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線でマンガを読む

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マンガ家の描く「線」に注目し、魅力を紹介する企画です。
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#レビュー

『線でマンガを読む』黒田硫黄

「恋人もいないし、クリスマスなんてなにも楽しいことないぞ!リア充爆発しろ」という方に、ぜひ読んでいただきたいマンガである。たぶん深い共感が得られることと思う。 黒田硫黄の『大日本天狗党絵詞』は、職業、学歴、恋愛などといった社会のステータスとされるものからはみ出た人間たちが、「天狗」を名乗り、やがて日本国を一大危機に陥れるカルト集団となる物語。怪しげな術を用いて天狗たちの長となる「師匠」と、主人公「シノブ」の師弟の愛憎の物語でもある。 『大日本天狗党絵詞』黒田硫黄 講談社 

線でマンガを読む・新学期直前スペシャル『唐沢なをき』

唐沢なをきのデビューは1980年代半ば。失礼ながら大ヒット作というのはないけれども、知る人ぞ知るギャグマンガ家として、今日に至るまで非常に長期間活躍している。短命に終わったり、途中からストーリーマンガにシフトすることの多いギャグマンガ家のなかで、この息の長さはおどろくべきものだ。タフさでいえば、中日ドラゴンズの岩瀬投手にだって匹敵するだろう。 唐沢の近作『まんが家総進撃』には、一般社会の常識から逸脱した、架空のマンガ家たちの数々の奇行が描かれている。笑いと悲しみが交互に襲っ

線でマンガを読む『売野機子』

マンガにおいて描かれる「美少女」とか「美人」の典型は、以下のようなものだろう。 (左:『火の鳥』手塚治虫  右:『恋は雨上がりのように』眉月じゅん) まず、目がとても大きい。顔全体の面積のかなりの部分を占め、瞳への光の入り方やまつ毛なども細かく描かれる。反対に鼻や口はできるだけさりげなく配置される。鼻の孔や唇は省略される。これは手塚治虫の時代から連綿と続くお約束だ。マンガ家の「キャラクターを描くときに、一番力をいれるのは、目」という旨のコメントは枚挙にいとまがない。キャラ

線でマンガを読む『西村ツチカ×岩明均』

変幻自在。西村ツチカにはこの言葉がふさわしい。物語によって、大胆にタッチを変える作家である。Gペン、ないし丸ペンを多用するが、同じペンでもまったく異なる雰囲気を演出する、高い表現力の持ち主だ。以下の4つの絵は、どれも西村の最新短編集『アイスバーン』に収められている作品から引用したものだ。ひとりの作家がこれだけ自由に絵柄を変えられる、ということに驚いてしまう。 (『アイスバーン』西村ツチカ 2017) アメコミのようなタッチから、少女マンガ的な繊細さまで、器用に操る西村だが

線でマンガを読む『タカノ綾×西島大介』

映画、小説などの作品には、その作品ごとの時間感覚、スピード感がある。例えば映画ではカットを短くつなげて素早い動作を演出したり、反対に、延々と同じカットを長まわしして、ゆったりとした時の流れを観客に感じさせたりという工夫によって、作品の「色」が決まる。マンガにおいて、映画のカット割りと相同の役割を果たすのは、コマ割りであるが、「線」そのものも時間感覚を決定する重要なファクターとなりうる。今回は、時間感覚において対照的な印象をもたらすふたりの作家、タカノ綾と西島大介の線を紹介した

線でマンガを読む『五十嵐大介』

作家の引く描線は彼の物語、宇宙観を何よりも雄弁に語るだろう。その典型例が、五十嵐大介である。 五十嵐は主線に強弱が比較的つきにくく、細い線を引くことができる丸ペンを用い、細部をボールペンで緻密に書き込んでゆく。微細な線の集積によって描かれた、人物を圧倒するほどの存在感を有する動植物たち。一般にマンガに描かれる動物や植物は、デフォルメされたり、あくまで「背景」として簡略化されることが多いが、五十嵐の場合はちがう。五十嵐は「自然」を描くことに尋常ではないこだわりを持った作家だ。