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刀ミュ「陸奥一蓮」感想&考察その3

前回に続き、後半のストーリー内容と感想・考察になります。
今回はかなりの長文です。
※ネタバレ注意
※あくまでも個人的感想です。そして劇中歌は鶴丸と三日月のみのピックアップです。
※できれば前回の感想&考察その2を先にお読みください。

後半ストーリー

※劇中歌を引用しています。引用している部分は太字表記。
 劇中歌のセリフは()内表記にしてあります。

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鶴丸たちが去った後、三日月は一人その時代に残り、蝦夷の行く末を見ていた。
阿弖流為と母禮が生きていれば蝦夷の再興は叶うと考え、阿弖流為と母禮の身代わりを買って出た村人が坂上田村麻呂のもとに引き出される。しかし身代わりに気づいた坂上田村麻呂は、身代わりとなった父を探しに来たヤヒコを父の目の前で殺す。しかしそれでも阿弖流為の居場所を言わず、阿弖流為と母禮だと言い張る村人をもまた、坂之上田村麻呂は斬り殺してしまう。
そして「こんなことをしても無駄死にだ。戦なき…、そんなもの、夢のまた夢!」と行き場のない想いをぶちまける。
その様子を、三日月はただ静かに、悲し気に見ていた。
多くの蝦夷の人々の、骸の山の上で…。
そこに阿弖流為と母禮が戻ってきて、骸の山となった蝦夷の人々を前に嘆き悲しむ阿弖流為に母禮が諭す。「行こう。ここで私たちが死ねば、本当の無駄死にになってしまう」しかしそれでも首を縦に振らない阿弖流為に向かって、三日月は問う。「何故戦うのか。一度芽生えてしまった疑問を消すことは容易くない」と…。三日月を訝しむ阿弖流為と母禮は何者だ、と問う。それに対し「友」だと答え、ヤヒコは自分をアラハバキ、と呼んだと答える。
アラハバキ…それは蝦夷にとっての神の名。
阿弖流為は三日月に向かって叫ぶ。「あんたが神なら教えてくれよ!この先我らはどうなる。この地は…」「様々な花が咲き誇る。咲いて、朽ち果てるな」三日月が答えた花とは人の命。つまりは散って終わりか、と項垂れる阿弖流為に対し、三日月はさらに言い募る。「花は何故朽ち果てると思う。次に繋ぐためだ」その言葉に母禮はハッとし、花は朽ちて種ができると思い至る。それに頷き、三日月が答える「残された種が何百年も先で芽吹くこともある。人はそれを奇跡と呼ぶ」そして想いを繋ぐ人間もまた、神である自分からみれば『奇跡』であると。このやりとりから何かを感じた阿弖流為は、「いつか陸奥(みちのく)から戦は無くなるか」と問い、「永遠とはいかぬが、戦なき平和な浄土がここに築かれる」と告げる。
その言葉に希望を得た阿弖流為と母禮は、この地に生きた蝦夷という人間の誇りと生き様を深く歴史に刻むためにその命を使うことを決め、朝廷に投降することを決意する。

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一方、本丸に戻った鶴丸は手入れ部屋が空くのを待つ間、本丸で一番古い大きな桜の樹の前にひとり佇んでいた。
(ここからはちょっと表現が難しいので、そのままシーンを記事にしています)

(※鶴丸の劇中歌)
真白な雪に落ちた ひと雫の赤
ジワリととけて ジワジワと広がる
真白な雪に落ちた ひと雫の泪
誰も気づかず 誰にも気づかれず
雪が積もれば 隠されてゆく 土に残った 誰かの足跡
雪の上には 増えてゆく さ迷い歩く 誰かの足跡
はてはて 何処に向かう足跡なんだい・・・

犠牲となって流された多くの血、そして鶴丸の胸に蓮の花が入るようなシーンが歌の中で描写され、背後に本丸の桜が重なります。
(シーン描写終了)

