと思う。そしたら、毎日誰かのお誕生日だから、戦争はなくなると思います。


今度は、違う意味で心がいたくなった。そして、あたたかくなった。


子供は、いとも簡単に、世界を平和にしてしまう力をもっている。


海外を旅して確信したことの一つに、「子供の持つパワー」というのがある。こどもが笑えば、大人が笑う。彼らは笑顔をつないでいく存在なのだ。

「ただの浮浪者」というイメージが少し薄くなったのだろう。最近ありがたいことに、一番やりたくてたまらなかった教育関連のお仕事に携わらせてもらう機会が増えた。講演だったり、お仕事体験だったり、子供のイベントでとんでもない汗をかきながら子供たちの夜ご飯の焼き鳥を焼いたり(これは仕事ではない)、その内容は様々だ。

だけど、どんな場面でも、子供と接するときにはいつも「これだけはしないようにしよう」と心に強く思うことがある。それは、大人(自分)の意見と事情を押し付けない、ということだ。

世界一周中、ベトナムのとんでもない山奥に住むモン族の家にホームステイしていたとき。シャワーは滝で、子供は自分でたべものを探しにいく。ご馳走は、おねえちゃんがなたで切ってくれるさとうきび。

子供は、自由で、柔軟だ。たまに子供がとても羨ましい存在に思えるほど、わたしにとっては、彼らが先生なのである。

だからこそ、子供たちの前で人生を分かったようにようにぺちゃくちゃお喋りするなんて滅相もないし、こんなわたしが教えることは正直なにもないのだけど、ひとつだけわたしでも、大人だからこそできることがあると思ってる。

それは、子供たちの味方でいること。そして彼らが自由で、柔軟でいられる手助けをする、そんなちっちゃな努力をすることだ。

わたしはそういう人たちが周りに一人でもいたおかげで、いまだに「できないことなんて、ない」と本気で思っている非常に痛いタイプの人間だ。

だけれども、そのための努力や、批判を受けて立つことに対して強い耐性ができた。これは自分の生まれ持ったものではなく、挑戦しても、失敗しても、いつも応援してくれる人が周りにいたから、という事実に他ならない。

特に、一番近い存在であった母になにかを否定されたことや何かをしろと強制されたことは思い返しても人生で一度もなく、「やりたい」「なりたい」といったものには、いつも一番の応援者でいてくれて、味方でいてくれて、どんなに辛い日も嬉しい日も、時には励ますために、そして時にはお祝いのために、いつも五臓六腑に染み渡る、美味しいご飯を作ってくれた。

やりたいことをやりたいだけやってきたから、何度歯をくいしばる思いをしたかわからないけれど、なんとなくいつも大丈夫だったのは、どんなときでも味方でいてくれる人がいて、そして、うれしいことを一緒に「うれしい」と喜んでくれた人たちがいつも周りにいてくれたから。

だからだろう。

はみ出ることが、失敗することが、怖くない。どんなに失敗しても、生きてればなんとかなる、と本気で思えている(ぜんぶ失ったら森に移り住んで原始人として再スタートを切ろうとおもっている)。

怖いのは、じぶんに嘘をつくときだ。そして、自分を信じられなくなるときだ。心を蝕ぶその「何か」は、大人につれて、共存を強いられる大きな「何か」になっていく。そしていつか、自分が何者かわからなくする、「何か」になってしまうんだ。

子供たちには、「失敗すること」「嫌われること」「失うこと」、そんな小さなことを気にする大人になって欲しくないなあ、とおもう。

そのためには、彼らがありのままで居続けられる場所をつくる努力をしないと、とさいきん割と本気で思っている。

だって、あなたたちは、そのままで美しいのだから。

男の子が男の子を好きでいいし、その逆だっていい。学校にいきたくないなら無理して行かなくていいし、ハリウッド女優になりたいなら、どうしたらなれるか一緒に考えよう。お金はないけど英語を勉強したいというのなら、いくらでも教えてあげる。

おばちゃんはこれから、あなたたちにできることを一生懸命かんがえようと本気でおもうよ。(突然の目尻のシワの自己主張の強さに驚き、30歳からのドモホルンリンクルを2年前倒しして無料サンプルを頼んでいる場合ではない。)

大好きでたまらない岩内で、岩内の人がよろこぶことをしたいけれど、これからはじぶんがして楽しいこと、うれしいことも、もっともっと、大切にしていこう。

そんな決意表明と、滝川クリステルさん、おめでとう。元気な赤ちゃんがうまれますように。

Saya



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