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#血肉

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日々の出来事を地肉に換える、ノンフィクションです。
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#家族

#名前の由来

小学生のとき、自分の名前の由来について、親に聞いてくるように宿題が出た。そんな小さい頃なら、同級生たちは「え~何だろう~」などと口々に言い、親の回答を楽しみにしただろう。私はすでに母から散々に聞かされていたため、そのくだらない宿題には、心底うんざりした記憶がある。 仕事柄、母の交友関係は広い。自然と私も小さい頃から色んな知り合いに可愛がられた。大人になって地元に帰っても、気が付けば母はいつも誰かと電話をして、大きな声で笑っている。母は9人兄弟で、あたりまえに家族も仲が良く、

「毎日を大事に生きる。」

現在一日中キーボードを叩いていたが、仕事はしなかった。想像していた以上に経理の仕事は難しくなく、午前中には割り当てられた仕事が終わってしまい、パソコンに向き合う私の午後は無気力だった。いくつもの転職サイトに登録したものの書類選考で落ちることを繰り返し、転職活動に疲れた私は仕方なく勧められただけの仕事に就いた。いつまでもお金がない生活などする余裕はなく、それ以外に選択肢はなかった。こんなはずではなかったと思うことが多くなった。若い頃は誘われる仕事に手を挙げるだけで済んだが、もう

「やりたいことが一番だ」

商店街の床屋小さい頃から高校の途中までの10年ほど、近所の商店街にある床屋さんで髪を切ってもらっていた。当時私の家族は商店街に面したアパートに住んでいて、床屋に限らず商店街でお店を開いている大人のほとんどは家族のようで、地域の繋がりを身近に感じていた。髪を切られている間は居心地が良すぎたのか、必ずと言っていいほど寝ていた。また小さい頃の私は長髪に伸ばし、よく女の子に間違えられたものだが、小学校に上がる前には髪を切らざるを得ないことから、家族以外の誰かに切ってもらうことになった

「いつまでも泣いてちゃダメなんだって」

そんなわけにもいかなくて、うずくまるしか無かったんですよ。 ずっと味方だったじいちゃん。 家族との時間よりも目の前の時間、生活で一杯いっぱいだったりして。 数年ぶりに会った、10歳そこそこの従姉妹は、背中を叩いて言うんですよ。 「いつまでも泣いてちゃダメなんだって」 じいちゃんの言葉だそうです。 人の考えとか想いとか、こうやって繋がっていくというか。 子どもは大事なことこそ覚えていて、大人は何かを言い訳にして忘れます。 もう進んでるんですよ、子どもは。