本丸に帰還し手入れを受けた刀剣たちは、それぞれ三日月の単独行動について考えるところがあった。
加州は古参の刀たちが抱えてる悲しみを知りたいが、それを聞くことを躊躇っていた。しかしそれを大包平に怠慢だと指摘され、さらに「本当に知りたいならそう言えばいい。何のために口を得たのだ」と言われてしまう。

そして水心子も、三日月が何を考えているのか分らず書庫にある資料を漁って三日月が何をしているのか探ろうとしたが、疲労からかそのまま転寝をしてしまい、心覚えの荒廃した世界で三日月に「貴方は何をしようとしている」と問うていた時の夢を見る。
悪夢に魘される水心子を、差し入れを持ってきた蜂須賀が起こす。そして水心子に告げる。君が三日月宗近を探っているのは知っている、と。蜂須賀もまた、三日月が何かを隠していることに気づき、もどかしい想いを抱いていると話す。そして不意に水心子は鶴丸が撤退を選んだのが意外だったと告げるが、蜂須賀は鶴丸があの時撤退を選ぶことに気づいていた、と言う。
その理由は「三日月宗近がいたから」「だから鶴丸国永は躊躇うことなく一旦撤退することができた」と答える。そしてさらに「この本丸の古参の方々は何もかもをひとりで抱え込もうとする傾向がある。不愉快だ」と。それに同意を示す水心子に、明日は出陣だから程々に、と忠告すると蜂須賀は書庫を後にした。

夜になり、部屋では山姥切国広が刀の手入れをしていた。そこへ加州が夜食を持って現れる。そして手入れ部屋から出てきたときに大包平から言われたように、加州は山姥切国広に山姥切国広や三日月が抱えている悲しみを教えてほしいと告げる。何故、顕現した刀剣男士一振りにつき1本ずつ植えているという本丸の桜の樹が1本多いのか、それを今までは聞いてはいけないものだと思っていた、と。
加州の素直な知りたいという言葉に、山姥切国広は再出陣して無事に戻ってきたら話す、と約束する。そのころ、大包平はこのままでは三日月の強さに追いつけないとひとり木刀を振っていた。
それぞれが再出陣を前に己と向き合うその姿を、月が遠くから見下ろしていた…。

――翌朝。再出陣を前に、鶴丸と審神者が昔話に花を咲かせていた。
審神者が好きな花の桜の樹を、新しい刀剣男士が顕現するたびに、桜を植えていくことにしようと初期刀に言われた、と。
そして、あの頃の自分には覚悟がまだ足らなかった、と振り返る。
そこへ山姥切国広がやってきて、今回は自分を隊長にしてくれと名乗り出る。その方が鶴丸が動きやすいだろう、と。その言葉に鶴丸は助かると述べ、山姥切国広の隊長が了承される。
そして再び、平安初期の陸奥へ出陣する。

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朝廷の坂上田村麻呂は投降してきた阿弖流為と母禮を本物だと認める。
しかし城の外には蝦夷の人々が集まってきていた。しかし坂上田村麻呂は蝦夷の人を殺さず、風呂と飯を与えよと命じる。
殺さないのか、と問う阿弖流為に坂上田村麻呂は生かせば使い道はいくらでもある、と答え、その言葉に阿弖流為は驚く。
そして正史通りに阿弖流為と母禮は都に連行されることとなるが、そこを再び時間遡行軍が襲ってくる。
都までの護送を考えると兵力が少ないことを危惧するが、刀剣男士たちが護衛を名乗り出、坂上田村麻呂もそれを了承する。
その際、山姥切は鶴丸を護衛から外し、水心子にも鶴丸と共に行くように告げる。

都へ向かう途中、加州は阿弖流為に尋ねる。都に行けば命はない、と。それに対しだったら尚更逃げるわけにはいかない、と阿弖流為は言う。自分の命をどう使うか、間違える訳にはいかないと。そこにかつての主の面影を見る加州。そんな阿弖流為の生き様を聞いていた蜂須賀は己の胸の裡を零す。
「目を凝らせば見えると思っていた。陽の光に沈む星の話だ。でも、どうやったって見えないんだ。陽の光は強いからな。たとえ埋もれても、見たいと目を凝らすものがいる。それでも見えなければ、飛び込んで、潜って、きっと見つけ出す」と…。

