Ⅲ. なぜ酒吞さんは神便鬼毒酒を飲むか? 1/2 ~酒呑童子説話の「意味」~


 サーヴァントは、その死に方が存在と密につながったとき、その死因自体が宝具となる事がある、らしい。
 僕もたびたびお世話になっているTYPE-MOON Wikiによると

「このサーヴァントを殺したものはこの宝具である」→「つまりこのサーヴァントの死の傍らにはこの宝具がなくてはならない」という理由で「自分の結末」に関わった伝承の宝具、自分を殺した武器を宝具として獲得する

ということらしい。とはいえ、酒呑童子の絆Lv10 でもらえる礼装では、そういった理由では宝具の在り方について言及されていないが(ネタバレなので内容は伏せる)、それも、酒呑童子の本心なのだろうか、という疑問符は当然ついてくる。
 とかく、酒呑童子は隠し事が多いサーヴァントであり、それが彼女の最大の魅力なのだ。

 実際、酒呑童子の直接の死因は、神便鬼毒酒ではない。源頼光の放った、童子切安綱の一閃が首を切り飛ばしたことにある。(FGOの世界では違うかも知れないが。)しかし、酒呑童子は宝具に神便鬼毒酒を携え召喚される。

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 しかも、この神便鬼毒酒は少しおかしい。神便鬼毒酒は、例えば最古の稿本『大江山絵詞』では、FGOの設定にあるような「なんでも溶かす毒酒」としては描かれていない…そもそも日本における酒呑童子の物語として、神便鬼毒酒が「なんでも溶かす毒」として描写された物語は一切ない(つまり、FGO以外の物語では)と思われる。
(▶ 失礼、やや近い描写になる説話もあるようだ。(<追記 ※1>参照))

 さらに宝具の演出が謎である。
 酒呑童子はその、神便鬼毒酒と思しき中身を零し、敵を溶解せしめたあと、更にそれに飲み干す、という一連の流れが宝具の描写になっている。
 これは一体何なのか?
 「かっこいい演出だろう」と言えばそれまでだが、酒呑童子はなぜそれを呑んでいるのか、一度深く考えてみてもいいのではないか。

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<① 宝具の真意は酒呑童子説話の「意味」にある?>


 さて、前の記事では、護法少女の魔性特攻の意味合いを探る観点で、酒呑童子の説話について、下記の2つの視点で紹介、説明した。
・酒呑童子の「正体」(説話の中で語られる、なかでも、出生の設定)
・酒呑童子の「原像」(説話の外、そもそも本来、酒呑童子の説話は酒呑童子に何をイメージ(仮託)して成立したか)

 今回は、更に視点を変える。
 すなわち、酒呑童子説話の「意味」の視点だ。
 それは、「その説話が何のために語られたものなのか」いわばその説話の「寓話性」は何なのか、といった視点になる。

 

 この酒呑童子説話の「意味」を追究することこそ、ヒトが酒呑童子の物語に何を見出していたのか、つまりヒトが酒呑童子(説話)に与えた「幻想」を追究することになる。(TYPEーMOON世界でいう「幻想」が、吉本隆明のいう「幻想」に接続しているなら、という形だが)それが、サーヴァント・酒呑童子が持つ宝具の本当の意味・威力の解明に繋がっていくことだろう。

 従って、神便鬼毒酒とは、という話は実は次回まで出てこないが、今回はまず、これも既に詳しく分析された書籍を紹介しながら、酒呑童子説話全体の「意味」の理解を深めたい。

 なお、この記事?は、一連の記事のなかでも最も長い。少しずつ読んでもらえばいいのではないか。と思う。

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<② 酒呑童子説話の「意味」…「鬼は外」の考え方>

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 以前に紹介したように、高橋昌明氏の『酒呑童子の誕生』(中公新書、1992年)によれば、酒呑童子の「原像」は、疱瘡神にあるという。
 説話の「意味」を考えるにあたって、この「原像」が何であったか重要なのは言うまでもないだろう。

