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線でマンガを読む

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マンガ家の描く「線」に注目し、魅力を紹介する企画です。
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記事一覧

『線でマンガを読む』奥田亜紀子

つい最近発売された、奥田亜紀子のマンガ短編集『心臓』がとても良かった。夢中になって一気読みしてしまって、そのあとに、ちょっと後悔した。すごく繊細な料理を、手づかみで一口で食べてしまったような気分だ。もっとじっくり味わって読むべきだった。 すばらしいのが、光の表現だ。太陽の光や、蛍光灯の光。木造家屋の、ガラスや障子を透過して畳におちるにぶい光、木々のあいだを抜けて渓流に切り込む光。モノクロのマンガの、トーンワークによって、表現される多種多様な光。すばらしい観察力。 (『心臓

『線でマンガを読む』黒田硫黄

「恋人もいないし、クリスマスなんてなにも楽しいことないぞ!リア充爆発しろ」という方に、ぜひ読んでいただきたいマンガである。たぶん深い共感が得られることと思う。 黒田硫黄の『大日本天狗党絵詞』は、職業、学歴、恋愛などといった社会のステータスとされるものからはみ出た人間たちが、「天狗」を名乗り、やがて日本国を一大危機に陥れるカルト集団となる物語。怪しげな術を用いて天狗たちの長となる「師匠」と、主人公「シノブ」の師弟の愛憎の物語でもある。 『大日本天狗党絵詞』黒田硫黄 講談社 

『線でマンガを読む』植芝理一

奇怪な事件が起こっている。とある女学校にて、数ヶ月のあいだに中等部の24人もの生徒が妊娠したのだ。学校は性的モラルの乱れとしてその生徒たちを停学処分にしたが、検査の結果、生徒たちは本当に妊娠していたわけではなかった。病院は彼女たち全員を、なんらかの精神的な抑圧で、身体が妊娠したときと同じ様子になる、「想像妊娠」だと推定するが、原因は分からない。 『夢使い』というマンガを、ざっくりと説明するならば、京極夏彦の影響を色濃く受けた伝奇ミステリに、萌えマンガの要素をつけたした作品、

『線でマンガを読む』ひさうちみちお

ハンガリー生まれの社会学者、カール・マンハイムが語るように、あらゆる知識、信念体系はそれを信ずる個人や集団の社会のなかでの位置によって規定される。誰にとっても都合のよい、真に中立的な知識や信念は存在しない。政治家は政治の、宗教家は宗教の、国民は自身の置かれた生活の枠組みのなかから、各々にとってよりベターとなる信念を表明する。 いっけん自分にとって不利益になるような行動をする人もいる。たとえば自分の全財産を慈善団体に寄付するような人だ。しかし、彼も先のマンハイムの言葉からけし

『線でマンガを読む』さくらももこ

『ちびまる子ちゃん』連載第1回がどんなお話だったか、覚えておられるだろうか。一学期が終わり、明日からは夏休み。学校から帰宅途中のまる子とおねえちゃんが、ひとりのおっさんと遭遇する。 『ちびまる子ちゃん』さくらももこ(集英社)1巻 P.7 子ども相手に他愛のない手品グッズを売りさばいているおっさんなのだが、完全にアウトな業界の人だ。言わずと知れた少女マンガ誌「りぼん」の、連載第1回で、こういうタイプの人間を登場させるというのが、すごい。まあふつうの少女マンガには出てこないだ

線でマンガを読む『コマツ シンヤ』

うだるような暑さのなか、『線でマンガを読む』を書こうと思って本棚を物色していると、いいものを見つけた。コマツ シンヤの『8月のソーダ水』である。ページをめくると、気温が3℃くらい下がったような気分になる。 『8月のソーダ水』 架空の街、翠曜岬を舞台とした連作短編である。主人公のまわりで起こる、ちょっと不思議な出来事を、海のにおいのする青色をふんだんに散りばめた爽やかな筆致でつづったマンガだ。季節は夏だが、今の日本のようなむっとする熱気ではない。パラソルの下で、うたたねした

線でマンガを読む『藤子・F・不二雄』

あらためて読み返してみると、とんでもないエピソードが満載なのだ。「なんでも空港」という、”近くを飛んでいるものならなんでも降りてくる”ひみつ道具を使い、鳥や蝶を集めて遊んでたところまではよかったが、なんとジャンボジェットが引き寄せられて降りてきてしまう。物語は飛行機が不時着する寸前のところで終わるが、このあとどうなっただろう。ふつうに考えれば、大事件である。 『ドラえもん』 また、オンボロ旅館を立て直すためにドラえもんとのび太が奮闘する回では、旅館に食材を買うお金がなく、

