久々のnote(について)

noteでも、twitterでも、自分の感じたことや考えたことを、文章にして綺麗に表現できる人はいつも羨ましく思う。


つね日ごろ見聞きするものについて、思うことはいろいろとあるのだけど、頑張って言葉にすると堅苦しくなってしまうのが悩みだ。

話しているときには考えるより先に言葉が出てくるのに、文章として書くとなると次になんと書いていいかわからなくなるのは、言葉の行き先が定まってないからなんだと思う。

誰かと話してるときは、伝えたいこと、なんてものが最初にはなくても、会話はどんどんと先へ進んでいく。あれやこれや脱線したり、おそらく論理的に矛盾したこともいっぱい言いながら、進んでは引き返したり、進路を変えたりしてる。

それに比べて、長い文章を書くときには話し相手がいない。
自分の中の言葉で全てを語らなきゃいけなくなる。
誰かとの会話の中で言葉を紡ぎ出してきた自分にとっては、ちょっとした苦痛だ。


ただ、一人で何かを書くことについても、論じる、ことには比較的得意かもしれない。

何かの話題があって、それに対して反対の意見もあるよね、とか、こんな条件の元だったらそうはならないんじゃない?とか、それならこんなことが言えるよね、とか。

こういうときに脳みそが回転している場所は、どうしても論理的な部分になってしまう。

心惹かれるような、誰かに訴えかけるような、感性を揺さぶるような、そんな文章にいつも憧れるのだけど、自分の書く文章はきっと漢字が多すぎる笑

結局のところ、素直で純粋な心を持った人に憧れるんだよな〜〜

あと、それを伝えられる力を持つ人にも。

まあでも自分自身が持ってる力でやってくしかないからな〜。

とりあえずもうちょっと文章書くのが上手くなりたいな。