 酒呑童子は疱瘡神であった。ただそれだけでは「物語(説話)」にならない。ざっくり考えると、説話の結末で酒呑童子は退治されるのだから、「酒呑童子の説話はこの疱瘡神(疱瘡自体)を討伐する話である」という、ぼんやりとした理解はまず成立する。

 しかし本来、疱瘡が大流行したのは都(平安京)の内部であって、酒呑童子の住まう大江山ではない。大江山は、疫病が蔓延してきた方向に位置しているだけだ。
 もし、疱瘡を抑えこんだ成功体験を説話として語るのであれば、それは、大江山から侵略してきた酒呑童子を平安京で仕留める物語となるべきだ。

 しかし、そうはならなかった。

 なぜか。

 結局のところ、平安の都は、自らの力によって疫病を抑え込む事はできなかったからだ。当時の平安京はあまりに不衛生で、感染症予防のために役立つ智慧も不十分だった。


 従って、都に住む人々は、有効な手立てもなく(とはいえ、曖昧なノウハウは忌事(いみごと)として成立しただろうが)、いつ自分がかかるか知れず、防ぐ手立ても、治す手立ても見当たらない疫病、その恐怖と対峙しながら生活することとなった。

 しかし、人々は恐怖と正面から対峙することはできない。疫病の恐怖に対し、下記のように理論づけ、処理することでそれから免れようとする、心の動きがあったと思われる。

「本来、人々の暮らす領域=【内部】には秩序があり、清浄な世界である」

「しかし【外部】から、その秩序を乱す、悪しき穢れたものが入ってくる」

「従って、清浄なる【内部】から穢れた【外部】の者を追放、追討、あるいは拒絶することにで、【内部】は清浄に戻り、事態は解決する」

 あったと思われる、というと予測のような言い分だが、こういった考え方は、今でも日本の祭事に根付いており、間違いなく日本人の精神性の根底に存在している。
 例えば節分祭の追儺式、つまりは「鬼は外」の行事が馴染み深いだろう。
 そして、2020年にあって、我々は実例も目の当たりにすることができる。昨今のコロナ禍において発露した現象だ。
 つまり、本来的には「【内部】の構造的欠陥(=都市の不衛生=貧困層の放置、過剰な人口密度、過剰なトラフィック)」に感染拡大の原因がある新型コロナウイルスの蔓延について、ヒトは容易に「【外部】のみに原因がある」と主張する。
 例えば「本来同情されるべき感染者(例えば地方における感染者第マル号)に“怒り”が向く」「ウイルスは中国から来たのだと努めて強調したがる」といった心の動きは、この日本の中世的な、「鬼は外」的な考え方がまだ根付いているからに、他ならない。


 さて、高橋昌明氏の『酒呑童子の誕生』(中公新書、1992年)では、こういった穢れを【外部】に追い出す祭事として平安初期には成立していたらしい、「四角四堺祭(しかくしかいのまつり)」に注目している。

“四堺(境)祭とは、都所在国の「郊外」たる四つの境において、外界から侵入してくる「鬼気(もののけ)」を「祭り治」める、一種の道祖神祭である。四つの境は境界らしく、東海(東山)・山陰・山陽の各道と北陸道からのバイパスが山城国に入らんとする道路上の「点」、すなわち逢坂・大枝・山崎・和邇の各地点である”
(高橋昌明『酒呑童子の誕生』 第一章 酒呑童子の原像(中公新書、1992年))

 高橋氏は、ここで言う「大枝」こそが、大江山へ通じたバイパスのことだった、と言う。実際に大枝山(老ノ坂峠)の麓には、首塚大明神(酒呑童子の首を埋めたという地)が所在している。(サーヴァント・酒呑童子の聖地でありながら、行くのはマジでヤバいと専らの噂で僕もまだ行っていない)

