〜いわきFCと自分〜
〜はじめて試合を見た日と、人生の転機〜
はじめていわきFCの試合を見たのは、県リーグ2部の時代。思い返せば、天皇杯福島県予選大会で圧倒的な攻撃力でゴールを量産し、圧勝してた。
…本来は当時小学生だった姪っ子のサッカーの試合を応援しに行ったつもりだったが、時間の勘違いからこの試合を見る事が出来た。
はじめて大人のサッカーを生観戦したその日は、完全にプロのサッカーと勘違いし、クラブの名前を知ることもないまま、圧倒的な試合展開に感動した呟きをTwitter上にしたのは今でも忘れていない。
そこから呟きを見てくれた、いわきサポから次々とフォローされ、クラブの名前は『いわきFC』、所属
は『福島県リーグ2部』に所属していると言う事。
次回の試合開催日など、色々な情報を入手する事ができ、試合を見に行く機会も増え、新たな出会いと趣味が増え、ここから自分の人生が一変した瞬間となりました。
〜はじまったサポーター活動〜
何度か試合に足を運ぶ機会も増え、先輩サポさんからゴール裏に誘われてみると、サッカーに詳しい人ばかりで会話について行けなかった…。
サッカーは実際プレーしてたことも無いし、姪っ子の応援をしてたレベルでルールらしいルールなんて、さっぱりわからなかった。
少しずつサッカーのポジションやら、応援の楽しさをわかってきて、ゴールが決まる度に、みんなと喜びを共感できる瞬間には一瞬にしてハマった。
戦略とかオフサイドに関しては未だにはっきりとはわからない…。
その頃になると推し選手も出て来て、当時在籍していた背番号7片山紳選手のプレイと、人間性に惹かれていった。
そして、2017年シーズンにはサポーター仲間を通じて知ったラジオ番組での応援コーナー、ナシモンさんの存在を知ったのもそこから。約10分位の短いコーナーだったけど、スタジオの前には、ゲスト選手に会う為に沢山の仲間たちが集まっていた。
水曜日の夜という事もあって、スタジオ前にはなかなか行けなかったから、せめて、番組にメッセージを送ってみようと始まったのが『てっけつ』としての自分の活動の始まりだった。
そこから応援グループDCP(現・ARMOURS)に参加させてもらい、コールリーダーのサポートをやらせてもらうことになった。
声出しチャントのボードを書いて掲げたり、コールする選手の名前を脇から伝えたり、声出しするタイミングやらコールリーダーのメンタルカバーまで色々とやらせてもらった。
そしてFacebookグループの『RED UNDER DOG』にも参加し、各メディアへのメッセージ、ブログ投稿をメインに活動範囲を広げた。
最近では月1回発行されるいわき市内のフリーペーパー、Hi magazineでコラムを執筆中。
試合の振り返りはamebloの方で継続中。
〜ミドリのアイツがあらわれた〜
2017年シーズン、いつ頃だったかまでは覚えていない…サポ仲間に招待された飲み会に、ミドリの形をした変なヤツがやってきた。
そいつは『いわきのいわっきー』と名乗って、マスコットのクセに言葉を話してた。
しかも黄色い梨の妖精と明らかに被る話し方だ。
こんなふざけた恰好したヤツがサッカーの応援するとか本気なのか、って言うのが最初の印象。
それから試合会場で姿を見るようになって、人手が足りないからと言う事で、偶然にも何度か下準備を手伝った事が始まり。
本格的に一緒に行動することになったのは、2017年天皇杯3回戦、対清水エスパルス戦だった。
現地合流って形で、近くの駐車場からいわっきーを引き連れてIAIスタジアムまで約10分程度の距離だったのに町の方々や清水サポの方々に捕まって、30分位かかったのを覚えている…。
道を教えてもらいながらヤツを先導して歩いたものの、アウェイ側の入り口がよく分からず、清水サポたちが応援する自由席側に出てしまった…
驚いた事に、座っていた方々に温かい拍手で出迎えられたいわっきー。清水サポ達に誘導され、アウェイ席に辿り着いて、試合を応援することができた。
悔しい試合結果だったけど、帰り際に驚く事態が。
ゴール裏からアイツを見つけた清水サポさん達が、『出てくるの待ってたよ〜』って、出待ちしていた。
そこには、バチバチの試合をしていた時とは違って、みんな楽しそうな笑顔で絡んでくれて、いわっきーもそれに応えてテンションMAXで大騒ぎ。
対戦相手のサポーターさんまで笑顔に出来るって、コイツ…スゴいな。コイツと行動してれば応援がまた一段と楽しくなるかも知れないし、いわきFCの存在を沢山の人に知ってもらう事が出来ると、謎の確信があって、それから面倒を見る事にした。
この6、7年、何度意見がぶつかって、衝突したことか…それでも離れずに頼ってくれるコイツを語れずに、いわきFCは語れないよなぁ…。
〜いわきFC快進撃と遠くなる選手たち〜
2016年以降、順当にカテゴリを上げて来たいわき。
県リーグと地域リーグでは負ける事のなかったいわきが、全社福井にてアミティエ京都SC(現・おこしやす京都AC)での敗戦を目の前にした時は衝撃的だった…。
シーズンが終わると、毎年退団する選手と入団する選手が多いのがサッカー・・・らしい。
顔と名前が一致して来た頃にはチームを去ってしまう。
そして、カテゴリが上がるたびに感じていたのが、選手たちとの距離感…。
県リーグより地域リーグ、地域リーグよりJFL、そしてJ3リーグとカテゴリが上がるたびに増えてくるサポーターの人数と、立派になってくるスタジアム。
県リーグや地域リーグの頃は、選手たちもサポーターひとりひとりにファンサ対応してくれたし、控え室なんて無かったから、トイレで一緒になって何でもない会話とか出来たりしてた。
それが今では、声出しもファンサも禁止された上に、控え室もトイレもしっかり完備されたスタジアムで試合を出来てる。
選手たちにとっては、とても良い環境になって来たんだろうけど、なんだか身近にいた選手たちが遠くに行ってしまった感覚に陥ってしまった時もある。
声出しが禁止になってからは、ゴール裏から離れて座席に座って観戦するスタイルに変更した。
サポ仲間から、また一緒にゴール裏で応援しようと言ってもらえた時は、本当に嬉しかった…。
〜最後に〜
いわきFCと歩んできた7年間を振り返るのは初めてで、書いてみるとまとまりがつかない…。
クラブは、それだけ大きな存在になってた訳で、色々与えてくれたんだな〜と、改めて思った。
これから先、どれだけの出会いと別れがあるのか想像がつかないけど、いわき市が東北一の都市になる日を夢見て、まとめの言葉にします。
ではまた、てっけつでした。
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