Ⅴ.酒呑童子オルタはどこまでハジけるか? 2/2 ~酒呑童子の過去を妄想する~
さて、前回の続きである。
前回、酒呑童子はその説話の「母体」を中国の説話『白猿伝』あるいは『失妻記』に持っており、その『失妻記』において酒呑童子に相応した立ち位置にあるのが「斉天大聖」という大猿の精だったということをみた。
伝わっている酒呑童子の説話の内側には、大陸(中国)との連動がない以上、サーヴァント・酒呑童子の大陸にいたことがある設定について解き明かす要素が、こういった説話の外側にあるのではないか、と予想しつつも。
説話の「母体」としてのつながりをサーヴァントとしての同一性に仮託するのは相当ムリがある。
これは例えばケルト神話におけるカラドボルグがアーサー王伝説のカレトヴルッフ → エクスカリバーの原型だから、フェルグス・マック・ロイこそが実はアーサー王その人である、と言う強引さに近いかも知れない。
…ということはわかっている前提で、とはいえ、他に大陸との連動要素を(少なくとも現時点の僕は)見つけられていないことと、考察の正しさはともかく、酒呑童子一般について、断片的にでも情報をお届けすることに意義があるのでは?という観点から、酒呑童子が「斉天大聖」なのか、あるいは「斉天大聖」の後の姿である「孫悟空」と交差し得るのか、今回は具体的にFGOの酒呑童子の要素を拾いながら見ていこう。
<⑤ 酒呑さんはおいくつなのか?>
レディにお歳を尋ねるのは失礼、かも知れないが、やはり先ずは生きていた(だろう)年代を確認せずには、過去のことは辿れない。
酒呑さんには内緒で、説話に語られた内容から、ここを少し見ていこう。
お馴染みになるが、まずは最古の稿本『大江山絵詞』を見ていこう。
『大江山絵詞』では、酒呑童子の年齢の設定について、何点か、注目すべき要素が出てくる。
先ずは年代の指定だ(西暦で計算していく)。
1点目は、説話の本編である酒呑童子の討伐が995年に起こったことだ。
2点目は、酒呑童子は伝教大師(最澄)に、さらに次いで桓武天皇に、すみかとしていた山を追い出されているということだ。最澄の生没は766~822年ではあるが、桓武天皇が崩御したのは806年だから、最大限短く見積もっても806年には生きていた、というか、説話に曰く「平野山に住んでいたが最澄に追い出され、近江国かが山に鞍替えしていた」ため、既にこの時点で相当な力を為していたため、生まれはもっと早いと思ったほうが良い。
3点目は、酒呑童子が大江山に住み着いた時期で、これは嘉承二年=849年、と明確に指定がある。
ということで、既にお気づきのように『大江山絵詞』では酒呑童子は相当に長命な存在として仮定されていた。
大江山に住み着いてから討伐されるまでに146年経っており、その前に、近江国かが山を追い出される時点から見れば、討伐された時点では、相当に少なく見積もっても189歳以上だ、ということになる。
ただ、年代指定以上に注目すべき要素がある。
以前、【境界】の話をしたときに出てきた、大江山に分け入っていく時に現れる洗濯婆の台詞の内容だ。彼女は自分自身について、
“本はよな、生田の里の賤の女にて侍りしが、思はぬ外に、鬼王に捕られて此の所に来て侍りし時、『骨強く筋高し』とて捨てられしが、この器量の者とて、斯かる着物を洗はせらるゝなり。古里も懐しく、親しき者も恋しけれども、春行き秋闌けて、既に二百余廻りの季月を重ねたり。”
(『大江山絵詞』高橋昌明氏復元案 上巻 第三段)
と言っている。この「二百余廻りの季月を重ねたり。」という言及をそのままの意味で受け止めると、酒呑童子の魔力(と仮に呼ぶ)によって200年生きてきた、ということになる(そのような解釈が一般的だろう)。
仮に、酒呑童子の寿命が300年前後程度であるとすると、洗濯婆に200年余りの命を与えられるわけもないと(通常は…つまり、酒呑童子と洗濯婆に、何らかのドラマを妄想しなければ)推定できるのではないか。つまり酒呑童子は、こういった事が自在に行える(=200年の歳月が大したものでない)ほど長命の者として仮定されていたのではないか、という推理が立つ。
ただここで気になるのは、酒呑童子が大江山に戻ってきてから200年となると、849年(討伐される146年前)に大江山に戻ってきた事とは整合性が取れない点だ。ここは、説話内にある矛盾なのだろうか。
