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密度と向き合う

COVID災禍で密度とむきあうことになった。都市の密度がこれだけ弱さをみせることがあるんだと身をもって知った。しかし、個人的には密度とはこれまでずっと戦ってきた気がする。

密度、に読み替えてこれまでの活動履歴をまとめてみた

密度への疑問

2002年には、東京に「面白い人が集まる(密度)場所」をつくろうと、八丁堀で空き家を活動をはじめた。都心居住は、通勤電車の密度から逃れるためにはじめたのと同時に、都心が空洞化していて、自分でおもしろい環境をつくる可能性に満ちていたからだ。

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2003年ーCETでは、ある期間、密集してそのエリアにアートを登場させ、そのエリア自体を知ってもらう機会としてアートイベントを開催。面白い環境をつくった結果、面白い人たちと面白いイベントを手弁当で実施することができて、その後の僕の密度の濃い人脈形成に大きく影響している。

CET事務局長シミズさん(こしみずさん)のnote

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2005年の横浜トリエンナーレでは、都市の境界線を超えた低利用(低密度)な水辺に都市のアジールをつくったらどうなるかを検証。シンポジウム開催し、いろんなたちばのひとと同じアジェンダについて話ができた。境界線を超えたところに面白い場所がつくれることが実証できた。それは、都市の境界線の向こう側だけど、都市そのものの魅力でもあった。

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2007年の防災船(FLOATING EMERGENCY PLATFORM)も同じ。アートという文脈ではなく、防災だったら実装できるかを検証したが、都市の低密度な場所にアジールが成立するかどうかの実験は結局実装化できずに失敗した。

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2009-2010年は、低利用低密度な水辺に人を繰り出す機会をクルーズ実験を多数をこなって実証。その後の舟運活性化はまったく想像がつかない時代だった。日本橋船着場ができる前。その後日本橋船着場は年間4万人が利用するようになった。だんだんキャパシティがきびしきなってきていると聞く。

2015年からリノベーションスクールのユニットマスターを仰せつかる。低利用の空き家物件が密集した、中心市街地活性化やいなかの再生を課題にブートキャンプで徹底的におこなうものだが、そこでは中心市街地の空洞化と向き合う。これも密度だ。

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リノベーションスクール@加太の課題物件

一方で、高いビルをつくる事業の設計や企画でお手伝いすることもある。区分所有マンションのデザイン監修などの業務をたくさんやった。
ここでわかったのは、区分所有マンションは密度ゲームの果実である、ということだ。

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密度ゲームとは

言うまでもなく、密度をあげて住む人を増やす仕組みが高層住宅。本来は、既存の都市構造と同じだけの人口を高層住宅に住まわせることで、豊かな外部環境を作ることができる提案として20世紀初頭に建築家たちにより提案されたが、その後高層化の技術の高まりと反比例するかのように、一階の外部空間の豊かさは置き去りにされていった。それは、高密度さをより追求したほうが、不動産の開発利益を高められるからだと思う。

開発利益は開発のリスクをとった会社がとり、都市はどこでも開発事業者の事業フィールドとなり、この流れに乗らないことが損に思えるようにいつしかなっていた。

この行き着く先が高密度都市東京の姿だ。

密度ゲームが繰り返され、余白がなくなる。余白分はデベロッパーの株主利益を毀損する。

密度ゲーム>ウェルネスという価値観が作ってきた日本の都市が産み落としたのものが区分所有法マンションであり、痛勤列車である。

コロナが突きつけたもの

コロナが突きつけたものは、集まってすみ、活動を生み続ける環境を作り続けた人類への警鐘であることは間違い無いだろう。この密度のコントロールをバリアブルにできるかどうかが問われている。各国で成果をあげているように、非常手段をつかってコントロールすることはできるのだろう。
 しかし、そもそも都市が密度のコントロールをする手段を放棄しているように見えるこの国の都市政策にとって、コロナは不都合な事実を突きつけている、とぼくは思う。

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