感情のシェア Vol.260「嫌なことを嫌と言えないと死ぬ!」
細川一滴
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自由に感じることをシェアすること。
できれば幸福が得られ、
できなかったらどんなに苦しいことか。
このことに気づいたのは
ドイツの壁博物館に行った時のこと。
かつてドイツは東西に分断されていた。
1961年のある日、一夜にして鉄条網が敷かれ
家族も、恋人たちも離された。
そして鉄条網は長大な壁となっていった。
片方は秘密警察のいる独裁国家として建国され
国民は密偵と内通、相互監視によって自由が奪われた。
壁博物館では、
そこから逃げ出そうと試みた記録がたくさんあった。
壁に近づいたものは射殺だった。
1989年11月9日 壁は解放された。
人々はそこから転げ出るように駆け出した。
その映像が目に焼き付いて離れない。
壁の内側では
政権の言うことを100%聞いていれば
命の保証があった。
それでも人々は逃げ出したくなったのだ。
それは、自由を求めて!
命の保証はなくとも
人は自由を求める。
自由のために命をかける姿をそこに見た。
言い換えると
自由というのは命よりも重く
大切なものなのだと感じた。
好きなことを好きということ
嫌なことを嫌だということ
そして
嫌なことを拒否する権利と
好きなことを追いかける権利が
何よりも大切だ。
これは、
人が生きる上で、
欠かせないことなのだと思う。
あなたの感情は今、どんな感情ですか?
感情の学校の細川一滴と、副担任の天乃陽妃が毎朝行っている「感情のシェア」をシェアしてみた!
感情の学校URLはこちら
https://peraichi.com/landing_pages/view/xl86q
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できなかったらどんなに苦しいことか。
このことに気づいたのは
ドイツの壁博物館に行った時のこと。
かつてドイツは東西に分断されていた。
1961年のある日、一夜にして鉄条網が敷かれ
家族も、恋人たちも離された。
そして鉄条網は長大な壁となっていった。
片方は秘密警察のいる独裁国家として建国され
国民は密偵と内通、相互監視によって自由が奪われた。
壁博物館では、
そこから逃げ出そうと試みた記録がたくさんあった。
壁に近づいたものは射殺だった。
1989年11月9日 壁は解放された。
人々はそこから転げ出るように駆け出した。
その映像が目に焼き付いて離れない。
壁の内側では
政権の言うことを100%聞いていれば
命の保証があった。
それでも人々は逃げ出したくなったのだ。
それは、自由を求めて!
命の保証はなくとも
人は自由を求める。
自由のために命をかける姿をそこに見た。
言い換えると
自由というのは命よりも重く
大切なものなのだと感じた。
好きなことを好きということ
嫌なことを嫌だということ
そして
嫌なことを拒否する権利と
好きなことを追いかける権利が
何よりも大切だ。
これは、
人が生きる上で、
欠かせないことなのだと思う。
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