そうであってもいいだろうが、以前に紹介した、酒呑童子の住処では仙界あるいは竜宮と同様の時間が流れているのではないか、という解釈を忘れてはいけない。
そもそも鬼ヶ城の内部では四季が同時に顕現している以上、「春行き秋闌けて、既に二百余廻りの季月を重ねたり。」という洗濯婆の認識も怪しいものである。
この、酒呑童子に流れている時間について、書籍の言及を紹介する。鬼ヶ城を竜宮、あるいは仙境と見なし指摘した高橋昌明氏『酒呑童子の誕生』によれば、以前紹介したように
“四季が一時に見られるのは、仙境と娑婆(現世)では時間論的に、異なった時間が流れているからである。仙境では時間はせき止められ、四季も移ろわず並列したままである。永遠の時間が支配する場と言い換えてもよい。”
(高橋昌明『酒呑童子の誕生』 第三章 竜宮城の酒天童子(中公新書、1992年))
としたうえで、酒呑童子の寿命についても言及がある。曰く
“時間の永遠性というテーマは、アジアの前近代人の場合抽象的概念でなく、不老不死という具体性をともなわねばならない。(中略)酒呑童子が退治されてのち、老婆も死んでしまうのは、主の死とともに仙境そのものが消失し、天寿をはるかに超えた彼女の命を支えるすべが失われたからだろう。”
(高橋昌明『酒呑童子の誕生』 第三章 竜宮城の酒天童子(中公新書、1992年))
という。つまり、酒呑童子はそもそも竜宮のあるいは仙境の存在(=仙人)だから、(ほぼ)不老長生の存在として扱われている、という事になる。
一方、小松和彦氏は著書『酒呑童子の首』の中では、酒呑童子の性質というより、酒呑童子の住む世界側に主眼を置いて、もっと直截的に
“この「鬼隠しの里」と「王土」との間の違いとして、時間の流れの違いが挙げられている。王土=人間世界では、どんなに長生きしても百歳くらいまでしか生きられない。ところが、鬼隠しの里=鬼の世界では、人間世界の時間でいえば二百年余歳まで軽々と生きられるのである。別の言い方をすれば、鬼隠しの里では、時間がゆっくりと流れているということになる。”
(小松和彦『酒呑童子の首』Ⅰ 鬼と権力 酒呑童子の首-日本中世王権説話にみる「外部」の表象化 (せりか書房、1997年))
としているが、いずれにせよ、いよいよ酒呑さんがお幾つなのかはよくわからなくなってきたことに変わりない。そもそも、時間の流れが異なる・あるいはせき止められている仙境の住人だとすると、人間の側でカウントしている年数に、ほぼ意味はないのかも知れない。
サーヴァント・酒呑童子の台詞のなかにも、ヒトを定命の者とみなすような言及(=自らは永遠性を保持していることの示唆?)がある。もちろん、明確にそうなわけではないのだが…。
さて、出生について定かではない『大江山絵詞』では、酒呑童子の年齢はほぼ追えないようだが、他の説話での設定も見ていこう。これらでは比較的単純に計算できる。
「伊吹山系」の説話のなかでも、最も端的な事実として、酒呑童子と伊吹大明神=八岐大蛇との関連性を記しているバージョンのひとつ、根津美術館蔵の住吉弘尚8巻本『酒呑童子絵巻』を見てみよう。
酒呑童子は、その伊吹大明神に由来した出生後、3歳で酒を飲み始めて、これでは魔性になるといって、10歳のときに、比叡山の伝教大師(最澄)のもとに預けられたという設定が明確に書いてある。
小坊主に「預けた」という表現はしないだろうから、この時点で、最澄は相当偉くなっていたと思われるが、「嵯峨天皇の時期に比叡山にいた」という言及もあることから、嵯峨天皇在位の期間809~823年の間に預けられたことになる(最澄にとってはほぼ晩年の期間だ)。
この期間に10歳だったということは、799~813年生まれになる。
討伐された時点(995年)での推定年齢は186~196歳という風に、明確に算出できる。
FGOのマテリアルに記載のある、九頭竜(戸隠信仰)との関連の強い渋川版『御伽草子』で語られる由来ではどうか。しかしこれは以前に紹介したように、越後の出生であることしか書かれていないため、あるいはそれに連なると思われる越後の国上寺に伝わる由来(戸隠に祈ったことで酒呑童子を身ごもった説)と併せて見てみよう。
国上寺の由来にある、「酒呑童子の父母が流罪とされてやってきた桃園親王の従者の子である」という設定をみると、少なくとも桃園親王の生没である873~916年の間の出生になる。
