謙虚に貪欲であれ

 漸くやりたいことができるスタートラインに立ったというのに、結局は常に階段を登り続けないと意味がないと知った四月。絶望の霧の中で、理科大にいた時の、去年までの自分の方がやりたいことがあって、目標のために上を向き続ける必要があった時の方が充実していたんじゃないか。更には、自分を徹底的にマネジメントして追い込んでいる自分カッケーとでも思ってたどころか、そうであったと願い祈っている。いや、祈っていないと今の虚しさに耐えられないと感じているのではないだろうか。

 その虚しさの原因がもう分かった四月末。やりたいことを見つければ、快方に向かうのではないかとヤケになったと言っても過言ではない。

 2回目の大学一年生にも、所謂「新歓」にいく権利があると思っているので、色々な部活やサークルを回ってやりたいことを見つけるために奔走した。やりたいことを作るなら全力でできるものが良いと今は思っているし、新歓に行っていた時も心のどこかでそう思ってたのかもしれない。

 結果的に週6で平日は3時起きして札幌から15km先の川までチャリを漕いで行き朝練をしたりするめちゃくちゃ過酷な部活に入っていた。いや、吸い寄せられたの方が正しいか。

 自分が入ったボート部は新歓のイベントでボートの試乗会を開いてくれて、実際に部員が乗っている船に乗せてもらい、漕ぐことができる。もちろんそのイベントに参加し、水の上の気持ちよさ、水を自らの力で漕ぐ刺激、直に体感する先輩方の漕ぎの力強さと加速で感じる重力。全部が気持ちよかったし、これがしたいと思った。

 その場で入部を決めきれなかった自分の心の弱さとタイミングの悪さには本当に悔やまれるが、それはまた別の話だし、十分にTwitter(現:X)で病み散らかしツイートをしたのでもう話さない。

 その試乗会である先輩が「俺はお前と漕ぎたいよ」と言ってくれたことが心の底から嬉しかったし、隣で先輩マネさんが「I(その先輩)がそこまでいうことなかなかないよ」と言っていたのが3日間くらい心から離れなかった。

 また同じくその先輩が、競技で上に行くことを目指すことは好きかとも聞いてきた。中高の柔道や小学生のころのゴルフ、研究成果それこそ受験も、いろいろなところで順位をつけられることに疲れていた。どうせ自分は上にはいけないと全て諦めてきた。上に行くことを諦める割には、それ自体に面白さを見つけてダラダラと続ける嫌な癖がついていた。だからこそ、上を目指している人たちの周りでダラダラ続けるような人間がいることは本当に失礼で邪魔で悪影響を与えると思った。

 極め付けはやっぱり北大に受かってしまったことだと思う。殆ど勉強もせず、後期試験の前なんてフツーに1日8時間以上バイトしてた。そんな生活をしていたのにぬるっと受かり上がった。全国の浪人生に頭があがらない。こんな受かり方をして所謂「n」を一つ増やすなんで恥ずかしいにも程がある。

 そんな人間が、真っ直ぐ真剣な目でボート競技に誘ってもらったら、捻くれて入部を迷う気持ちもわかるだろう。

 でも悩みに悩んだ結果、逆に今までダラダラ続けることしかできなかった自分が、4年間だけ全力で部活に捧げることができたら、少しは変わるのではないかと思い入ることに決めた。

 去年、北大以外大学じゃないと言い聞かせ続けて、理科大の図書館で一人自分の意識を高め続けた。あの自分を追い込ませる時の感覚をもう一度呼び起こしたいとも思った。とにかく必死で下を向く暇がなんてないと思いながらも、焦らずに目の前に散らばる課題を拾い上げて穴を無くしていく。この繰り返しが全てにおいて通じると教えてくれた理科大へのある意味での恩返しかもしれないとも思った。もう一度上を向く、向き続ける覚悟を決めるきっかけをくれた。

