壁のむこう、約束の場所

 空港ラウンジで記事を書くのが習慣になった結果、羽田のANAラウンジで一番搾りのグラスを片手に記事を書くことになるとは誰が予測できただろう。

 一年前にまた羽田から北海道に飛ぶ生活ができるとは多分誰もが期待をしてくれていて、等しくまた戯言だろうと本人さえも思っていた。

 自分には中学2年以来憧れ続け、追いかけてきた尊敬する人がいる。彼に親離れを教えられ、思考をすることを教えられ、生き方を教えられたと勝手ながらに思っている。

 多分彼は自分のことを、一年ごとに入れ替わる生徒の一人としか思っていないだろうが、彼の背中を見て自分が自分であるように生きることができたと思っている。

 そんな彼は私が通った中高一貫校の国語の教員であり、柔道部の顧問でもあった。彼の授業は、本当に面白く為になり今でも内容を覚えているほどに、文章の読み方を教えてくれた。そんな彼に必死に追いつこうと中高時代はできるだけ彼から何かを吸収することができないかと錯誤し、浪人時代は彼がどう思考するかを考え続けた。

 彼がたまにする過去の話は高校や教員になってからの話や彼自身が経験した浪人期の話がほとんどで、彼が死に物狂いで勉強をして入った大学時代の話は全然してくれなかった。

 四月にどうしても入りたかった北大に入り、ようやく彼に追いつくための一歩を踏み出したと思ったのに、彼が壁となってそれを乗り越えようとしたのに、北大入学という壁を乗り越えた先に、彼が頑なに大学時代の話をしない理由がわかった気がした。

 これを言葉にするには残酷すぎて、呆気無さすぎて、多分忘れるけどそれでもなお言葉にすることは憚られるようになぜだかわかってしまった。

 この感覚を埋められるのかは分からないし、本当に彼が大学時代に感じたことかは分からないけど、わかったということを記すことで、いつか北大に入った時に感じたことを思い出せる道標になればいいと思う。

 俺が登った壁の先は深い霧の中だった。

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