線でマンガを読む『古屋兎丸×荒俣宏』

古屋兎丸はマンガ家になる前には美術の教師だったそうだ。絵画の正統的な教養を有するその絵は、人体の質感を細やかに描きだす。表情に線を加えることに禁欲的な作家であり、なまめかしい身体を持つが、感情の読み取れない、人形のような、ヒトであってヒトであらざるようなキャラクターを描いてきた。古屋作品には独特の離人感がある。私の好きなのは、荒俣宏とコラボした『裸体の起源』。 「マザーの花がひらく」。トビウオたちが浮足立っている。それは新たな人が誕生することを意味している。このたびは「嘆き

線でマンガを読む『座二郎』

電車のなかにゾウが現れたり、車両がまるごとバーになっていて、白い犬のようなバーテンに迎えられる。そのほか、文房具屋や回転寿司屋を営んでいる車両が、ふつうの通勤車両に連結されている。さらには、会社や住宅、水族館、あらゆる建物が列車の一部となって絶えず走り続けている不思議な世界と、現実を往還するお話だ。ロシア・アヴァンギャルドを思わせる色使いも魅力的。 『RAPID COMMUTER UNDERGROUND』 『RAPID COMMUTER UNDERGROUND ラピッド・

線でマンガを読む『遠藤浩輝』

遠藤浩輝が格闘技マンガを描きはじめたとき、大丈夫かな、と思った。遠藤には『EDEN 〜It's an Endless World!〜』という近未来SF作品があって、これが傑作だったからだ。『EDEN』にはJ・G・バラードの影響を多分に受けたとおぼしい、人類のゆくえに対するドライな視点と、それだけに留まらない骨太のヒューマンドラマが共存していて、その作者が、格闘技のマンガを手がけることは畑違いではないかと、多少の違和感をおぼえた。 しかし、そんなことはまったくの杞憂だった。遠

線でマンガを読む『あずま きよひこ』

ついこのあいだ、あずまきよひこの『よつばと!』14巻が発売されていたので、即購入。連載がはじまって15年というから驚きだ。休載期間もあったが、外国で「とーちゃん」に拾われて日本にやってきた幼児、よつばの微笑ましい日常を描いた作品を、あずまはまるで伝統工芸職人のような粘り強さで拵え続けている。 あずまの出世作は『あずまんが大王』という女子高校生の日常4コママンガ。この作品では、高校生活の3年間と実際の連載の期間をリンクさせていた。現実の1年分の連載にあわせて登場人物が進級し、

線でマンガを読む『大橋裕之』

「ナマケモノ」という生き物がいる。人間によってなんとも侮辱的な名前をつけられた動物だ。確かに、ふだんは木にぶら下がって怠けているように見えないこともない。しかし、彼にだって、本気を出すときがあるのだ。繁殖期を迎えると、オスは自分の島を出て、海を泳いでメスを探しに行くのである。ギャップというやつの効果は絶大で、木の枝にぶらぶらしているナマケモノが、このときばかりはと、命がけで泳ぐ姿に心を打たれる。 大橋裕之というマンガ家がいる。彼の作品では、貧乏な若者や、スクールカーストの真

線でマンガを読む『中村明日美子 後編』

マンガを読むさい、私たちは、無意識のうちにそこに描かれているものを「絵」と「コマ」に分け、前者がマンガの"中身"で、後者はその内容を伝達するための"容器"のようなものと考えている。そういうルールが刷り込まれているからだ。しかし、そのルールをいちど忘れてみたとき、両者に何らかの違いはあるだろうか。 乾パンなどでつくった「食べられる容器」というものがある。なかに入っている料理を食べたのち、それ自身も食べてしまえるような器。マンガの絵とコマの関係も、じつはこれに近いのではないか。

線でマンガを読む『中村明日美子 前編』

フランスの映画監督、ジェルメール・デュラックは、「絵画の素材が色であり、音楽の素材が音であるなら、映画の素材は運動である」と述べた。それに倣えば、マンガの素材は<線>だ。そして面白いことに、マンガにおいては、人物や物体、風景などといった、描かれるもの(絵)と、それらを異なる時間、空間の中に配置するもの(コマ)が、ともに線で成り立っている。画面に描かれている正方形の線が、「絵」なのか、あるいは「コマ」なのかを決定するのは、書き手と読み手の暗黙の了解に基づく。 たとえば上記のよ