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 さて、人が恐怖に【外部】・【内部】の構造を意識して対処しようとするとき、その必要性から現れてくる概念が、【外部】・【内部】を隔てる、【境界】の考え方だ。

 つまり酒呑童子の説話で言えば、【内部(平安京)】から追い出されるべき【外部(例えば、疱瘡)】の存在を想定する以上、そこに【境界】が必要とされるということだ。いや、というよりも、【境界】を定めることこそ、【内部(平安京)】を成立させる必須の条件である。

 そして、【境界】を改めて定め、確認する祭事こそが「四角四堺」であり、「大江山」はそこで挙げられる、代表的な【境界】であった。

 高橋昌明氏は四角四堺祭の効能について、

“四角四堺祭がくりかえし行われるのは、直接には古代人の意識や信仰、特有の境界観による。しかし、その根底には年の生活諸条件の問題が横たわっていた。つまり、日本の古代都市は上下水道の完備したローマ帝国支配下の地方都市などとちがって、衛生を中心とした生活環境整備の思想に欠けている。(中略)その結果、京都が都城から日本中世最大の都市、荘園制国家の中枢へと都市的発展を示し、人口稠密現象、人や物の絶えざる交流がおこると、好まずして数多の疫病を招く事態が生まれた。”
(高橋昌明『酒呑童子の誕生』 第一章 酒呑童子の原像(中公新書、1992年))
“かくして天皇およびその居所たる皇都の清浄を説く国家理念は、平安期に入って病的なまでに先鋭化し、(中略)人による人の差別(ケガレた非人に対する差別)を当然視する意識に発展する。”
(高橋昌明『酒呑童子の誕生』 第一章 酒呑童子の原像(中公新書、1992年))

としている。平安時代、人々は【内部】―【境界】―【外部】という構造に頼って疫病を捉えることで恐怖を克服しようとし、それを「四角四堺祭」のように祭事化した。そしてその祭事を行うことで、改めて他者と、あるいは自分自身と、【内部】―【境界】―【外部】の構造を再確認しながら、既成事実化していった。

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 さて、そういった捉え方を踏まえて、酒呑童子説話の話に戻ると、「疱瘡神の討伐」という説話の意味の解像度があがってくる。
 つまり、酒呑童子の正体がまさにこの、「四角四堺祭」で祓う対象であった「疱瘡(神)」であり、酒呑童子の住処「大江山」が【境界】として認定されていたことから、酒呑童子説話は「四角四堺祭」と同様の性質・同様の機能を期待して語られた説話なのではないか、と想像される。つまり、酒呑童子の説話の「意味」は【内部】―【境界】―【外部】という構造の再確認と既成事実化にあった、ということになる。


 そして、酒呑童子はこの「意味」に依って退治される事になる。
 その退治のされ方は、「征服された【内部(平安京)】を取り戻す物語」ではいけない。つまり【内部(平安京)】に接する【境界】、つまり大江山を舞台に、【外部】の者として、酒呑童子は討伐されることになる、というわけだ。


<③ 説話における酒呑童子自身の「意味」>

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 さて、酒呑童子の説話の「意味」は、【内部】―【境界】―【外部】という構造の再確認、既成事実化にあったという紹介のもと、だから酒呑童子は【外部】の存在の象徴である、という結論になりそうだが、それは少しだけ一足飛びだと思われる。

 どういうことか。前のパートで、「【外部】の者として、酒呑童子は討伐される」と言ったではないか。ここからが複雑かつ、非常に重要な点だ。


 酒呑童子説話の「意味」が、四角四堺祭と同様「酒呑童子は【外部】の者として討伐されなければならない存在だと再確認、既成事実化すること」にあるならば、
 「説話が語られる前段階、つまり、この説話が寓話的機能を発揮し酒呑童子の立ち位置を【外部】の者だと確認する以前には、酒呑童子は、【内部】の存在でも【外部】の存在でもない」という点に注目しなくてはならない。(逆に言えば、酒呑童子が【内部】の存在なのか【外部】の存在なのか前提がないからこそ、これを【外部】の存在と断定する説話が「意味」を持ってくるわけだ。)