しかしすると、最澄が822年に死んでいるのだから、『御伽草子』に書いてある、最澄に追い出されるエピソードと計算が合わない。
と言っても『御伽草子』で直接、国上寺の名前が挙げられているわけでもなければ、討伐された年代も未確定である。また、国上寺の由来では、討伐された説話への直接の繋がりも確保されていないのだから、ここは、強引に試算する態度のほうがおかしいだろう。
仮に、最澄に追い出されたエピソードを無視して、国上寺に伝わる出生の由来の流れでも995年に討伐されたとすれば、討伐された時点の推定年齢は79~122歳となる。
<⑥ 酒呑さんが大陸にいたのはどのタイミングか?>
ご存知のとおり、酒呑童子の姿については、たとえば国会図書館蔵『伊吹どうじ』のとおり「老いもせずして十四、十五のばかりのどうじのかたちにぞ見えし」とある。ここはサーヴァント・酒呑童子の見え方もそのとおりなのだろう。ただ、享年が14,15歳ということは勿論なくて、いずれの説話でもずっと長生きしてはいたわけだ。
説話から辿っていくと、100年から200年生きた、ということになる説話もあれば、不老不死に近い扱いをされている説話もあることになる。
さて、そうなってくると次に、サーヴァント・酒呑童子が生きていた当時、大陸にいたのは生涯のなかでいつ頃なのか、という問題が出てくる。
酒呑童子が長命であれば、その仮定に相当な幅が出てくるからだ。
ひとつは、伝教大師(に加えて、『大江山絵詞』では桓武天皇、『御伽草子』では弘法大師)に住み処を追い出されて以降、しばらく大陸に行っていた、という説になるだろう。
先に説明したように、九頭竜戸隠伝説との関連ではこの時期は設定し難いところもあるのだが、大江山に戻ってきた時期に指定のある『大江山絵詞』であれば、だいたい800~850年の間になるか。『御伽草子』では大江山に戻ってきた時期の指定がないため、討伐されるギリギリに戻ってきたとするならば800~995年頃になる。ただ、FGOの酒呑童子は坂田公時の幼少期をみていたという事になると(公時はそもそも実在が怪しいところもあるが、金時神社に伝わる由来では956年生まれらしいので)遅くとも950年くらいには日本に戻ってきていたのかも知れない。
従って、追い出されたのち大陸に行った説をとると、大陸に行っていた時期は幅をみて800~950年くらいと推測される。
その頃中国はどうなっていたか。800年~950年であれば、300年ほど続いた唐(618~907年)の後期、もしくは唐の滅亡後に諸国の興亡があって、宋が成立する(960年)直前の時期、ということになってくる。
さて、唐といえば、FGOプレイヤーにとっては、ふーやーちゃんになるだろう(そうでもないか…?)が、彼女がFGOのシナリオで幽霊の存在否定を強弁できるくらいには、中国の歴史文化は日本より先行していた。
つまり、中国の神代の終わりは日本よりだいぶ早く、早々に合理主義的な考え方に移行していたわけだ。史実的には、そもそも神よりも人を重視し、祭礼文化ではなく儀礼文化を発明した夏王朝によって神の権威の終焉のきっかけを掴んだとされている。あるいはFGO的にも、夏王朝の末裔の陳宮が、呂布に類まれなる素質を見出した三国時代くらいには、神代の影響はほぼ尽きかけていたのではないだろうか。
唐の時代には伝奇が発達したが、この伝奇で語られる神秘は「唐の時代の現在」のことではなく、過去の中国でこういう事があった、という話がメインのようだ(『白猿伝』もそのひとつである)。
となると、神秘の色濃い酒呑童子がこの時代の中国にあって、何をしていたのだろうか、という事の想像はなかなかに難しい。
おそらく特に名の残ることをしていた(別名のサーヴァントになり得た)わけではないのだろう、と推測できる。
(いや、勉強不足なので、自分には推測できないだけで、色々可能性があるのかも知れない。機会をみて調べたいと思う。)
一方、もうひとつは、ほぼ不老不死性を有していた仮定での話だ。
この場合は、出生の年代設定がすべてキャンセルされるため、最澄に追い出される(ことになる平野山に住み始める)「前」の時期に、大陸にいた可能性が出てくる。
さて、酒呑童子が大陸に行っていたのは、最澄に追い出される「前」か「後」か、という論点になってくるわけだが、ここで気になるのは鈴鹿御前の幕間の台詞で、「鈴鹿御前は自分が大江に住む前に日本にいたため、面識はないが、話には聞いていた」と酒呑童子が言っていることだ。
