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ひとつだけ自信を持って言えること --- 世界乾癬デー2020

2020年10月29日、今日は世界乾癬デ―だそうです。

昨年98歳で他界した私の母は50歳から65歳くらいの間の15年ほど、尋常性乾癬に苦しめられました。私は当時10歳から25歳。母親の苦しみを真横でずっと見てきました。せっかくなので今日はそのことについて書こうと思います。なお、この記事は乾癬の治療法について有益な情報をお伝えするものではありません。その点だけは誤解無きようお願いいたします。

私が10歳の時です。我が家はある日突然引っ越すことになりました。父の転勤でもなんでもなかったのなんでだろうとは思ったのですが、なんと新しい住まいは郊外の公団住宅、文化住宅という名の「団地」です!子供の私は風呂付き水洗便所の文化住宅に大喜びでした。しかし転居には私の知らない理由がありました。母の乾癬の悪化です。それまで住んでいた家には風呂が無く、毎日銭湯を利用していました。しかし母の乾癬が悪化していよいよ銭湯に通うのが難しくなってきた、それが引っ越しの真の理由でした。

今はネットで検索すると乾癬の症例写真を簡単に見ることができると思います。乾癬という病は皮膚に赤い斑点が現れ、斑点の表面が乾いてうろこ状の皮が剥がれ落ちるという厄介な病気です。それが斑点が全身に広がると、あえて書かせていただきますが、何も知らない方にとってはあまり気持ち良く思われない状態になります。ですから公衆浴場での入浴は本人にとっても周囲にとってもかなり難しいものになります。

父は昔の人でしたからいつかは一軒家に住むことを夢見ていたのでしょうが、それを諦めて交通の便の極めて悪い中古の公団住宅を慌てて購入しました。それでも乾癬はかなり痒みが強いらしいので、誰に気兼ねもせず風呂に入れることは、母にとっては本当にありがたかっただろうと思います。

それから十数年、母のトライアンドエラーが始まります。医者を変え、病院を変え、様々な民間療法に手を出し、良いと言われたものはすべて試したと思います。

まず食事制限。肉類、油もの、刺激物などはすべて控えるようにしました。

医師の処方は基本塗り薬か貼り薬。軟膏はおそらくステロイド系の軟膏。貼り薬はフイルム状の貼り薬を赤斑の形に切り、赤斑全体を覆うタイプのもの。姉たちが結婚してからは背中に薬を貼るのは私の役目でした。赤斑が一つ二つの間は良かったのですがそれが三つ四つと増えていよいよそれが全身に回るとなるといくら貼っても貼り切れず、本当に大変だったことを覚えています。フイルム自体粘着力があまりなくて畳の上にいつもはがれた貼り薬が落ちていました。

アロエが良いとも言われ、当時まだ一般的でなかったアロエを買ってきてスライスしてラップで巻いてみたり、紫外線を当てるといいと聞いては紫外線が出る蛍光管を買ってきて電気スタンドに取り付けて当ててみたりもしました。しかし母の症状はどれも有効とは言えず、一向に良くなる気配がありませんでした。

命の危険はない、死ぬような病気ではないとは言われても、10年以上赤斑の痒みと戦い続けて、しかもどれも大きな効果が得られないとなればさすがにメンタルも弱くなってきます。母は最終的に新興宗教に入信してしまいます。父はその手が大嫌いでしたが治療法の模索は完全に手詰まりとなっていて、母には好きにしろとしか言えなかったみたいです。

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ここからは少し慎重に書かねばなりません。私は新興宗教のまわし者でもなんでもありませんので。どうか誤解をなさらないで下さい。
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母がどんな宗教に入信したのか私は知りません。ジャンルとしては「手かざし」の類いだったように思います。母はそこでそれまでの一切の薬を断つようにとのアドバイスを受けます。症状は一時的に悪くなるかもしれないが、それで身体から毒が抜けると言われたそうです。そして母は一切の薬をやめました。すると不思議なことに少しずつ母の乾癬は快方に向かい始めたのです。

私はその頃にはそれなりに大人でしたから、まあそんなこともあるのかもしれないなと納得していました。とにかくつらそうな母をあまりに長く見てきたこともあって、母が快方に向かうのであれば宗教だろうがなんだろうが目をつぶるくらいの割り切りはできてました。うちは元々貧しかったのですが、母の様子を見る限り、目に余るような散財もしていなかったと思います。ならばいいかと。

