「軽蔑し合って」いるには違和感がある

 当の雨宮処凛は至極納得しているようだが、困窮者に「軽蔑」という他者との差別化意識が生きる支えになっているとは到底考えられない。家族的連帯の崩壊は、バブル崩壊と共に一気に膨れ上がった人口増加3千万人による自由主義的発想が、自ら自己を他者から切り離していく風潮から発生した現象だと思っている。
自由主義の基盤には少なからず「自己責任」は根付いているかも知れないが、それは時々やって来るものだ、本質論ではない。敢えて言えば、ところ所の戦う場面で決定的にぶつかることを避けてきた、何かと言うと、流れを把握する方法論に執着してその時の救済次元に持ち込もうとする、ある意味でスマートな体制を取ってきた。もちろんここの取り組みには個人的に限界がある。本人も含め自分なりに生きていかなければならない。
「秋葉原事件から15年」とは、社会現象における市民運動の力量は増々ひ弱になったプロセスだと言える。


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