鈴鹿御前の伝説もいろいろヴァージョンがあるが、坂上田村麻呂との関係から言って、彼の生没にあたる756~811年の間のどこかのエピソードではあると思われる。
酒呑童子の「大江に住む前に日本にいた」「聞いていた」という言及をどう捉えるべきか、ここが難しいところだが、
<大陸に行っていたのが、最澄に追い出された「後」のパターン>
・比叡山から追い出されてのち(=800年頃以降)に大陸に行って、そのとき大陸で、日本で起こっていることの話を聞いていた
(とすると坂上田村麻呂の晩年10年ほどしかカバーされる時期がないし、比叡山から追い出される前には、同時期に日本にいた事になるわけだから、「大江に住むより前に日本にいた」というより「叡山を追い出される前には日本に一緒にいた」ことになるが。それでも、台詞がおかしい、とまではまったく言えない。)
・比叡山から追い出されてのち(=800年頃以降)に大陸に行って、大江山に帰ってきてから、過去の鈴鹿御前の話を伝え聞いた
(聞いていた、というのを後世に聞いた、という意味とする。上記と同じ問題?がある…)
<大陸に行っていたのが、最澄に追い出される「前」のパターン>
・鈴鹿御前が生きていた時代には大陸にいて、そのときに大陸で、日本で起こっていることの話を聞いていた
・鈴鹿御前が生きていた時代には大陸にいて、その後、日本に来て大江山に住み着いてから、過去の鈴鹿御前の話を伝え聞いた
という4つほどの解釈が成り立つ。
が、ここは結局、わからないところだ。
なんだ、結局、やっぱりわからないわけだ。
ただ、酒呑童子が鈴鹿御前の時代には大陸にいた(=よりさかのぼって大陸にいた可能性もある)と解釈すれば。そしてここに、酒呑童子の仙界由来の不老不死性を加味すれば、時代をずっとさかのぼり、前回紹介した『失妻記』の「斉天大聖」との同一人物性が成立し、もしかしたら、その「斉天大聖」の座を引き継いだ、『西遊記』の「孫悟空」とのつながりまで持ち得るのではないか、ということを否定する要素も見つけられない。
(肯定する要素もないが…!!)
玄奘三蔵が経典を持ち帰ってくる旅をしたのは、629~645年だ。
妄想オブ妄想になってくるが、いちどこの観点から話を膨らませよう。
<⑦ 酒呑さんに『西遊記』の要素はあるか?>
ここからは、酒呑童子の各種設定に、西遊記の要素があるだろうか、みていく。単刀直入に行こう。
マテリアルに記載された、サーヴァント・酒呑童子の宝具「千紫万紅・神便鬼毒」の説明に、下記のようにある。
“脇に抱えた瓢箪は剣を咥えさせて武器にもなり、また、酒呑童子に魅了された獲物を閉じ込める檻にもなるという。”
(Fate/Grand Order material Ⅳ)
概ね想像はついているだろうが、酒呑童子の説話を参照すれば「これはどういう意味?」という要素が盛り込まれている。
それが「檻にもなる」という要素だ。
以前紹介したように、神便鬼毒酒には色々な性質があるにしても、本来的には飲み物としての酒としての使われ方しかしていない。おそらく文章にあるとおり、これは「神便鬼毒酒」ではなく「瓢箪」の能力なのだろう。
しかし、この「瓢箪」も酒呑童子の説話には登場しない。
そしてこれもまた、概ね想像をつけておられるとおり、この「瓢箪」は、『西遊記』において銀閣大王が持っていた瓢箪、名を「紫金紅葫蘆(しこんこうころ、あるいは、しきんべにひさご)」なのではないか、という妄想は自然に立ってくる。
この瓢箪は、名前を呼ばれて、返事をすると吸い込まれてしまう(檻となる)力を持っているからだ。また、閉じ込められた者は中で溶かされてしまう。この溶解能力は、サーヴァント・酒呑童子の(酒呑童子説話からは直接的に説明できない)持つ神便鬼毒酒の、一切の敵を溶かし得る毒酒の性質にも符号する。加えて「紫金紅葫蘆」の名前が「千紫万紅」に通ずるところもある。(前に「千紫万紅」について、五色を横断する仙界の住人との関連しかないだろうと言ったが、この紫金紅葫蘆の話は、その周辺にあたる。)
ご存知のとおり、『西遊記』で孫悟空はこの「紫金紅葫蘆」を奪い、逆に金角大王、銀角大王を閉じ込めてしまう。酒呑童子が斉天大聖=孫悟空であり、この「紫金紅葫蘆」を持ち帰った、という説もあり得るのではないか?
