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やさしさ。

※ 中井久夫師が文化功労者に選ばれたときに,同門会誌に書いた文章です。

 さて、お祝いの文章なので、あまり他の人が書きそうにないことを書かねばならない。実際に中井先生に接したことがない人たちが書かないようなことを書かねばならない、と思う。

 私は先生のやさしさについて書こうと思う。私は半世紀以上生きてきて、先生以上にやさしい人に出逢ったことがない。中井先生の患者さんに対するやさしさを示すエピソードは、もちろんいっぱいある。でも、そんなことを今さら私がここで書く必要などないだろう。

 今となってはもう二昔前のはなしである。神戸大学病院の事務方に、Kさんという人がいた。痩身長身で、ちょっと原田憲一先生(前々東大精神科教授)似の男前だった。たぶん定年までの40年間、ずっと大学病院に勤務されていたのではないだろうか。病院の隅から隅までを知り尽くされていた。「彼がいまもし倒れたら、この病院の改築は即座にストップする」、と当時の病院長は言っていた。どこの倉庫に何が保管してあるか、そもそもどこに隠し倉庫があるのか、彼しか知らないことも多かったのである。

 Kさんには精神科もずいぶんお世話になった。旧清明寮には、精神科の古いカルテが何十年分も保管してあった。改築にあたって保管スペースがなくなるので古いカルテは捨てろ、という指示が出た。たしかに医師法の規定ではカルテの保管期間は5年である。5年を過ぎたカルテは廃棄してよいのだが、精神科ではそうもいかない。「ずっと昔の患者が障害年金の初発時診断書を書いてくれ、と言って来たらどうするのだ」、と中井先生は言われた。

 Kさんはそれに答えてくれた。古いカルテは病院本館の某所に疎開され、新病棟落成後には復帰した。

 そのときKさんが漏らした一言、「先生方がもう少しカルテを詰めて書いてくださったら、保管スペースが節約できるのですが」、を中井先生は聞き逃されなかった。聞き逃すどころか、それから退官までずっと、カルテの省スペース記載を心がけ続けられた。ときには私たち陪診者に、「いいかい、カルテは詰めて書くんだぞ」と諭すように言いながら、あるときはまた、「これはKさんとの約束だからな」と独り言をつぶやきながら。

 同門にはご存じの先生方も多いかと思うが、中井先生のカルテは、患者の言をほぼ逐語的に達筆の横書きの続け字で書き留めたものである。もとより無駄な空白はあまりない。それが、この一件以降、一頁あたりの記載量がより稠密になった。

 私にとって、これが中井先生のやさしさ、である。病院の裏方への感謝と報恩の気持ちと、そして病院の将来に向けた配慮。そういったものが一体となったものとしての、やさしさ。病院運営のシステムとかポリシーとかその改革とか、そういった標語的なものを掲げる前に、まずは自分の日常業務の中から改善を実践していく、そしてそれをずっと続けるという、とても地道なやさしさ。

 世間では、中井先生の深い洞察力や高い見識や該博な知識や繊細で緻密な観察力を、あるいは発想の天才的なユニークさを褒め称えているが、そんなことを今さら私が書いても意味が無い。私はもっと、“特権的”なことを書かねば。中井先生に実際に接した者だけが触れ得、学び得たことを。それをここに書くことで、中井先生に接したことのない人たちを驚かせ、悔しがらせ、呆れさせることこそが、ここでの私の務めであろう。

 私はそう考えた。

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