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いつかのアジアのそらのした㉙お腹を下しながら前日の夜を思い出す。夢だったような時間

アジア旅29日目の朝は最悪だった。お腹を下してトイレとお友達状態だ。トイレから抜け出せない。友達も前日に嘔吐して熱があるという。この日はネパールへ移動する予定でチケットを手配していたが予定変更して寝ていた。寝ているというよりトイレとベットを行き来した。この日以来お腹を下し続けて一カ月ぐらいは調子悪い日が続いた。

そして体調不良の中で水分だけを取りながら前日の夜を思いだしていた。あの走馬灯のような夕方の不思議な時間を。ある意味あの時がインド旅の一番のハイライトかもしれない。友達とはぐれ歩き回ったバラナシの細い迷路のような道を走るように歩き回りった、あの時間は生きている気がしたのだ。旅は時に自分の力を試せるようなことがあると思う。その時なんだか不思議に力が湧いてくる。アドレナリンが出まくるのだろうな。そんな時間だった。

夕暮れから始まる聖なる儀式プージャを見に友達と行くつもりが少し横道にそれてしまった私は友達とはぐれてしまった。バラナシの町を把握してない私だけけれど、まぁ直ぐに合流できると思っていた。友達と行く場所は分かっていたつもりだったから。だがその場所は違っていたマニカルニカガードへ行ってみたけれどいない。どうしようと思っていたらインドの子供に声をかけられた。君の友達はプージャを見に行ったと思うよ。僕たちが案内してあげると言う。気づいたら子供達10人ぐらいに囲まれたのだった。

これは後から考えても今も答えが出せないでいるのだけれど、子供達は私を友達の所に案内してお金を稼ぎたいと思っていた。私は環境もあるが子供にはそうゆう事をしてほしくないと思い、めちゃくちゃな英語だしエゴかもしれないが、子供がそうゆう事でお金を稼ぐのを私はいいと思わないから君たちに案内を頼まない一人で行くと告げて、持っていたキャンディー1袋を渡した。聡明な顔をした最初に声をかけてきたリーダー格の男の子は私のめちゃくちゃな英語に耳を傾けOKと言って散っていった。

私は子供たちの案内を断ってしまったけれど実は方向さえも分からなかった。迷路のようなくねくねした道。そして地図もなく、その場所さえ分からないけれども、アドレナリンだけは出ていた。この辺はくねくねした細い道が続く上に牛が幅を利かせて通り歩きにくいし、インドの人はなんやかんやと声をかけてくる。道は行き止まりのような場所もあるし、そろそろ日もくれそうな時間。でも子供の案内を断った今行くしかなかった。右も左も分からないけど進もう。

私はプージャという言葉だけを発しながら、人に聞きながらやみくもに歩き回った。くねくねした細い石畳の道が迷路のようだったけれど、角を曲がる度に人に聞き指さす方向にともかく向かった。何度も角を曲がり道を聞き、お店屋さんの軒先をくぐり、カラフルなバラナシの町をさまよいながらも不思議と不安はなく歩き続けた。

しばらく歩くと光の中に出た。これがプージャの会場だった。会場についても余りの人も多さに友達に会えないと思っていたのだけど、その時あのリーダー格の少年が現れた。そして友達の居場所を教えてくれたのだ。友達は前にインドに来た時にその少年に会っていた。少年はたくさんの旅人の中で友達の事を覚えていたのだ。そして迷った私がプージャの会場で友達に会えるように先回りしてくれたのかもしれない。いつから何処で私達を見ていたのだろう?

流石に今度ばかりはお金を渡した方がいいのだろうかと思ったが少年は会えてよかったねというと直ぐに居なくなったのだ。あの少年は今頃どうしているのだろうか?何年か前にスラムドックミリオネアという映画があったが、あの少年はあの主人公のように賢い子だったと思うのだ。そんな事出来事があったのだ。この時の事は深く思い出す。

バラナシの細い路地が歩きにくいとか牛の糞があるとか、迷路みたいだとかは全然気にならなかった。人の顔をじっと見るインド人の事やずっと土産物を買ってとついてくる人とかも気にならずに黙々と歩いた時の光景は思い出すだけで鮮やかな景色としてよみがえる。まるで夢のような時間だったような気さえするのだから不思議なものだね。

この日の明細は水15ルピー×2で30ルピー、ジュース20ルピー、石鹸16ルピー、宿75ルピー

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