マンガの中の少女マンガ/家(5):森田羊『少女マンガはお嫌いですか?』

 少女マンガ家が出てくるマンガとして、このnoteで取り上げたタイトルを振り返ると「少女マンガ家が恋をする」話ばかりである。その相手はアシスタントだったり、編集者だったり、カフェの店員だったりするわけだが、ともあれ恋愛の当事者として少女マンガ家が登場し、その経験の有無はしばしば創作と関連付けられる。
 こうしたタイプの作品を支えているのは、少女マンガが恋愛を主たる関心とするジャンルであるというイメージ、実際の恋愛経験は創作における恋愛描写に反映されるというイメージ、そして「少女マンガ家=少女/マンガ家」というイメージだ。
 さらに付け加えておくと、多くの作品において共通するのは「少女マンガの恋愛はリアルではない」というイメージで、別の言い方をすれば要するに「お花畑」なのが少女マンガの恋愛観であるということだ。そのため、恋愛の物語を描いているにも関わらず、現実の恋愛においてはひどく経験不足で不器用なキャラクターとして少女マンガ家たちは振る舞うことになる。

 だから、現実の体験を参考にしてこれを作品内の恋愛の説得力ある描写に活かそうということになる。もっとも、単純に経験が描写のリアリティを生むというだけでなく、マンガ家自身が恋をしていること、その感情的なコンディションが“筆のノリ”に反映されるという点も重視されているようだ。
 いずれにしろ、作家自身が恋愛当事者であることが大事なのだし、経験は創作に活かされる。これまで取り上げた作品の基本的な方向性だ。
 
 対して、今回取り上げる森田羊『少女マンガはお嫌いですか?』では、少女マンガが恋愛の指南書となる。そして、主人公にして恋愛の当事者になるのはマンガ家ではなく編集者だ。ただし、マンガ家が現実の恋愛を創作に活かすというパターンも姿を消したわけではなく、話はいささか込み入っている。

 このマンガの主人公・神川小晴、通称・ハレは少女マンガ雑誌の編集者。彼女が担当するのは、雑誌の看板である弱冠17歳の女子高生マンガ家・山田えみゅだ。えみゅの作品に登場する「メガネ男子」な新キャラクターのイメージを膨らませるために参考となる人物を探すハレだが、たまたま入った薬局でイケメンの薬剤師・沢木と遭遇する。イメージ通りのビジュアルをした沢木にすかさず取材を申し込むハレ。しかし、沢木はハレが差し出した名刺を目の前で破り捨てると「二度と/来んな」と冷たくあしらうのだった。そう、この男、ツラはいいがめちゃくちゃに感じが悪いのである。(ごく個人的な意見を述べれば、顔だってそこまでというか、ひと目見て「あ!イケメン発見!!」ってなるほどか?お話の中でそういうことになってるのは承知しましたけどぉ〜、という感じである。が、それはともかく)
 かくして交渉決裂となるかというと、それで納得するえみゅ先生ではない。なんと、沢木をお前の彼氏にしろ、そうすればいくらでも話を聞けるだろう、というこれ以上ない無茶ぶりをしてくるのだ。こんな要求に人気マンガ家のいうことならばと渋々従う主人公の弱気さもどうかと思うが、ともあれアプローチが始まる。しかし、当たり前だが沢木の方はにべもない。それどころか、ハレが愛してやまない少女マンガを「まあ/あんなの/でかい目で/キラキラした/人たちが」「好きと/嫌いだけで/ヒステリックに/生きる世界/なんて」「中身が/ないんですよ」と言ってのけるのだ。そう、この男、めちゃくちゃに感じが悪いのである。

 この時点で水でもぶっかけて帰ればいいと思うのだが、ハレは案外しぶとい。「この人の中の/少女マンガの/イメージを/よく/しなきゃ」と説得を開始、少女マンガが「女心の勉強」に役立つことをアピールしだすのだ。そして、意外にも沢木はその説に食いついてくるのである。そして、取材を受ける代わりに、女心を理解する少女マンガ編集者としての手腕で自分でモテ男にプロデュースしろという条件を提示する。いわく「金があり/顔もそこそこ/イケてる/基準値/クリアの/この俺が」「簡単に女性を/落とすことが/できるのか/非常に/興味が/あります」とのこと。そう、この男、ほんとにめちゃくちゃ感じが悪いのである。

