【恥を通り抜けて】

生きていれば失敗すること、情けないこと、恥をかくことは必ず経験する。先日もそうだった。お世話になっている先生から指導を賜った。先生の話は至極まともなことで、私は完全に恥ずかしい思いをしたのだった。こういうことがあると、つい引っ込み思案になってしまう。

恥をかいたのだから、もうこういうことはやめておこう、関わらないでおこう、表現しないでおこう、隠しておこうetc..
心が弱気になってしまう。しかし考え直してみると恥というのは、完全にプライベートなものだ。本人のみが感じていることで、いわば保身的な立ち位置であることを示している。

本当は、恥ずかしい思いをしてもなお差し出す何か大切なものがあるのではないか。恥ずかしいからと行って消極的になり何かをやめてしまうことがあったとすれば所詮それまでのもの。大したものではないとも言える。しかし、どんなに失敗しても表現したいものや、やりたいことこそ、価値あるものではないだろうか。

おそらく名だたる著名人は、恥をいくつもかいてきただろう。それでもなお遂行したいことがある、そのプロセスが大切だと思う。イチローはいう。「3000本のヒットを打った。しかしその陰に倍以上の屈辱があった。その屈辱に向き合った自分を褒めてあげたい」私も恥をかいてもなお、感情の世界を表現ていこうと思う。

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頑張ります☆
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心理カウンセラー。「感情の学校」を主宰。 感情をガイドにしながら自分の中心にある大事なものを大切にする生き方を提唱している。
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