ただ、少し直接的に結びつけすぎかも知れない。
この「紫金紅葫蘆」とはそもそも何なのか、という事の設定に立ち返ってみると、そもそも『西遊記』は、登場人物のほとんどが本来は仙界と関わりのある者の顕れで、金角大王、銀角大王はそれぞれ、太上老君の金丹を作るための金炉、銀炉の番人(金炉童子、銀炉童子)であり、銀角が持っていた「紫金紅葫蘆」は、太上老君の金丹の容れ物であった。
『西遊記』の概ねのヴァージョンでは、この「紫金紅葫蘆」は太上老君に返上されており、孫悟空の手元には残っていない。
返上された「紫金紅葫蘆」からは、金角大王、銀角大王が、本来の金炉童子、銀炉童子の姿で出てきて「三蔵法師・孫悟空の一行の試し」のために、敢えて悪役として振る舞っていたことが明かされる。(この点、のちに酒呑童子が「実は仏法のためを思って顕現した第六天魔王である」と扱われる事と通じていることと、仙界において金角・銀角が童子形であることも、少し気にはなるが…)
この返上された「紫金紅葫蘆」、もしくはその同型の金丹容れ(太上老君以外の仙人の持ち物だろうか?)を何らかの方法で酒呑童子が持っていた、という可能性も充分にあるという事は、想定しておかなければならない。
さて、サーヴァント・酒呑童子のデザインから、『西遊記』関連の話題でもう1点気になる部分をみよう。酒呑さんが持っている、フルーツ(桃とブドウ)についてだ。
実は、フルーツについて、最古の稿本『大江山絵詞』では、少しだけ言及がある。頼光一行が鬼が城に入ってすぐ、案内してもらう女に言われる台詞である。
“此の女房、綱が前に立ち、ゆくゆく袖を顔に当ててさめざめと泣きければ、(中略)過ぐる秋の頃、月を詠じし程に敢なく獲られて、心憂き目をば見る也。少しも心に違ふ物をば、果物と名付けて座を変へず喰らひ侍れば、目の前に見るも心憂し。”
(『大江山絵詞』高橋昌明氏復元案 上巻 第三段)
割ととんでもない事が書いてある。酒呑童子は「心象の良くなくなった者は、果物と称してその場で食べてしまう」という事だ。
酒呑さんが持っている果物は、もしかしたらヒトを示唆したアイテムだったのかも知れない(…!)。
そして、桃については、『西遊記』の孫悟空にもまつわる話がある。孫悟空は五行山に封じられる前、天界で、ある仕事についていた。
それが、女仙を統べる西王母の蟠桃園の番人だった。(蟠桃は桃の一種)
そして孫悟空は、この蟠桃を食べる蟠桃会に呼ばれなかった事に不満を持って、これをすべて食ってしまう。
それだけだと、関連は薄い。ただここで、「蟠桃園」の蟠桃とは、本来は一体何なのか、そして先ほどの「紫金紅葫蘆」に本来入っていた金丹とは一体何なのかという事をみていくと、段々関連が深くなってくる。
先ず、金丹も蟠桃も、ともに、仙人に長生不老の体質を与えるための薬としての性質を持っている。(蟠桃会というのは、長生不老の性質を分け与えるイベントだったわけだ。)
そして、金丹入れの「紫金紅葫蘆」になぜ人を溶かす性質があるのかということ、あるいは西王母が元来は『山海経』で語られるように鬼神の類であって蟠桃とは生贄のことを指していた可能性があるという定説に鑑みると、このいずれの薬も「仙人の人食いによる不老長生性の獲得」を示唆している可能性がある。
ここに、人を食う酒呑童子との関連性が出てくるわけだ。
話が少し逸れるが、だとすると、酒呑童子が人を食うのには、本人の嗜好性を超えた、何らかの理由があるのかも知れない。幕間における「まあまあ人も食う」という言い方にも少し含みがあるように思えてきた。
幾つかのエピソードで、巴御前の味覚が崩壊していたり、あるいは茨木童子が甘味ばかり食べたりしているのは、鬼種が人肉以外の味を(強い甘味以外)ほぼ受け付けない設定がある示唆ではないかという推測は立ってくるわけだが、鈴鹿御前に曰く、鬼としての性質がやや異なるのであろう酒呑童子においては、巴御前や茨木童子とは少し違い、人間を薬(蟠桃)のように食べ、あるいは溶かして金丹として飲むことで、長生不老の糧、あるいは仙力(魔力?)といったものに変換することもしている可能性がある。(もちろん、人の味がお好きである可能性はまったくもって否定できないが。)
酒呑童子〔キャスター〕の宝具『護法少女・九頭竜鏖殺』で、毒酒であるはずの神便鬼毒酒を飲んでパワーアップしているように見えるのも、本当のところはこれが理由なのかも知れない。(となると、あれは中に溶けた人が入っているのか…。)
以前、酒吞さんがなぜ神便鬼毒酒を飲むのか、説話の外側である「意味」から探ったが、説話の内側にある設定については、割とこういった理由がついている可能性がある。
話を酒呑童子の大陸との関連性に戻そう。
酒呑童子の持っている瓢箪が「紫金紅葫蘆」の類なのではないか、あるいは人食いによる長命・魔力の獲得要素があるのではないか、という観点からみて、FGOの酒呑童子が「斉天大聖」=「孫悟空」だったかはともかくとしても、少なくとも「孫悟空」のバックグラウンドに通じる、仙界における各種設定・アイテムとの符号は多いように思われる。