都へ向かう坂上田村麻呂も、共に過ごすうちに阿弖流為と母禮に情が湧いてきたのか、ふと思ってしまう。もしも…味方だったなら、違う出逢い方をしていれば…、と。そんな心を見透かしたように母禮が言う。もしもはない、と。
けれど大包平はそんな坂上田村麻呂の言葉を聞いてあげるのだった。

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一方別行動で都へ向かっていた鶴丸と水心子だが、阿弖流為と母禮が無事に都へ入ったと知り安堵するとともに、二人の命が残り少ないと知っている。
そのことを可哀想に思うか、と鶴丸に問われた水心子だが、答えることができないでいると「たかが刀が何を憂う」、と再度鶴丸に言われるが、そんな水心子に対し、鶴丸はやさしい瞳で頭を撫でながら言う。「おまえは飽きるまで寄り添ってやりな。もう俺には、できないから」と…。そしていきなり刀を抜き、水心子に斬りつける。
訳がわからず戸惑う水心子に、鶴丸は大声で誰かに告げる。
「おーい、いいのかあー!!このままだと折っちまうぜー!!」と。
なおも斬りつける鶴丸の刀を、どこからともなく受け止める刀。その刀を握る先に、三日月が現れる。
そして今度は三日月と鶴丸が斬り結ぶ。それをただ見ているだけしか出来ぬ水心子。三日月と斬り結びながら鶴丸が問う。「あの時、互いにこうして刀を交えていれば、何かが違ったか」と。「そんな話、鬼が嗤うぞ」「勝手に嗤わせてろ!」「それもそうだな!」となおも刀を振るいながら少しの間切り結び、斬撃が止まった瞬間、鶴丸は三日月に伝える。
「主が悲しんでる。年寄りは約束を守るんじゃねえのか」「……守っているつもりだ。俺なりにな」そう言って立ち去ろうとする三日月に「まだ、探しているのか」と尋ねると一度だけ振り向き、何も言わずに三日月は去っていった。
呆然とする水心子に手を差し伸べ謝る鶴丸。立ち上がりながら「三日月宗近は何を探している」と聞く水心子に「けして、見つからないものさ」と鶴丸は答えた。

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都に入った坂上田村麻呂は、朝廷に阿弖流為たちの助命嘆願を願い出るも、蝦夷は蛮族であり、捕らえるまでの膨大な犠牲を出したということで助命は叶わなかった。
そこへ時間遡行軍が襲い掛かり、応戦する山姥切・加州・蜂須賀・大包平。
その戦いを見て、坂上田村麻呂は思う。蝦夷を蛮族と見下し、戦うことに何の躊躇いもなかった自分たちと同じだ、と。
戦いに疑問を抱いてしまった坂上田村麻呂に、蜂須賀や大包平は言う。
「カッコつけて、気づかないふりをして、武器を握る」「誰しも己が見せたくないものを隠し、己が見たくないものから目を背ける。そういうものだ」
その言葉に、坂上田村麻呂は大声を上げる。
「戦を始めるものの、多くは戦場を知らん。都から遠く離れたあんなところで、どんな殺し合いが行われているかなんて、まるで興味がない!」「自分たちにとって都合のよい結果を、ただ首を長くして待っているだけだ!」
と。そして打って変わったように静かに語る。
「だがそれでいい。そうでなければ戦は続けられない。命の奪い合いを目の当たりにすれば、どうしても疑問が生じる。疑念に苛まれる。戦をやめたくなる。死ぬかもしれないという恐怖からではない。戦と言うものがあまりにも無益な、バカげた事であると気づいてしまうからだ」
「そこからは己との戦いになる。何故戦うのかという、拭いきれぬ疑問に気づかぬふりをしながら次の戦を乗り切らねばならない」
坂上田村麻呂の言葉に、何かを想う刀剣男士たち。
「だから、終わらせるんだろ」
不意に力強く山姥切国広が告げる。その言葉に、坂上田村麻呂も二人を処刑することによってすべてを終わらせる決意をし、刀剣たちに感謝を述べ、護衛の任を解くのだった。