 つまり、酒呑童子は前提なく【外部】の存在であるわけではない。説話が「意味」を発揮する前段階ではある意味【境界】にとらわれない、【境界】を超えて彷徨える存在であった。それを【外部】に追放すべきだと再確認することが、酒呑童子説話の「意味」である。
 
 それは『大江山絵詞』の話の流れからも見てとれる。今更になるが、『大江山絵詞』冒頭の、話の流れはこうだ。

「都に、男女・貧富を問わぬ人攫いが発生し」
▶「安倍晴明が占った結果、大江山の方角に犯人がいるらしいとわかる」
▶「安倍晴明は、その犯人を鬼王と呼び、討伐すべきだと上申する」

 つまり、物語の流れは決して「都の外にはひとに害なす悪い鬼が住んでいた。ある時点で、鬼が都の中に来てヒトをさらうようになった」といった【外部】ありきの描写の順序ではない。
 何ならいわゆる、「地の文」においてすら、酒呑童子を「鬼」と認める言及はない。この事については、後にまた詳しく語ろう
 つまり酒呑童子の説話は、突然に、本来清浄であるはずの【内部】で怪異が発生する、という幕開けをする。従って『大江山絵詞』の冒頭時点では、酒呑童子は【外部】からの侵犯者ではなく、【境界】の超越者として君臨している。

 あるいは、この【境界】を超える、というあり方が、『屍山血河舞台下総国 英霊剣豪七番勝負』で、カルデアのサーヴァント・酒呑童子がバーサーカー・衆合地獄として顕現し得た理由なのかも知れないが…(それはつまり、そういった権能を持つ巌窟王と同じプロセスで、あるいは巌窟王より上手くやって、というわけだ)

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 その妄想は置いておくとして(いつか、なぜバーサーカー・衆合地獄だけカルデアから顕現したのかの理由も真面目に考えたいと思うが)、そもそも疱瘡神という酒呑童子の「原像」のあり方も、同じ構造を纏っている
 つまり本来、(特に「ウイルス」という概念が存在していなかった当時)疱瘡は姿かたちの無い、とらえどころのない現象でしかない。漠然とした、個別の現象、個別の死として、気づけば都の中に蔓延し、都の民の命を奪っていく無形の存在「モノノケ」であった。
 しかし、この「現象」に、疱瘡神、ひいては酒呑童子という「カタチ」を与えることで、ヒトは漠然とした現象でしかなかった疱瘡をひとつの対象として捉え、処理の論理に持ち込むことができるようになる
 すなわち、これを【外部】に追放できるようになるわけだ。


 さて、FGOのサーヴァント・酒呑童子の話題に回帰していくべく、酒呑童子説話の「意味」を、こういった酒呑童子という “キャラクター” の「意味」としてまとめなおすと、下記のようになる。

 疱瘡神を「原像」に持つ酒呑童子は、前提としては【境界】を越えて彷徨える存在であり、しかし同時に、いずれ【外部】の者だと認定され追放される “べき” 者として存在する(そのためにキャラクターとして成立させられたという意味でも)
 そして実際、説話のなかで【外部】の存在として認定され、討伐される。

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 しかも、それは一度ではない。酒呑童子説話はただの、いっかいこっきりの言い伝えではなく、酒呑童子といった災禍は【外部】の存在なのだ、と再確認するため、幻想を固定化するための寓話なのだから、その目的で、酒呑童子の説話は何度も語られ、そのたび酒呑童子は何度も討伐される。
 前に紹介したように、何度も語られるうちに、ヒト側の都合で酒呑童子に関する設定が書き換えられもする(例えば、八岐大蛇の落胤だとか)。
 しかしそこに、逆転の勝利が起こることは決してない
 あくまで酒呑童子は結末では【外部】の存在として処理され続ける。
 逆に言えば、酒呑童子の設定の書き換えは、話し手が聞き手に【外部】と認定させたい概念の「押し付け」そのものだと言ってもいいだろう。