 北大の合格を知った時、嬉しさという感情よりも自分にある才能はとにかく続けることだけしかなかったじゃないかと思い、何か特殊な才能がないことに落胆した。でも、その「とにかく続ける才能」を1ヶ月分析した結果、「誰でもできるを誰よりもやる」という自分の好きな言葉に通じていることに気づいたし、実践できていたことにも素直に喜べた。

 ボート部の艇庫のトイレに大体こんな意味の言葉が書いてあった。

勝利は誰しもが手にいれることのできるものではないから、勝利を掴める人になるために、常人とは違うことをし、違う考え方をしなければならない。

 正直、自分には無理だと思った。でも、誰でもできることを誰よりもやることは誰にでもできることではないことを自分は知っている。だからこそ、平凡のその先に自分が立ち、常人と違う境地に至れることを目指そうと思った。

 まぁ、そんな精神的な話はさておいて、昨日まで新人はGW合宿だった。柔道部の合宿の辛さを知っているからこそ、想定しうる最高の辛さが降りかかり、自分を追い込めることを期待していたが、現実はそう甘くはない。一年間受験を頑張り、体力を失った若者に労わるメニューであった。

 一つ段落を飛ばすごとに話がどうでも良くなっていくのは、本当に文学部の人間かと疑いたくなるものだが、合宿のキツさなんて本当にどうでも良い話だ。本当に話したいことは、合宿の最後にあった入部式の話。

 一年生が自己紹介と目標とかを言うのだが、自分はなんとまぁすっとぼけたことを言ったのだろうか。「4年間漕ぎ続けられるように頑張ります。」だとよ。確かに、直前にボート部の新入部員の定着率の悪さの話をしていて、ドロップアウトはしたくないと思ったことは確かだが、なんだそのやる気のない目標は。人前で話すのが苦手すぎるんだよなぁ。本当は「4年間全力でぶっ倒れるまで漕ぎ続けたい」と言うつもりだったのに。

 一年の話が終わると先輩方の自己紹介と新人に向けた一言を言ってくれたのだが、先に話にでた先輩の一言で自分の目標がかたまった。
 先輩は「お前ら(1年)全員が3年後俺の最後のインカレで笑って送り出してもらう」と言ってくれた。新歓トップセールス(後で知った)の先輩だからこそ言える言葉だと思ったし、その売り上げの一人であり、ドロップアウトしたくないと思った自分に響くものがあった。
 少し話は変わるが、入部したい旨を伝えたのもこの先輩で、先輩と漕ぐことができるように頑張りますと少し恥ずかしく、小生意気なことを言ったと反省もしたが、後でボート部のブログを読むと、その先輩の目標は「一緒に漕ぎたいと思ってもらえる漕手になる」と掲げており、思いがけずその言葉で先輩に入部を伝えられたのは、懸命に勧誘してくれた恩返しになれたのだろうかと入部してよかったと思える一つでもある。

 そんな先輩の一言で決まった自分のボート部での目標は、「先輩と居ることのできる3年間は、先輩と同じ船に乗れる実力をいち早くつけて、誰よりも一緒に漕ぎ、最後のインカレで勝って先輩を胴上げする」に決めた。
 そんな他人頼りな目標は小っ恥ずかしくて人前では言えないし、ましてや本人になんて言えない。達成できなかったらもっと恥ずかしい。だから何処かで言っとかないとすぐに諦めるだろうからここで書いた。

 自分にストイックになるために入ったボート部で、他人に寄りかかった目標を立てるなんて矛盾だらけだが、それもまた自分だと思い、一年も長く努力している先輩に追いつこうなんてとんだ失礼な発言だが、それだけ自分を追い込んで誰よりも力強く漕げるようになる。それが目標までの道のりの間にあるとても理に適った目標なんじゃないかと分析する。

 ともかく、壁を登った先の霧が少し晴れて次の壁が見えた気がする。いただきますとご馳走様の間は兎に角食べることに集中することが食事を作ってくれた人への礼儀であるのだとしたら、こんな失礼な目標を立てたからには誰よりも努力することが礼儀だと勝手に解釈して、トップギアでやってやろうじゃないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?