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【自動車無し生活】若者の車離れとかマイカー不要論とか

自家用車無し生活、と書くとやっぱり連想してしまいがちなのが、最近流行りの「若者の車離れ」そして「マイカー不要論」といった言葉です。今回は、これらの話題について私の立ち位置みたいなものを簡単に書いておこうと思います。

まず、若者の車離れについてですが、単純に考えて「そりゃ買えないよね」の一言に尽きるのではないでしょうか。

給与水準は下がる、非正規雇用の割合が増える、年金は目減りする。車の購入費用や維持費を考えたら、買わない人が増えるのは当然だと思います。しかも若い人の中で結婚しない人、子供を持たない人の割合が増えている中、単身者がマイカーを持つメリットはあまり多くないと思います。それでも軽キャンパーなど個人の趣味に大きく振った車は注目されているようですが、車の販売台数を大きく押し上げるような流れにはなっていないようですね。

次に、マイカー不要論についてですが、自家用車が必要かそうでないかは、各個人の置かれた状況によりますよね。

実際公共交通機関が発達していない地域にお住いの方にとって自家用車は
無くてはならないもの」
であることは間違いありません。
ですからマイカー不要論というのはある程度都市圏の交通の便の良い所が生活圏となっている人の中で交わされている議論だと思います。

私もたまに都内に車で出かけることがありましたが、確かに渋滞は精神衛生上良くないし、車を停める場所を探すにも一苦労する。停めたはいいけど駐車料金がバカ高い。つまり、車を邪魔だと感じることが多々ありました。
そういう場所で暮らしていれば、そりゃ不要だと言いたくなると思いますが、そう思える場所はまだまだ少ないのではないでしょうか。

「私たちは自家用車が無くても死ぬまで生活できるし、自家用車が無ければ生活できない社会であるなら、それは社会が間違っている。」

これがこのマガジンのコンセプトなのですが、このマガジンはマイカー不要論のように自家用車を手放すことを奨励することが狙いではありません。

私は先日事故を起こして、その経過を振り返ってみて自分の運転が危険だなと思い、自家用車を手放しました。事故でも起こさない限り、自らの運転が危険だと自覚できる方はあまりいないと思います。しかし、それなりの年齢になったら、少しずつ運転できなくなった時の準備をしておくべきだと思います。それができていないと、いつまでも免許にすがりついてしまい、最終的には周囲に大きな迷惑をかけることになりかねません。

私の義父は75歳で度重なる癌の闘病のために歩くのもままならない状態でしたが、周囲の説得にも応じず愛車のクラウンを運転し続け、最終的に追突事故を起こしました。本人は大きな事故ではないと嘯いていましたが、私が手続きのためにディーラーに出向くと、クラウンのフロントは大きく損傷していて、廃車とせざるを得ない状態でした。おそらく怪我人も出ていることでしょう。

義父は車にすがってしまったのです。タクシーもあったし、私たち周囲の人間に頼ることもできた。遠出をしないで近場で用を済ませるという選択肢もあった。宅配や介護サービスの利用もできたはず。それでも車に乗って移動できるということが彼自身のアイデンティティであったのかもしれません。愛車を失ってからの義父は急速に気力を失っていきました。

私がこのマガジンで書いていきたいと思うのは、「自家用車を手放そう」ではありません。目指すところは「自家用車を手放しても大丈夫」なんです。

私も自家用車はあれば便利だと思いますし、不経済だとも思いません。
そして何より、運転は楽しいです。

そう思ってなければ、甥っ子に愛車を譲ったりはしませんから。


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