 主観を酒呑童子の側に移せば、そこにはヒトの身勝手しかない、大層迷惑な話だと感じるかもしれない。そしてそれは端的に、事実だと思われる。
 しかし、その行為によって、【内部】の民はなだめられ、生きる希望を見出すことができた。それもまた、事実ではある。

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 FGOにおけるサーヴァント・酒呑童子も、そういった「【境界】を超越した状態からいずれ【外部】に追放され討たれるべき存在」というヒトの幻想を引き受け続けて成立していると思われる。「約束された勝利」の概念に照応して簡単に言うならば「約束された敗北」を引き受けている、という言い方もできるかも知れない。


 そして、サーヴァント・酒呑童子は、この「約束された敗北」という役割に対して(なぜか)自覚的でもあるようだ。

 しかし、サーヴァントの身である彼女自身が、その役割に何を感じているか、その苦悩は、あるいは自負は、いかばかりなのか、それはわからない。必要なのは安易な同情ではないだろう、という事だけは確かなように思う。

(サーヴァント・酒呑童子はなぜ「約束された敗北」という役割に自覚的なのだろうか、そこに何か理由があるのか…つまりそれはサーヴァントとして得ている認識なのか、あるいは本来の生にその理由があるのか…という点については次の記事(の後半)で、もう少し踏み込みたいと思う)


<④ 酒呑童子説話の「意味」の、物語の中での表現>


 酒呑童子のパーソナリティについて、少し欲張って芯を食ったような話をしてしまったが、ここでは、なぜ神便鬼毒酒が宝具であり、それを飲むのかという話に集中しよう。
 
 説話の中に存在する、神便鬼毒酒というアイテムに注目するならば、説話の中に描かれたものに目を向けていくのが良いだろう。
 つまり、酒呑童子説話の持つ「意味」である、【内部】―【境界】―【外部】の構造について、説話の “中” ではどのように表現されているか、もう少し詳しくみていこう。

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 その解像度を上げるにあたって、酒呑童子の説話について、酒呑童子を【外部】に認定するという意味だけでなく、これを「王権説話としての「珠取り」説話」として捉える分析を紹介しよう。
 そういった分析をされた、小松和彦氏の書籍『酒呑童子の首』(せりか書房、1997年)に曰く、

“日本文化は、「外部」つまり「異界」を「タマ」という概念を設定することで形象化し、そのタマの操作を通じて「外部」を制御しうると考えてきた。(中略)もっとも、この「珠」はむき出しのままの姿で人の前に姿を現すことは少なく、龍とか鬼とか狐といった、その時代の特定の社会集団が表象する「外部」の形象の衣を身にまとって現れてくる。”
(小松和彦『酒呑童子の首』Ⅰ 鬼と権力 酒呑童子の首-日本中世王権説話にみる「外部」の表象化 (せりか書房、1997年))
“では、「珠」をめぐる物語とは、いかなる内容の物語であろうか。ひと言でえいば、「外部」の象徴たる「珠」を人間世界に持ち帰り、人間の管理下に置く、というモチーフを持った物語である。人間社会を乱すモノが出現すると、それと交渉を持つことによって、あるいはモノと戦うことによって、モノが所有するその生命ともいうべき「珠」を手に入れて帰還する。そしてこの「珠」の占有者が「王」となるのである。”
(小松和彦『酒呑童子の首』Ⅰ 鬼と権力 酒呑童子の首-日本中世王権説話にみる「外部」の表象化 (せりか書房、1997年))

