大器晩成型という明るい未来
「あいつは食べるのが遅いんだよなぁ~」とのんびりした口調で
言われたときに、なぜかとてもムカついた。あれは小学2年生の冬休み。
たぶん、悪口を言わなそうなのんびりした男の子に言われたのが
嫌だったのだろう、あれが早口で言われたら違っていた。
私は何をするのも人より遅く、出来ないことが多い子供だった。
今でも不器用だし、人より出来ないことも多いが歳を重ねて
出来ることも増えたし、何より不器用さを逆手に、笑い飛ばせる余裕さえある。あの頃の自分に言いたい。みんなと同じように出来ることばかりが
人生では無いのだと、それぞれに得意不得意があり。それでいいのだと。
そんな出来の良くない私だったが、担任の先生の事が大好きだった。
1年生の頃の先生は厳しく学校に行くのが嫌だったが、学年が上がると、明るく優しい先生は、私を認めてくれた。勉強も運動も余りできない、給食を食べるのも遅い私の事を、明るくていい子だと褒めてくれさえした。
ある時、先生が私の事を「あなたは、大器晩成型だから大丈夫よ」と言ってくれた。大器晩成という言葉の意味を母に聞き、未来の自分が明るいと思えた。それは今でも続いている、友達の中には「あなたは、何時まで経っても
大器晩成できない」と軽口をたたく人もいたが、私は信じている、大器晩成できるという事を。私の生命が続く限り、この言葉は私の希望になる。
実際、食べるのが遅いと言われた、冬休み後の3学期には、のんびりした口調の男子と、給食の早食い競争をしたり、テストで満点、絵を描き褒められるなど、やる気が出てきた。それは学年が上がり担任の先生がかわったとたんに、出来なくなるのだが、イザという時には出来るという、謎の自信が芽生えたのも確かだった。
人の気持ちは一つの教えで、希望になると教えてくれた。先生に感謝したい、私が何時までも希望を捨てずに生きていく教えを、授けてくれてありがとう。
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