そもそも、酒呑童子が仙界の住人である指摘は、前にも紹介したように、高橋昌明氏の『酒呑童子の誕生』にもあるところで、既にここにも(酒呑童子の好む酒が、人間を溶かしたものだという想定は当然ないものの)
“童子が酒を好むのも、単純に嗜好とはいい切れまい。酒の効用は、記紀の神功皇后条の「酒楽の歌」を末までもなく、久しい寿を保つところにあるからである。”
(高橋昌明『酒呑童子の誕生』 第三章 竜宮城の酒天童子(中公新書、1992年))
という指摘はあるし、そもそも
“絵巻類では、地獄や竜宮は必ず磚(敷瓦)をしきつめ、色とりどりの瓦をふくなど中国風に描かれている。逸本の鬼が城もそうである。これは中国風に描くことが別世界(異界・他界)たることの絵画表現だったからである。ちなみに謡曲「大江山」の酒呑童子は、唐織を壺折りに着て唐団扇をもつ。これも中国風の装いである。”
(高橋昌明『酒呑童子の誕生』 第三章 竜宮城の酒天童子(中公新書、1992年))
とあるように、酒呑童子説話に描かれた中国的意匠は仙界・竜宮との繋がりの要素であることが指摘されている。
だとすれば、もとよりFGOのサーヴァント・酒呑童子のデザインの中国に紐づく意匠(正倉院に唐から持ち込まれた瑠璃杯がモチーフになっている、神便鬼毒酒を格納した瓢箪こそ、まさにそれの代表になる)や、幕間で語られている大陸への言及は、原典である『大江山絵詞』での扱いと同様に仙界との関連を示すものなのかも知れない。
酒呑童子=斉天大聖=孫悟空という発想から、図らずして本来的に持っていた酒呑童子と仙界(=中国的要素)の連結の話に発展してしまった。逆に『大江山絵詞』にある竜宮・仙界の要素を突き詰め、加えて「斉天大聖」との連動性をたどったことで、FGOの世界においてサーヴァント・酒呑童子は「紫金紅葫蘆」を持つ者としてデザインされたのかも知れない。
それはデザイン側からの予想(考察?というのだろうか)なので、僕らの推測の本筋ではない。
デザインついでに言うと、「素っ裸に張り付く回路めいた服」「翡翠の額当て」という点において、酒呑童子の服飾と、仙人(真人)の服飾にも相応がある気がする点も気にはなるが…
やめておこう。
結局、酒呑童子は孫悟空たり得たか、という点で言えば、酒呑童子の不老長生性によって存在を『西遊記』の時期を含む過去(それは『白猿伝』の昔にまでつながっているわけだ)に遡ることができるし、孫悟空の側からしても、彼は閻魔帳から自分の名前を削除して以来、不老長寿なので、『西遊記』のあともずっと生きている。従って(理由がよくわからないが)日本に来て、鬼として迎えられ、大江山に住み着いた、という設定がつけられなくはない。
なお『西遊記』の結末では、三蔵法師と同様、孫悟空は、旅路のご褒美?として、いずれ成仏する事が定められる。成仏するとサーヴァントにはならない(…正確な表現ではない気がするが…)らしいが、成仏しきらない部分についてはサーヴァントとして召喚され得る、ということは三蔵ちゃんの幕間で語られているとおりのため、サーヴァント・酒呑童子は成仏した孫悟空の残った部分なのかも知れない。
FGOの酒呑童子が孫悟空であっても否定はしきれない、という感じだろうか。まあ、肯定する要素はかなり薄いわけだが。
しかし、孫悟空の説が強引でも、「仙界」を通した共通点に目を配れば、「紫金紅葫蘆」を手に入れることはできる。
例えば、伝教大師に追い出されてのち、仙界の遺物(紫金紅葫蘆)を手に入れるために大陸に行っていた、というエピソードも仮定できる。突拍子のなさからすると、こちらが本命なのかも知れない。
正倉院の中身との照応から言えば、中国から既に日本に伝わってきていた(おそらく正倉院のような高貴の秘蔵品であった)「紫金紅葫蘆」を、盗賊らしく盗んだ可能性もあるだろう。(じゃあ大陸で何をしていたのかという話にならないが…)
酒呑さんが紫金紅葫蘆を手に入れていたとして、その理由も謎だ。
ただの、美味しいお酒を飲むためのアイテムとして求めたのかも知れないが、図らずして仙界の住人となってしまい、記憶も曖昧になって日本に戻ってきたのだろうか。
あるいはもっと言えば、マテリアルにある「骨董品、稀覯品のコレクター」「見た目の雅さ、希少さが重要らしく、性能・歴史を重視する英雄王とはそのあたり相容れない。」という説明文からすると、金丹の容れ物どころか、人を溶かして酒に変えられる性能があるという事すらも知らず、珍しいと思って盗んできた瓢箪に、たまたまそういう性質があってしまったのかも知れない。この辺りも想像しかできない。
さらに、いつから酒呑童子を排除するための神便鬼毒酒が紫金紅葫蘆に入ってしまった(=神便鬼毒酒が、千紫万紅・神便鬼毒酒になった)のかが、最も謎である。この理由も、酒呑童子の説話の中には全く見い出せない。
神便鬼毒酒は、紫金紅葫蘆に入ったことで、金丹の性質を得て変質してしまっているのかも知れない。(おそらく、神便鬼毒酒の極上の“味”は、そのままに…?)何なら、生前はそうできなかったものの、本来は持っていた「紫金紅葫蘆」に、味だけは極上の神便鬼毒酒を入れ、毒酒にせずに美味しく飲み続ける目的だけのために、サーヴァントとしての召喚に応じている可能性まである…?