という。
 つづけて、小松和彦氏は、この「珠取り」説話のバリエーションのひとつとして酒呑童子の説話、具体的には最古の稿本『大江山絵詞』の構造を分析していく。

 そこで(高橋昌明氏の分析よりも)つとに強調されるのが、
【内部】―【境界】―【外部】の構造における【内部】は「王土(平安京を中心とする、朝廷にまつろう者の住まう地)」、「我朝(王朝自体)」あるいは国家の中心としての「帝(天皇)」に強く結びついているという点だ。そして、【外部】すなわち「「王土」の外の存在」が討伐されるに至った理由は、この【外部】が【内部】を侵犯したことに起因する、としている。

“ところで、物語は鬼たちが京に出没し人民をさらっていくことで、帝の王土が乱されたと判断している。とすると、もし鬼たちが大江山に閉じ篭もって生活していたならば、鬼たちは「外部」にあるとして、王土は乱されたとは考えなかったのではあるまいか。”
(小松和彦『酒呑童子の首』Ⅰ 鬼と権力 酒呑童子の首-日本中世王権説話にみる「外部」の表象化 (せりか書房、1997年))

 しかし、小松和彦氏の書籍の中でも注意ぶかく分析されているように、冒頭時点では、酒呑童子の住処は「王土」の【内部】なのか【外部】なのか判然としていない。『大江山絵詞』の話が進んでいくなかで、明確な【境界】のサインが提示されることによって、その住処は【外部】だと認定される。

 その【境界】のサインは、最も顕著な姿では、『大江山絵詞』のなかでは「岩穴」として現れる。酒呑童子を探索すべく、源頼光一行が山を分け入っていくと、川で洗濯をしている老婆があらわれる。老婆は、「貴方たちが通ってきた「岩穴」からこちら側は「鬼隠しの里」です」と教えてくれる。

“物語の冒頭部分の分析において、鬼が棲む大江山は「王土」に属するかどうかという疑問を呈しておいたが、ここに至ってその答がある程度明らかになったといっていいかと思う。大江山の山中のこちら(人里)側は王土であった。そして岩穴のあちら側は鬼隠しの里、つまり人間にとっての「外部」であったのである。鬼隠しの里には王権のちからは及ばず、鬼たちが数百年にわたって生活をしていた。”
(小松和彦『酒呑童子の首』Ⅰ 鬼と権力 酒呑童子の首-日本中世王権説話にみる「外部」の表象化 (せりか書房、1997年))

 逆に言えば、この(わざわざ言及された)「岩穴」という設定が、【境界】を明確にし、【境界】を超越していた酒呑童子(の住処)を【外部】に認定する要素のひとつとも言えるのだろう。

 また、老婆はつづけて、この【境界】を改めて明確にしているもうひとつの要素についても、話をする。それは、「安倍晴明が都で泰山府君祭を行っているため、鬼は都に侵入できず手ぶらで戻ってくる」という話だ。

“すなわち、安倍晴明はこの物語のなかで、物語の冒頭に見られたように、たんに都人の行方不明事件の原因を大江山の鬼の仕業だと占い判じただけではなく、さらに泰山府君祭を執り行うことで、京の都に鬼たちが侵入することができないような呪的垣根を設けていたのである。ということは、京の都が帝の支配する王土のなかでも、とりわけ重要な「内部」であることを示唆しているわけである。”
(小松和彦『酒呑童子の首』Ⅰ 鬼と権力 酒呑童子の首-日本中世王権説話にみる「外部」の表象化 (せりか書房、1997年))

 小松和彦氏は【内部】と【外部】の構造を下記の図で説明しているが、

【内部】 - 天皇(一条帝) - 内裏(都)   - 王土
        ︙         ︙      ︙
【外部】 - 鬼王(酒呑童子)- 鬼が城     - 鬼隠しの里

これに物語のなかで描かれる【境界】の明確化の要素を加えて解釈すると、下記のようになるだろう。(下記は引用ではない。)

