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【FM店主日記Day46】移動のメリット、移動しないデメリット

移動をすると疲れる。

年々、その疲労感たるや蓄積され累積され山積していくだけであり、人間というものは若さというものを実際は感じることなく、若さが消耗されすり減っていく様を見て、あるいは感じることで、ああ、かつて自分は若かったのだ、と気付かされる哀愁にまみれたなかなか可愛い生き物である、という説もあったりするが、やはりそれなりに移動を繰り返すメリットというのは確実にある。

いや、移動のメリットもあるが、移動しないデメリットの方がもしかしたら大きいかも知れない。同じ場所にいて、同じ空気を感じて、同じ人たちと同じような会話を繰り返す、ということは安心感であり、安定感であり、充実感であるのかも知れないけれど、同じことを繰り返す間にも世界は変わり続けているわけであり、人はみな年をとり続けている。

昨日も今日も同じような価値観を持つ仲間と同じ温度感と角度の会話をエンドレスリピートしている瞬間にも老眼は進み、幼稚園児は小学生になり、小学生は中学生になり、甘酸っぱい青春、そして苦い思春期がやってきて、義務教育、そして高等教育を終えると労働義務に駆られて人は仕事に就き、35年ローンでマイホームを購入し、毎日往復2時間以上も電車に揺られながら、やがてくる定年退職を心の拠り所として生きようとするけれど、定年退職後も年金だけでは到底暮らしてはいけない、という切実な現実に直面してしまう人生の針は猛スピードで回転し続けている。

明日から新しいことを始めようとか、来年になったら始めようとか言ってる人は大抵何も始めることをしないし、そういう人にとっては新しいことを始めるコストが習慣的に高すぎてしまうのだ。新しいことを始める人は常に新しいことを始めていて、特に何も考えることなく新しいことを始めては今までやってきたこととその新しいことを結びつけることでさらに新しいところへとコマを進めようとするだろうし、新しい価値観、新しい言葉、新しい習慣、新しい感情に常日頃から遭遇している人たちは、肉体的には毎日同じ繰り返しをしている人たちと同じだけの年をとるわけだけれど、心の年齢というか気持ちの年齢というか魂の年齢というやつは割と若いままでいるだろうし、そういう人は常に新しい人と出会ってはああでもないこうでもないのどうでもいい談義に花を咲かせてはゲラゲラと腹を抱えて笑っているだろうから、新しいことを始めるタイプの人間になるか、新しいことを始めないタイプの人間になるかは自由だけれど、凝り固まった価値観の中で我慢して生き続けるのってやっぱりどうかと思うし、そういう人たちに限って、自分はこんなに我慢しているのにあいつはちっとも我慢していないって僕みたいな人間に対していきなりブチ切れたりすることもあるのだけど、悪いけど僕は我慢なんかできないし、したくないし、我慢しなくてすむようにめちゃくちゃいろんなことを先回りして考えて、時代の潮流を読んで、必要なスキルを身につけるための修行をして、せっせとお金を貯めては無理やりにでも時間を作って、めちゃくちゃいろんな場所に足を運んで、たくさんの人に出会って、世界各地にいろんな種を蒔いて生きてきたわけなので、我慢してる俺の方がエラいみたいな持論はもういいかげんやめてもらえますかね?

いやぁ、それにしても移動は疲れる。楽しいが疲れる。疲れるが楽しいので、まぁ、ちょっとだったら我慢もできる。今日もちょっと移動して、明日は何かまた新しいことを始めようじゃないか。とりあえず風呂だ、風呂に入ろう。そして焼肉でも食べるとしよう。

フェルマータ店主 KAORU

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