そこまでやっていてもおかしくない深みがあるところが彼女の魅力だ。
比較的マトモな妄想で言えばこんなところだが、結局、いずれ語られる(のか?)のを待つしかないだろう。
<⑧ 酒呑さんに「孫悟空」の要素はあるか?>
さて、比較的マトモな妄想と書いた。
いや、既にあまりマトモな妄想でないことはわかっているが、最後にもっとマトモではない妄想を書いておく。これは比較的、デザイン寄りというかメタ的な要素を含む。(いわゆる考察、に近いかもしれない。)
見てきたように、酒呑童子に『西遊記』の孫悟空の要素はあまりない。
しかし、坂田金時に『仮面ライダー』の要素があり(ない)
護法少女には『プリキュア』の要素があって(ない)
源頼光はとはいえば、宝具『牛王招来・天網恢々』で四天王を4名顕現させて5名になるように、『戦隊シリーズ』の要素がある。
(源頼光に関しては、要素が明確に“ある”。つまり、源頼光一行が酒呑童子討伐に向かった際に扮した山伏の姿こそが、山中の徘徊者の意味でも、軽歩兵部隊の意味でも、まさにRanger(レンジャー・レインジャー)に他ならないし、もっと言えば、集団で大敵に対処する行為が、酒呑童子退治の説話でも「戦隊シリーズ」でも本質的な行為だからだ。(決して批判的ニュアンスではなく… 個人で立ち向えるものなどたかが知れているのである。))
このように、酒呑童子説話の登場人物は、東映株式会社のコンテンツと、親和性が高い。(ひどい妄想めいてきた…)
それはおそらく、誅伐の再話を現代においても連綿と続けている、東映のコンテンツと、再話される性質にある酒呑童子退治の説話の、親和性が高いがゆえのパロディなのだ。
正義、悪といった構図を子どもたちに教えるのに最適な語りとして説話が同質だからである。(あんまり極端なことを言うと東映のファンに反例とともに怒られそうだが、側面的事実であり、期待される大きな効果であることも間違いはないと言い切りたい。)
しかし酒呑童子には、護法少女(プリキュア)よりも、よほど在り方がマッチする、東映株式会社のキングコンテンツの主人公がある。
そう、それが鳥山明氏原作の『ドラゴンボール』の孫悟空なのだ。
何を言っているのだ、となると思う(自分でもそう思う)。
しかしこれは、前回から紹介してきたように酒呑童子説話の「母体」が『失妻記』の「斉天大聖(のちに転じて孫悟空)」にあり、各種の意匠も『西遊記』の仙界の意匠と紐付いているから、というだけではない。
鳥山明が、どれほどのリサーチをもって各種設定を行ったのか、あるいはほぼ直感的にそういったものを拾い集められたのかわからない(個人的には比較的前者寄りなのではないかと思う)が『ドラゴンボール』と酒呑童子説話、あるいは鬼に関する説話、というものには符号が多い。
これは、『ドラゴンボール』好きの間ではしばしば語られる話題でもある(私は別にそういう人ではないのだが)。
以前に佐竹昭広氏の書籍『酒呑童子異聞』に依って紹介した、酒呑童子=「捨て童子」説を思い出して欲しい。伊吹弥三郎の落胤、酒呑童子は、三十三ヵ月を経て、髪が肩のあたりまで垂れ、歯が生え揃った状態で生まれて、怪異として恐れられ、山中に捨てられる。
こういった生まれはなにも酒呑童子特有のものではなく、当時の説話に何度も登場する「鬼子(おにご)」の代表的特徴なのだ。
鬼子としての出生譚は、酒呑童子の他にも、弁慶(常陸坊海尊ではない本物の)や、平将門で語られている。曰く、
“いまわしい鬼子を山奥に捨てたところが、山の動物に守られて、いよいよ強く育ったというモチーフは、山中異常誕生譚の一類型としてとらえるべきである。捨てられた鬼子がただひとり山中で成育するという筋立ては、並はずれた威力を発揮する英雄の生い立ちを説明するのにたいへん似つかわしい。”
(佐竹昭広『酒呑童子異聞』 捨て童子譚(岩波書店、1992年))