【内部】 - 天皇(一条帝) - 内裏(都)   - 王土
        ︙         ︙      ︙
【境界】           - 泰山府君祭   - 岩穴
        ︙         ︙      ︙
【外部】 - 鬼王(酒呑童子)- 鬼が城     - 鬼隠しの里

 さて、『大江山絵詞』の筋を最後まで見届けると、頼光一行によって酒呑童子は見事退治され、切り飛ばされた酒呑童子の首(すなわち【外部】にあった「タマ」の象徴である)は頼光一行に携えられて【境界】を越えて持ち帰られ、【内部】である京の都の、宇治の宝蔵におさめられた、という結びとなっている。(都には持ち入れなかったため、その地に埋めました、という首塚大明神の由来のエピソードは、実は最古の稿本『大江山絵詞』にはないわけだ。)

 小松和彦氏の書籍ではこの「酒呑童子の首」が何を意味していたか、といった事に論を進めていく。この話を詳しくみていくのは、後の章に譲るとして、我々は、もう少しこの構造について考えよう。

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<⑤ 酒呑童子と同格の【境界】は何か>

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 さて、FGOを想定しながら先の構造に目配せすると、強く気になる点があるだろう。それは、この構図には源頼光は存在していないということだ。

【内部】 - 天皇(一条帝) - 内裏(都)   - 王土
        ︙         ︙      ︙
【境界】           - 泰山府君祭   - 岩穴
        ︙         ︙      ︙
【外部】 - 鬼王(酒呑童子)- 鬼が城     - 鬼隠しの里

 FGOにおいては、酒呑童子と源頼光は対称(ライバル)のように描かれることが多いが、本来の酒呑童子説話では、酒呑童子と同格なのはあくまで、ときの天皇権威(討伐された時点では一条帝)だと考えるべきだろう。
 源頼光にとって、あくまで酒呑童子は「格上の相手」である。(あまり言うと源頼光のファンに怒られそうだが、この後の話につながってくる重要な要素なので、掘らせてほしい…)

 無論サーヴァントとして顕現した身においては、酒呑童子の出力が同程度に抑えられているということはあるだろう。そもそも天皇と同格にまで至る神性は(ポリティカルな理由も含め)特殊な事情がなければ、サーヴァントとして顕現し得ないのかも知れない。
 また、サーヴァントとしての源頼光は、その経歴を理由に、つまり事後的に怪異殺しのスキルを得ているし、宝具において自ら頼光四天王を体現することができる(それが牛頭天王に由来する力だとしても)ため、源頼光側の出力は英霊となって後のほうが増している可能性もある、と思われる。

 しかし本来の酒呑童子説話において、源頼光が酒呑童子と並列でないことの証左が、まさにその「頼光四天王を連れ立って討伐した」といった要素にもある。つまり「本来、源頼光はひとりでは酒呑童子を退治できない」という要素だ。『大江山絵詞』での酒呑童子退治は、酒呑童子と源頼光の一対一ではなく、実に一対十一という多人数戦で行われている。
 しかも各位ご存知のとおり、その十一名のうち四名は、ヒトではなく化現した神仏であった。神仏が一行に参加したのは、源頼光一行が出立の前に八幡三所・日吉山王・熊野三所・住吉明神に参って加護を祈念した由来だろうから、源頼光一行の功績とは言えるだろうが、あくまでその威力は源頼光のものではなく神仏各々のものだ。(そう、『大江山絵詞』の流れで言えば、源頼光は四神を “召喚” して事にあたった「マスター」だったわけだ。協力してことにあたる、神の力を借りる、ということが寧ろ、源頼光の主人公たる所以なわけだから、酒呑童子と同等の力を持っている「必要」もない、ということだ。(フォローになっていないか…?。))


 さて、その前提で、さらに気になってくる点がある。それは天皇-酒呑童子のラインに照応する、【境界】の明確化の要素が空席になっている点だ。

【内部】 - 天皇(一条帝) - 内裏(都)   - 王土
        ︙         ︙      ︙
【境界】   ???     - 泰山府君祭   - 岩穴
        ︙         ︙      ︙
【外部】 - 鬼王(酒呑童子)- 鬼が城     - 鬼隠しの里