ただ、私は信仰が母の心の支えにはなったかもしれないけれど治療に対して具体的な効果があったかといえば、そうは思っていません。いきなりすべての薬を断つという行為についても現在乾癬に苦しんでおられる方には絶対にお勧めしません。私の母の場合は、今と違って情報が極端に少ない時代でしたから、本当に様々な民間療法を試したせいで身体は確かにボロボロでした。ですからそれらをすべてやめてしまうことで一度心身をリセットする効果はあったのかもしれません。しかし現在は乾癬に対する周囲の理解も深まりつつあるようですし、治療に関する正しい情報も得やすくなっています。なにより医学や薬学自体も比べ物にならないくらい進歩しているでしょう。現在ではそんな一か八かのような危険を絶対に犯すべきではありません。
母が快方に向かいだしたのは65歳を過ぎたあたりから。私は母の老化に伴い代謝や身体の様々な働きが鈍くなってきたことで症状が落ち着いてきた、その時期にちょうどうまく重なったのではないかと見ています。しかしそれについても単なる憶測に過ぎません。

ただ、少しだけ私が自信を持っている理由は、後に母が宗教的な行為を全てやめているからです。父が他界し、3人の子供が世帯を構えるようになって、母は独居老人となりました。その頃から母は、子供たちに経済的な負担をかけまいと思ったのでしょうか、とても倹約的な生活をするようになり、宗教の集まりよりも隣近所との付き合いを大切にするようになりました。身体も昔のように動かなくなり、宗教の集まりに出かけることが億劫になったのかもしれません。それでも母の乾癬は再発せず、98歳に転倒をきっかけに他界するまでほとんど病気らしい病気をしませんでした。

さて、ここからが世界乾癬デーの今日、乾癬に苦しんでいるご本人、ご家族、そして乾癬という病をまだよく知らない方々に本当に伝えたいことになります。

冒頭にも書いた通り、乾癬という病に対してどんな治療が有効なのか、そのような情報は私は持ち合わせていません。しかし、私が確かな証拠をもって示せる事実がひとつだけあります。

母は栃木県の生まれで6人兄弟の長女です。父と結婚して、私を含む3人の子宝に恵まれました。その後孫が5人生まれて、さらにひ孫が2人います。母の兄弟にもそれぞれ子供や孫がいます。そしてそれらの誰一人として尋常性乾癬を患っている人はいません。私は母の症状が最も酷かった15年間、共に暮らしその間おなじ食器や同じ浴槽を使いましたが、私に乾癬の症状は欠片もありません。

乾癬は遺伝するものでも感染するものでもありません。痒いし、赤斑は目立つし、ぽろぽろ白い粉がどうしても落ちてきてしまう。それはつらいことではありますが、それらが患者のみなさんと他の人との接触の妨げになることはないのです。もしこの原稿を読んでいらっしゃる方が乾癬と戦っているご本人であるなら、私はぜひ伝えたい。みなさんは誰にも迷惑をかけてなどいないし、私たち周囲にいる人の誰の迷惑にもなっていない。それは現在だけでなく、将来にわたってもです。なにも気にする必要などありません。

今申し上げたことは、当事者の皆さんにしてみれば当たり前のことだと叱られるかもしれませんね。しかし、世間的にみればまだまだ理解が進んでいないと感じるのも事実です。まず周囲に乾癬を患っているかたが少ないというのも理由のひとつでしょう。そういう方たちが何も知らずに初めてその症状を目にすれば、反射的に怖い、近寄りたくないと思ってしまう、それは仕方のないことです。ですが知ってしまえばなんということもありません。いたずらに怖がるようなものではない、むしろ理解の無さで人を傷つけてしまうことこそ恐れてほしい。それを一人でも多くの人にわかって欲しくて、今日という日を機会に私の経験を書かせていだきました。できればこれまで乾癬という病気に縁のなかった方に読んでいただき、少しでも関心を持っていただけたら嬉しく思います。

ここまで一気に書いてしまいました。乱文で恐縮ですが、ここまでお読みいただいてありがとうございました。

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