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マンガの中の少女マンガ/家(14) :巴里夫『いま何時?』(1971)


巴里夫『いま何時?』りぼんマスコットコミックス、集英社、1972年

 巴里夫は一九五四年に貸本マンガの版元である日の丸文庫から『母を呼ぶ歌』で本格的なマンガ家としてのデビューを果たし、以降10年ほど貸本マンガ業界で活動したあと、1960年代中頃に雑誌デビューからは『りぼん』を中心とした少女マンガ雑誌などで数多くの作品を発表した。代表的な作品としては「5年ひばり組」がある。「赤いリュックサック」などの戦災を描いたずっしりと思い作品でも知られるが、子どもたちの健やかな姿を描く明朗な作風こそが持ち味だろう。

 1971年に『りぼん』で連載された「いま何時?」はペンを握り原稿を前にしつつこちらを振り向いてピースする少女が描かれた表紙からに示されているように、主人公・すすきはマンガ家志望の小学生。三姉妹の末っ子で、お父さんは早くに亡くなったお母さんのかわりに家事もこなさねばならぬということで会社を辞めて家で書道教室を営み生計を立てている。
 すすきを中心としてこの一家を描く、巴の明朗な作風が存分に発揮されたコメディだ。全6話のうち、すすきの創作活動が大きな主要なテーマになるのは第1話「まんが家志望の巻」第4話「飛鳥ケイがんばるの巻」という二つのエピソードだ。ちなみに「飛鳥ケイ」はすすきのペンネームである。
 「まんが家志望の巻」では、すすきと親友にしてライバルのマンガ仲間・山本啓一(PN・レイモンド山本)とお互いの描いた作品を見せ合って勝負するのだが、どうしてもかなわない。
 自分の描くラブラマンスの薄っぺらさを克服するために、すすきは姉のデートを付け回したりと取材に精を出すことになる…という流れと、啓一との仲たがいから和解への流れが重なりあいつつ、物語は進行する。

 この作品でも「少女マンガ家」や「少女マンガ」といったことばは用いられていないのだが、すすきが描くのが少女向けの恋愛ものなのは明らかで、第一話の冒頭は彼女の描くマンガのなかのキスシーンで始まる。(図1)

図1:このあと次女に「ばかみたいなキスシーン」と一刀両断されてしまうのであった
(『いま何時?』集英社、1972,p.8)


 ちなみに第3話「さくらねえさんの婚約者」では、長女さくらが家につれてきた婚約者の青年(犬猫病院の先生である)による「マンガといえばきみもやっぱり顔中目だらけみたいな少女の絵をかくんだろう」なんて台詞もある。(図2)「少女マンガ」のステレオタイプなイメージとしての「巨大な瞳の少女」はこの時点で確立しており、当の少女マンガの読者たちも、そうした表現へに対する皮肉な視線をある程度まで自覚していたといえそうだ。

図2:すすきの怒りはまったくもって正当である。
(『いま何時?』集英社、1972,p.77)

 さて、すすきがぶつかった創作における壁は、啓一との仲直りをきっかけに乗り越えられる。身の丈に合わないラブロマンスを無理して描くのをやめて、すすきは「あたしと啓一くんのことをヒント」にした物語を描くことにするのだ。「じぶんがいま心の底からかんじてることをかかなきゃいけないのよ」「それがあたしだけにかける愛のマンガさ」というわけである。(pp.35-36)
 このエピソードでは、当初は「お花畑」で夢見がちなリアリティを欠く恋愛を描くことしかできなかった主人公が、実体験を見つめ直すことで自分なりの「愛のマンガ」を描く糸口をつかむ。現実の恋愛経験が創作と結びつくというおなじみのパターンはここにも見受けられるわけだ。
 実体験重視の姿勢は「飛鳥ケイがんばるの巻」にも見られるもので、「りぼん新人漫画賞」への投稿作執筆に没頭するすすきは、試行錯誤の果てに自分たち三姉妹のことをモデルにした作品を描きあげる。

 それにしても興味深いのは、こうした実体験重視の姿勢が、啓一の描くマンガの方にはとくに求められていない点だ。啓一が描くのは「空想の宇宙船」なのだが、そのことはまったく問題にされないのである(図3)。

図3:啓一は無邪気に「空想の宇宙船をかいてるときがいちばんごきげんなのさ」と言うのだが、それは男の子だから許されることなのかもしれない
(『いま何時?』集英社、1972,p.17)


 もちろん、ここでは主人公との対比が必要なので啓一まで創作の壁にぶつからせている暇はない。しかし、そうした作劇上の理由があるにしても、男の子の描く「空想」の物語は実体験による裏付けは求められず、女の子の描く「夢想」の物語には実体験による克服が要求されるという対比は無視できないことのように思える。
 その夢想的な態度が現実逃避的なものとして批判されるというのは、少女文化に対して繰り返されてきたことだからだ。

 なお、余談だが主人公・すすきはマンガの案を出すために逆立ちをするのだが、やおら教室の中で逆立ちを始めたりするので、啓一とともに「マンガに熱中しすぎるとあんなふうにくるっちゃうのよ」とクラスメイトから呆れられている。(図4)
 熱中しすぎには我々も気をつけていきたいところである。

図4:「キエーッ」が素晴らしい。それにしてもすすきはスカートなのにいきなり逆立ちをするのはよした方がいいのではないか。
(『いま何時?』集英社、1972,p.29)

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