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坂上田村麻呂と別れるとすぐに検非違使が5体現れた。
離れていた鶴丸と水心子も合流し、確実に仕留めるため加州と鶴丸が複数を引き付ける囮となり、残る4振りが一体ずつ検非違使を仕留めてゆく。
しかし検非違使はかなりの強敵で、鶴丸や加州だけでなく、水心子・山姥切・蜂須賀・大包平も傷ついてゆく。
やっとの思いですべて倒したと思った検非違使だが、新たに一体現れ、加州が攻撃を受けて折れる寸前、というときに三日月が現れ、部隊は三日月と共闘し、ついには検非違使を倒す。

ボロボロになって立っているのもやっとの出陣メンバーに、三日月が言う。
「給料分は、働いたかな」「全然足りねえだろ!過重労働だ!!」と憤る鶴丸に対し、助かったと礼を告げる山姥切。そんな山姥切をみて良い目をするようになったと告げる三日月。その後ろで、水心子が「折れたらどこに行くのだろう…」と呟く。そのつぶやきに蜂須賀が引きずり込まれるな、と諫める。「心もそうだが、思考というのも厄介なものだ。俺たちは人ではない。刀剣男士なのだから」と。
戦いが終わった時、加州に向かって山姥切りがげんこつを落とす。
痛がる加州に、鶴丸が笑いながら告げる。
「確かに傷は手入れすれば治る。折れない限り何度だってな。だが、時間が過ぎるほどに深くなる傷もある」と。それに対し次に繋げることが新選組の闘い方だ、と答える。
出陣部隊は加州の希望で阿弖流為と母禮の処刑までを見届けることとなる。

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阿弖流為と母禮の処刑を見届けるために移動を開始した出陣部隊。少し遅れて移動し始めた三日月に、不意に過去の記憶が甦る。
自分が顕現した時の事、鶴丸が顕現した時の事、鶴丸の鍛錬の最初に、やまとうた(歌合せの顕現儀式の時に鶴丸が言ってた和歌)を最初に習わせたこと、山姥切が顕現した時の事、桜の樹を植えるために鶴丸に穴を掘らせたこと……。
そして……初期刀が折れた時の出陣のことを……。
苦悶に蹲る三日月だったが、しばらくすると何事もなかったように立ち上がった。

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阿弖流為と母禮の処刑の前夜、三日月は二人の前に姿を現し、「なぜ負けるとわかっていた戦に身を投じた」と尋ねる。それに二人は「あの地に生まれ、あの地に生きたから」と笑って答えるのだった。答えを聞き、三日月は二人の縄を斬る。そして逃げろ、と伝えるが阿弖流為は自分の命は自分のものだ。たとえ神さまでも指図するな、とその提案を拒否する。
「やはりおまえは、おまえだなあ」と言う三日月の言葉に、阿弖流為は三日月と何度も逢っているのだと確信し、今までに逃げた俺はいたかと聞くも、三日月は困ったように微笑むだけだった。
阿弖流為は「おまえの命も、おまえのものだ」と言う言葉を残し、翌朝母禮とともに処刑された。
それを遠くから見届けた刀剣男士。
再び部隊から離れようとする三日月に向かって、水心子が将門からの言伝て「負けた者に寄り添いすぎると、そのうち負けに引きずり込まれる」と伝える。しかとその言葉を受け取る三日月に、距離をとっていた鶴丸が背を向けたまま告げる。「あんま無理すんなよ」それに対し「しゃらくせえ」と一言だけ返し、三日月は去っていった。

