炊飯器

私の炊飯器の中の白米

10年近く使い込んできた炊飯器が微妙に壊れてつらい。米を炊くことはできるのだけど、電源を入れるたびに時計がリセットされるようになった。現在時刻を入力し直しても、電源を切って、また入れた途端に液晶は「0:00」を指し示す。無情だ。私との10年まで忘れてしまったんだろうか。

確かに、真夏に白米を保温したまま長めの帰省をしてしまったこともあった。帰宅してからも恐ろしすぎて開封できず、しばらくものすごい緊張感で過ごした日々はお互いに忘れがたく、また忘れたいものであっただろう(友人に後ろで励ましてもらいながら開けた)。しかも似たようなことをこれまで何度も繰り返してきた。なんなら一回夢みたいな色になったよね。正直、炊飯器に闇討ちされても仕方がない人間だ。それでも私にはどうしても炊飯器が必要なのだ。

私は1週間に何度か、朝5時からいなり寿司を作るバイトをしているので(本気で向いてないのにうっかり7ヶ月続いてしまい思い悩んでいるという余談がある)、しばしば4時くらいに起きて米を研ぎだす。炊飯器に釜をセットして、現在時刻を入力し、8時半に炊き上がるように予約してから家を出る。ボタンをポチポチ押し、「0:00」を指し示す炊飯器に早朝の概念を教え直して、真っ暗な町を自転車に乗って団子屋に急ぐ。赤飯が炊き終わり、通りにおしぼりを納品するトラックが停車するころにはゆっくり夜が明け始めて、(今ごろ炊飯器も朝を迎えているのだろうな)と思う。新しい朝を。

帰宅する。光に包まれた明るい部屋で、白米を炊き上げたばかりの炊飯器が、胸に「保温」のバッジをきらめかせて誇らしそうに鎮座している。液晶に映し出されるのは「8:42」、現在時刻だ。蓋を開くと、秋の部屋に快い暖かさと、ほのかに甘いにおいが漂う。玉子かけご飯に、余裕があればスープが付くぐらいの朝食をとっとと済ませて、残りの白米はお昼用におにぎりに、あとは適当にラップにくるんでごはん玉にしたのを机の上に転がしておく。電源を落として釜を洗う。液晶は「0:00」を表示しながら明滅するし、私はまた家を出る。