 本来、酒呑童子説話は、あくまで【境界】を超越していた酒呑童子を【外部】に追いやる説話だ、という立場を、再度、思い出して欲しい。
 そして、酒呑童子が【外部】だという認定(=【境界】の明確化)は、例えば「岩穴の向こう側に住んでいたからだ」といった理由では弱いだろう。また、酒呑童子と比べると(源頼光同様)本来格下である安倍晴明の「泰山府君祭」といった祭事によっても認定しきれない。
 つまり説話の「意味」の達成を思えば、酒呑童子と同格のちから、つまり天皇に通じるレベルのちからを持ってして【境界】を定め、【境界】の超越者である酒呑童子を【外部】に認定する要素が、説話の中でも存在しなければならない。


 この【境界】は、ある意味で、酒呑童子を退治すべく送り出された「天皇の」配下にあたる一行かもしれない。それは天皇の威光の現れでもあるからだ。しかし、少し迂遠すぎるのではないか。
 では、直接的に酒呑童子を殺めた童子切安綱が【境界】として機能したのだろうか? 否、先にみてきたように、源頼光の刀の威力は、酒呑童子という存在に対しては本来的には弱すぎる(し、それでいい)。


 そう、もう察しがついているだろうが、酒呑童子を【外部】に認定する【境界】を直接的に改められるのは、酒呑童子と同格を持つ、八幡三所・日吉山王・熊野三所・住吉明神の四人の神仏の威力だけだ
 あるいは、その神仏の威力の象徴として与えられたアイテム、つまり、「神便鬼毒酒」が、その【境界】の象徴なのではないか、というわけだ。

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<いったんまとめる>

 (とても)長くなってきたので一度まとめて、次の記事につなげよう。

 酒呑童子の説話の「意味」を確認すると、それは、人々が疫病といった正体不明の災禍への恐怖を納得するために、「【境界】を超越した状態にある災禍を、【外部】として認定し、討伐する」という物語を通して【内部】―【境界】―【外部】の構造を再確認することにあった。

 そして説話の中では、酒呑童子は前提として【外部】の者としてあったわけではなく、【境界】を超越する者として存在していた。
 説話の「意味」に沿って、その酒呑童子に対し【境界】を改めて明確にして【外部】を認定する要素は、酒呑童子の格を考えれば、八幡三所・日吉山王・熊野三所・住吉明神の四人の神仏の威力でしかあり得ず、その象徴こそが「神便鬼毒酒」だったのではないか。

 (そして、サーヴァント・酒呑童子は、自ら「【外部】に追放され討たれるべき」役割を自覚している様子がある。)

 酒呑童子の宝具ははぜ神便鬼毒酒で、酒呑童子はなぜそれを飲んでいるのか、概ね、答えは出始めている気がする。

 とはいえ、あと一、二歩の跳躍は必要かも知れない。
 次の記事では、「神便鬼毒酒」とは一体どんなものなのかという事から始めていこう。

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<投稿後の追記>

※1 2020-08-14 追記
佐竹昭広 『酒呑童子異聞』川柳札記(岩波書店、1992年)によれば、

“「神便鬼毒酒」については異説がある。「この壺の酒は一滴なりとも口に入れ候へば、そのまゝ命を絶つ恐ろしき毒の酒なり。かまへて各々飲む風情をして少しも飲み給うべからず」(麻生本)”

ということだ。(麻生本=麻生太賀吉氏蔵の『大江山酒典童子』)
 「すべてを溶かし得る」という要素はなく、とにかく「毒」であればサーヴァント・酒呑童子がそれを飲む理由にも接続していないが、明確に誰にでも効く「毒」だという描写もあるという点については訂正したい(穴だらけですみません…)。


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