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残された阿弖流為と母禮の骸を前に、刀剣男士は歌う。
命も想いも、形ないからこそ壊れぬまま残る、と。
歴史の大河に落ちた種がどのような花を咲かせるのか、繋がる想いはいつか種を芽吹かせることを願いながら、刀剣男士として見届けると……。
やがてこの地に平泉という楽土が誕生する、その礎となることを願って。

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陸奥の地に咲く蓮の花を前に、鶴丸は歌う。

(以下 劇中歌)
花が咲くか 種が先か 満ちるが先か 欠けるが先か
巡るものの始まりは 不確かで曖昧

そう言って去った鶴丸。時代は分らぬが同じ場所に三日月が現れ、歌う。

咲くが先か 朽ちるが先か
(阿弖流為 母禮の処刑からニ百五十年の後、奥六郡の長 安倍氏が大きな叛乱を起こす。それを皮切りに前九年の役 後三年の役と戦が続く)
散るが先か 芽吹くが先か
(戦いの後、平将門を討った藤原秀郷の末裔 藤原清衡がこの陸奥(みちのく)に君臨する)
巡り巡ってこの地は 戦なき 仏国土 (平泉)


奥州藤原氏の時代へと移り、三日月の元に駆け寄る子供(藤原泰衡?)から蓮の花を受け取る。
(およそ百年続いた黄金楽土も、頼朝が起こした戦によって散りゆく…)

安寧の終わりは いつも戦の始まり
散って 朽ち果て 
(次に繋ぐ種となる 幾人ものわが友も然り!)
半座分かつ 華の萼(うてな) 誰がために其処にある
宿世分かつための 華の萼(うてな)
  

******

任務を終え、本丸に戻って手入れを終えた山姥切・加州・大包平・水心子・蜂須賀は並んで夜鳴き蕎麦を食べていた。
そして皆が蕎麦を食べ終わると、山姥切がおもむろに切り出す。
再出陣前に加州と交わしていた約束を果たすために。
「さて、どこから話そうか…」と言いながら話し始める。(内容は明かされない)

その頃、ひとり酒を片手に、鶴丸が本丸にある一番古い桜の樹を訪れていた。桜を見ながら、鶴丸は語りだす。

(以下 劇中歌)
草木芽吹く季節に 綻ばない蕾  
固く閉ざして 開くことを拒む
草木芽吹く季節に 綻ばない蕾  
何を語ろう 何を語り合おう
雪がとければ 淡く消えゆく さ迷い歩く あいつの足跡
雪がとけると 露わになる 此処にいた あいつの足跡
はてはて どんな歌を詠むつもりだ・・・


そこに審神者がやってきて、鶴丸がいることに驚く。
鶴丸は審神者に向かってこんなところに審神者が来るのは珍しい、と言うと、時々この樹と話したくなるのだと審神者は答え、鶴丸も同じだと話す。
ひとしきり昔話をした後、鶴丸と桜の会話を邪魔せぬよう早々に立ち去ろうとする審神者に、鶴丸は問いかける。
「約束は、呪いだろうか」と…。それに対し、「約束は…、願いですよ」と答える審神者。
残された鶴丸は桜を見ながら遠い昔に想いを馳せる。
それは、桜の花びらが舞い散る中、三日月とともに語り合った記憶。
三日月は桜をみて言った。「歌を詠みたくなる気持ちも、わかるな」と。
まるで隣に本当に三日月がいるかのような錯覚に陥る鶴丸。自分の杯に酒を注ぎながらかつての元主について語りかけ、はっとしたように現実に引き戻される。
鶴丸は隣の誰もいない空間をみつめ、寂しそうに歌う。

半座分かつ 華の萼(うてな) 誰がために其処にある…

己の寂しさを呑みほすように杯を煽り、鶴丸はひとりごちる。
「今なら、多少なりともわかるぜ。詠(うた)わずにはいられない、ってやつがな」
桜に語り掛けながら、持っていた杯に酒を注ぎ桜の根元に置くと、鶴丸は静かに立ち去った。