 もっとも、こうした不遜な態度は虚勢であるのはすぐに明らかとなり、実は沢木には高校時代から一途に想いを寄せる相手がいたことが判明する。彼女の前ではうまく振る舞えない自分を変えるために、藁にもすがる気持ちでハレの少女マンガ脳に頼ったというのが真相で、実はおきまりの純情で不器用な男ということになる。しかし、そう言いながら、路上でコケたハレが助けおこすことを求めるとそれを拒み「なんでも/少女マンガ展開で/考えないでください」「現実はこんなもんです」などと上から目線で言ってくるのだから、やっぱりこの男、めちゃくちゃ感じが悪い。
 このシチュエーションでこんな嫌味を言い出す男の方が一般的ではないだろうから、「現実はこんなもんです」と言われてもなという感じである。

 とはいえ、このようにお互い印象最悪なふたりだが、もちろんそこは少女マンガ(といっても掲載雑誌『BE・LOVE』は女性マンガと呼んだ方がふさわしい気がするが、このあたりも気にしだすときりがないので、ひとまず「(広義の)少女マンガ」ということで大雑把に話を進めておく)なので、次第に惹かれあっていくことになる。その際に、トリックスター的な振る舞いでその関係性に刺激を与えるのが、少女マンガ家・えみゅである。雑誌の売り上げを左右する売れっ子なのをいいことに、沢木と関係を持つことをえみゅに迫る。このあたり、えみゅのいくらなんでも傲慢な振る舞いが目立つが、その辺は作中でも釘が刺されている。ともあれハレは、沢木の一途な想いに心を動かされたこともあり、えみゅの思惑にも沿う形で、経験不足の沢木が想い人にアプローチするための練習として、疑似的な恋愛関係、恋人ごっこをしようと持ちかける。そして、なんのかんのと嫌味を言いながらも沢木もその話に乗るのだ。
 
 やがてハレにアプローチする先輩編集者も登場、あくまで疑似恋愛なはずなのに、沢木もいつの間にか本命だったはずの相手よりもハレのことが気になりだし…そして物語はおさまるべきところにおさまってゆく。

 さて、本作では「少女マンガが恋愛の指南書になる」と先に述べたが、細かく見てゆくと、実際には女心をつかむ“王子様“的な振る舞いを学ぶためのものとして少女マンガが位置付けられていることがわかる。当て馬の役回りで登場する先輩編集者は、スマートな振る舞いでハレに接するが、その理由として示されるのも少女マンガの編集経験である。

 “王子様“的なコミュニケーションスキルの指南書として少女マンガに学ぶという展開は、「キスさえ知らない少女漫画家」にも出てきたもので、少女マンガの恋愛観は“お花畑“というイメージがその背景にはある。だからこそ、「大人の恋愛」を描こうと野心に燃えるえみゅは、ハレを使嗾して沢木と関係を持たせようとするのだ。この人に恋愛をさせて自作のネタにするというパターンは他の作品でも見られるので、おいおい触れる機会もあると思う。

 また、作者自身や作品自体に学ぼうとするのではなく、少女マンガを熟知した編集者から女心を学ぼうとするのもこの作品の興味深いポイントだろう。少女マンガに描かれる理想の恋愛について、その魅力は知りつつもある程度は客観的に捉えられる存在でないと、現実への応用は難しいということだろうか。とはいえ、ハレはかなりの少女マンガ脳なので、それほど客観的でないような気もするのだが。

 ともあれ、「少女マンガの恋愛を学ぶ」というパターンにおいても、少女マンガに描かれる恋愛が“お花畑“であるという認識自体に変わりはないようだ。ただし、本作ではこうした理想化された“お花畑“の意義について主人公が力説する場面がある。すっ転んだのを助けもしないで嫌味をいう沢木ハレがタンカを切るくだりだ。引用しておこう。

私ら/女子は 現実で/転んだら
手を差し/伸べてくれる/イケメンも/やさしく諭してくれる/ロマンスグレーの/オヤジも/いない/ことくらい知っています
だからみんな/自力で/立ち上がって/いるんですよ
夢見たって/いいじゃない/ですか
マンガの中で/くらいは
求めたって/いいじゃない/ですか/身近な男性に/そんな夢のような/部分を

森田羊『少女マンガはお嫌いですか?』1巻、講談社、2017,p.83。

 おっしゃる通り。さて、このセリフに沢木がどうリアクションしたのかというと、なんと無言で立ち去ってしまうのである。やっぱり、この男、感じ悪いのである。

〈了〉

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