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新池調整池(しん、愛媛県四国中央市)

●概要
四国中央市水道局管理の調整池ダム。
竣功:1975年  型式:G  
目的:I
   取水量?㎥/s
堤高:17.8m  堤頂長:110m
流域面積:0.4k㎡  湛水面積:?k㎡
総貯水容量:19.8万㎥  有効貯水容量:19.8万㎥


●見学情報
駐車場:無 トイレ:無 自販機:無 天端:可 直下:可 


●参考リンク・引用

http://www.jiwa-web.jp/database/shisetu_gaiyo/ehime_pref/shikokuchuo_shi.pdf


●道中

四国の大動脈・吉野川を代表する支流・銅山川。
(地理院地図より)
吉野川6分水の内、2がこの銅山川を水源としており、
1912年(明治45)には端出場発電所により新居浜への別子分水が開始。
(その後、七番ダム竣功・廃止を経て現在は写真の別子ダムより分水)
(地理院地図より)
その後、赤丸辺りの宇摩平野において銅山川分水の機運が高まった。
(Googleアースより)
宇摩平野は図の通り、法皇山脈と瀬戸内海に挟まれた水源の安定しないエリアで、どーやら事の発端としては灌漑用水を何とか確保できないかという事で銅山川に目が付けられたらしい。
銅山川は吉野川本流に接続し徳島へと流れるので、当然ながら話は大揉めに揉めつつ、台風被害を受け治水機能増強なども図られ、1953年(昭和28)に柳瀬ダムが竣功し、ついに分水を開始。
その後、製紙を中心とする工業用水の需要も高まったようで、1975年(昭和50)の新宮ダム、
そして2000年(平成12)の富郷ダム完成により事業は完成を見た。
(地理院地図より)
で、今回紹介するのは銅山川3ダム!
ではなく・・・新池!
(Googleマップより)
「新池」というよく見るネーミング、「池」からイメージされるアースダムな外観によって、多数のダム好きから見向きもされなかったであろう事を知っている。自分もそうだったので😅
(Googleマップより)
がしかし写真左のアース2基と違って、新池はコンクリートダムとなっている事をキッカケに、少し調べてみるとそのサイズから想像できないスケールの大きさがあることを知り、その魅力がもっと知られても良いのでは?と記事を投稿するに至った。
(銅山川第一発電所、現地看板より)
で、新池とは何者ぞ?!というのはこの看板がシンプルで分かりやすい。
ダム便覧等で、新池は工業用水ダムとされているが、銅山川第三発電所の逆調整目的でもある(新池現地に銅山川第三発電所関連設備である旨が明示されている)。
銅山川3ダムの最下流・新宮ダム、ここが銅山川第三発電所の直接の取水ダム。
(馬立川からの注水もあるがそれはまたの機会に…)
(地理院地図より)
取水口はダムからは見えず、少し離れた所にある
それがこちら。
ズーム。
遠巻きに立禁で接近は不能。
法皇山脈を越え、銅山川第三発電所。
・・・と言われてもピンと来ない外観。
本当にココが?と思いたくなるが、再三再四そこに発電所があると示してくれる。
どうも地下式らしく、おそらくこの下を分水が流れていると思われる。
周囲は民家となっており鉄管の類も一切見られなかった。
そしてお待ちかね新池。
右に見える注ぎ込みが先程見た第三発電所の放水。
散歩する人が多く、流れに乗って湖岸を歩く。上を走るは松山自動車道。
放水口に接近。
ドドドと轟音を立てて流れ込んでいた。
こんな小さい池にそんなに流れ込んで大丈夫?と素人目線で謎心配。
最大8.0㎥/sが19.8万㎥に流入だから、スッカラカンの状態から3日程度で満杯?
意外とすぐだと思わないではないが、勿論コントロール下にある流入だし、他に目立った流入河川も無いし無駄を省いた結果のサイズ感なのだろう多分…
上流の様子。後ろにはこんな感じの低山が控えるだけ。
対岸より正対。
ズーム。銅山川から約7㎞の水路を流れてきた水。
さらに湖岸を進み堤体へ。
そう、この新池に魅かれたもう一つの理由はこのシンプル堤体!
小河内然り、池原然り、若宮谷然り、非越流堤体はミステリアスな姿で、多くのダム好きを虜にしてきた(はず)。
そんな新池だが、ダムである以上、もちろん排水設備が備わっている。
それがこの右岸の設備。
ぱっと見、取水口のようなフォルムだがこれが余水吐。
吞口の様子。ローラーゲートを内蔵しているらしい。
(地理院地図より)
この余水は、恐らく本来この地の水がそうであったように、金生川へと流れる。
余水吐と金生川の接続部分。
多分そうそう稼働する事は無いのではなかろうか?
(Googleマップより)
ところでこの新池、先程非越流堤体などと言っている人がいたが、
実はそうではなく「越流部を持つ、大きく屈曲した堤体」なのかもしれない
(堤頂長110.0mとの事で…)。
気を取り直して左岸へ。こちらが取水口。
(地理院地図より)
上記リンクによれば、新池の水は土居池直下の新宮配水管理事務所を経由し、工業地帯へと導水される模様。
土居池天端より、配水池と思しき。
尚、この土居池は柳瀬ダム系統の調整池と思われる。
工業アースというのもまたそそられる🤤
再び新池、左岸にはシンプルながら少し凝った銘。
天端入口にはこのような石碑。
正確には読み解けないが、灌漑ダムだった頃の名残のようで、すぐ西隣の古池とともに、取水量に関する規定を記しているっぽい。「昭和八年建之」との事で前身となる堤体が少なくとも1933年にはあった事が分かる。
直下へ。公園となっており少年達が遊んでいたので、周辺をブラブラして戻ってきた。
時に3月末、桜が咲き誇っていた。
接近して堤体を見ていると、何の案内もなくこのようなものが。
「明治参拾参年(?)改築」(1900年)とある。
(地理院地図より)
宇摩平野は冒頭で触れた通り、古くから水源確保に苦心し溜池が多かったようだが、新池はその中でも結構存在感があったのかも?
(地理院地図より)
どんな姿をしていたのだろうか。
そんなこんな、魅力的でちょっとミステリアスな新池。
帰り際、調整池越しの法皇山脈が少し近く感じた。
お邪魔しました~

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