その姿を、桜が静かに見守っていた・・・。


感想&考察


蝦夷との戦いについては、おそらく今までのミュで取り上げてきたスタンスと似たり寄ったりですね。
戦とは、互いの立場によって見る景色が変わるもの。(←最初の蝦夷の闘いの歴史で山姥切が解説していた、蝦夷の故郷の土地を奪われたととるか、朝廷側の田畑を切り開いてやったととるか、というセリフからもわかります)
その中で、今回戦について言いたかったのが田村麻呂が言った蝦夷との戦の疑問についての長いセリフが端的に言い表していると思います。
そして皮肉なことに刀剣男士にも田村麻呂のセリフが突き刺さります。
何故戦うのかという、拭いきれぬ疑問に気づかぬふりをしながら次の戦を乗り切らねばならない。
これは刀剣男士の戦いにも言えることだと思います。だからこそ、このセリフを聞いた一瞬、刀剣たちが動揺と言うか、沈黙してしまったように感じました。
そしてこの問いの答えを自分なりに見つけたもの、見つけられずにいるもの、これから模索していくもの、そんな刀剣のそれぞれの立ち位置も垣間見えたように感じます。
花影では刀剣男士の逸話や存在そのものへの葛藤だったものが、今回は出陣を通してより人との関わりが増えた刀剣たちが、人の心と肉体を与えられたがゆえに、生じる苦悩や葛藤・・・それを描きたかったのではないかと思いました。
だから今回の出陣メンバーがこのメンツだったのかな、と思います。

そんな今作ですが、今までの色々な要素を詰め込んでもいると思います。
蓮の花は人の命であり、種は次に繋ぐものであり、想いを表し、それを渡す意味はその人の想いを渡し、受け継ぐ比喩かな、と考えたり…。
そう考えると、想いを託されたのは三日月だけでなく、鶴丸もまた本丸の桜をバックに蓮の花が胸に入っていくシーンがあるので、何らかの誰かの想いを受け継いでるのだろうな、と考えたり…。
そしてそれは初期刀の想いであり、鶴丸にとっては(もしかしたら三日月にとっても)その想いであり約束が『呪い』のように感じられていたのか、とも思ったり…。
歌合わせで顕現の儀式の初めで鶴丸が言った「やまとうたは、人の心を種として、万代の言の葉とぞなりにける」も鶴丸と大倶利伽羅での双騎で鶴丸が穴を掘っていた意味も、今作のシーンで理由らしきものが明かされました。

ただ、今作で観客には明かされませんでしたが、加州・大包平・水心子・蜂須賀はミュ本丸の隠されていた過去を山姥切から明かされたと思われるので、いよいよ次回作からは伏線回収に入るのかな?と期待します。
特に水心子は三日月の記憶?だか、想い?も心覚えで見ているうえ、今作で三日月が探し物をしていると鶴丸から明かされてますから、時系列はわかりませんが水心子が主役の作品が一本は入りそうだなと考えています。


終わりに


花影から、徐々に刀剣男士の内面に焦点があたってきてますね。
パライソでは同じ刀剣男士の苦悩や葛藤でも、それは任務に対して、というものでしたが、今回はそこからさらに一歩踏み込んでの、任務を通し、また顕現してからの年数が長くなった分だけの、言い換えればより人の心に近くなってしまった刀剣男士の葛藤や苦悩が描きたかったのかな、と思いました。

人に近くなればなるほど苦悩と葛藤が増え、刀剣男士から離れてゆく…。だからこそ、蜂須賀や鶴丸、水心子が過去作で度々言うように『俺たちは刀剣男士なのだから』とその都度己のアイデンティティを刻みつけるようなセリフがあるのかな、と感じます。

だとしたら、より人の心を理解して人に近くなってしまった刀剣男士はどうなっていくのか……、ふとそんなことまで考えた時、ちょっと怖いような気がしました。

とりあえず、ここまでが配信を何度も見て、内容を自分なりによく咀嚼した上での感想・考察となります。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。



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