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マンガの中の少女マンガ/家(10):君島いづみ『異世界トリップした新人少女漫画家はどうやら聖女になるようです!?』

 異世界転生ものである。
 近年ではもマンガやライトノベルのうちでもっとも巨大なジャンルのひとつと化している異世界転生ものだが、その素材として「少女マンガ」が取り上げられることもしばしばある。管見の限りでも、桜あげはが原作、ひだか なみがキャラクター原案となるラノベコミカライズである、條 『転生先が少女漫画の白豚令嬢だったReBoooot!』(いやそれにしても白豚令嬢て)や湊アキラ『アラフィフ転生』〜少女漫画の世界で「オモシレー女だな」と言われ求婚されまくりました』(タイトルも強烈だが実際、怪作である)などがある。この辺については、あらためてとりあげたいのだが、ともあれ少女マンガの世界に転生するものに比べて、少女マンガ家が転生する話となると珍しい。(異世界転生についてはその膨大さに把握しきれていないので、詳しい方からの情報提供をお待ちしています)
 しかも本作の場合、担当編集者と一緒であり、主人公は転生先でもマンガを描こうとするのである。ちなみに初出媒体は白泉社のデジタル雑誌『異世界転生LaLa』で、現在も連載中である(つか、そんな雑誌まであるのかよ!である)。

 主人公は高橋みづは「白泉社の新人マンガ描き」であり、近頃なかなか作品が掲載されず自分の才能に限界を感じている。白泉社の本社ビル(の1階の喫茶室?行ったことないけど描写はリアルなのかしら?)で編集者の松村と打ち合わせをしているといきなりトラックがそこに突っ込んできて…気づくと異世界に召喚されており、聖女の役割を担わされることになるのであった。そして、たまたま一緒にいた担当松村もまとめて召喚されてしまったのであった。と、ここまでの展開は定型的かつスピーディーである。しかし、こうしたとにかく迅速な導入には異世界転生もの特有のある種の快楽があるのであった。
 本作の読みどころは主人公&担当が転生した先でも、やっぱりマンガを描こう!描きたい!と情熱を燃やしていく点である。主人公は自意識としては「友達なし」「恋人なし」「おまけに8年伸び悩み」の「圧倒的陰キャ」であり、一方で担当の松村は(これも主人公目線の評価だが)「コミュ力オバケ」の「圧倒的陽キャ」と対照的だが、あらゆるエンタメが禁じられ存在しない世界で、なんとかしてマンガを描こうと模索し始める。
 異世界ものの体裁だが、スランプに陥って自身をなくしかけたマンガ家と自分が才能を見出した作家をなかなか成功へと導けず思い悩む編集者の再起のの物語、”異世界まんが道”なのである。マンガへの情熱によってつながるふたりのシスターフッドも良い。
 
 さて、「少女マンガ家」表象である。こういった関心から見てみるとただちに気づくのは、本編ではこのことばがとくに用いられるわけではないということだ。主人公・高橋はよく用いるのは「漫画描き」ということばであり、松村も高橋を「我が社の描き手」と呼ぶ場面がある。その他でも「漫画家」「漫画」という表現は出てきても、作中でそこに「少女」が冠されることはない。松村は『月刊LaLa』の編集者なのだが、作中では少女マンガというジャンルが強調されることはない。
 そのことを反映しているのか、「少女マンガ家もの」によくあるような実際の恋愛経験の有無と実作を結びつけるような視点は(少なくとも1巻時点では)はっきりとは見られない。たしかに主人公は「陰キャ」ぶりは強調されるわけだが、これはどちらかといえば少女マンガ家というよりはより一般的なオタクのイメージが反映されていると言えそうだ。
 たとえば異世界で起きるできごとや現れる人物を「異世界転生あるある」として受け止めるという点もオタク的な視点といえそうだが、これはマンガ家、担当どちらにも見られるものだ。こうしたオタク目線は異世界転生ものでは珍しいものではないだろう。

 こうしてみてみると、本作は異世界もののフォーマットにハマることで、少女マンガ家のジェンダー化を今のところうまくすり抜けているように思える。今後の展開が気になるところだ。

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