『ドラゴンボール』の孫悟空も、地球人ではないという裏設定はどうあれ捨て子だ。ただ動物に育てられたというよりは、じっちゃん(孫悟飯)に育てられている。
これは山中異常誕生譚の類型のうちでも、どちらかといえば坂田公時の境遇(=山中に捨てられ、山姥に育てられた)に近いと言えるかも知れない。
そしてこの設定の符号が、次のように続いていく。酒呑童子は、
“国会図書館本の本文は、「老いもせずして十四五ばかりのどうじのかたちにぞ見えし」と、「どうじの」四字を含む。(中略)その最大の特徴は、かれの頭髪の「かたち」に示されていたと見える。大江山の酒呑童子は、(中略)「かぶろ」頭という「かたち」をもって顕著な特徴としていた。酒呑童子の「かぶろ」頭は、もとより大江山系の諸本も特記することを忘れていない。”
(佐竹昭広『酒呑童子異聞』 童形垂髪(岩波書店、1992年))
とあるとおり、生涯変わらぬおかっぱ頭が特徴なわけだが、生まれたときの「鬼子」の姿とも照応すると、酒呑童子は、生まれたままの髪型が一生変わることがなく、また十四、五からは老いることもないわけだ。
これが『ドラゴンボール』のサイヤ人の「戦闘民族だから、ある程度髪が伸びたらそれ以上伸びない」という(なぜそんな設定があるのか理由がよくわからない)設定や「戦闘に適した年齢になったら、それ以上老化しない(老化が鈍る)」という設定に符号している。
しばしば、『ドラゴンボール』の悟空(あるいはサイヤ人)について日本説話に出てくる「鬼子」を参考にしているのではないかと言われるのは(あまり言われてないか?)こういったことによる。
そして『ドラゴンボール』には、もうひとつ、FGOの酒呑童子さんの関連では未だ片鱗すら語られていないものの、最古の稿本『大江山絵詞』をはじめ、酒呑童子説話のすべてで語られている、ゆえに、どこかでは拾わなければならない要素も転がっている。
それが「酒呑童子の本態は巨大な姿であろう」という要素だ。
茨木童子がしばしば「変化」のスキルで巨大化を志すことから、茨木童子の本態はサーヴァントとしての普段の大きさの姿なのだろう。
しかし酒呑童子に関しては、『大江山絵詞』などの全ての説話において、眠っているときにこそ大きい姿なのだから、こちらが本態でなければおかしいだろう(いや、酒呑さんがそう認めるかどうかは別として)。
『ドラゴンボール』の悟空、あるいはサイヤ人は、月をみたときに、大猿となる。これはサイヤ人の変身形態のひとつとしての扱いだが、「サイヤ人が本領を発揮する姿」あるいは「サイヤ人はもともと大猿だったものが理性を得て人間の姿になった」という設定もあるらしい。大猿の姿が、サイヤ人にとっての本態と言っても差し支えあるまい。
『西遊記』の孫悟空には、巨大な姿を本態とする要素はない(地煞七十二変化の術によって巨大化することはできるが)ため、鳥山明のこの設定には、あるいは大猿の姿が本態として登場する『白猿伝』などの「斉天大聖」としての孫悟空の前世から着想を得たところがあったのかも知れない。
だとすれば、これは紛れもなく、それを「母体」に発展した酒呑童子説話への繋がりがある。つまり、同じ『白猿伝』を「母体」とした『ドラゴンボール』と『大江山絵詞』は、ある意味で兄弟のような関係ということになってくる。
(無論、鳥山明が『キングコング』が好きだっただけかも知れないが。)
酒呑童子まわりのサーヴァントの、なんだかよくわからない東映作品パロは、行き着く先として、大猿(鬼)を本態とする、尻尾の生えた酒呑ちゃんを想定しているのかも知れない。
なるほど、やはりそういうメタ的な観点でも、酒呑童子オルタを仮想するなら、それは「斉天大聖・孫悟空」と紐づく者であり、
かつ概ね『ドラゴンボール』の孫悟空のパロディ要素を含んだデザインになってくるのではないか。これが結論である!
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