"冬の札幌では何かが起こる"2002.02.01新日本プロレス札幌大会
皆さんおはようございます。こんにちは。こんばんは。
下記ツイートでお知らせしているとおり、今週末新日本プロレスの冬の札幌2連戦が行われます。
そして今からちょうど20年前の2002年2月1日、同じ札幌の地で、新日本プロレス史に刻まれる重大事件が勃発しました。今回はそちらを振り返ります。
起きた事件は
その名も
猪木問答。
またの名を 踊るイノキ御殿
などと言われてますが、詳しく知りたい方はぜひググってみてください。
そんな暇じゃない方にざっくり説明しますと、当時の新日本プロレスというかプロレス業界全般は、
K-1、PRIDEなどの俗に言う『総合格闘技ブーム』に押され、非常に苦しい状況でした。
さらには新日本プロレスでは団体の顔とも言える橋本真也、武藤敬司、小島聡などといった主力選手、フロント陣の離脱などによって現場が混乱している状況でした。
今週末に行われる試合ではタイトルマッチもたくさん組まれていますが、
この20年前の試合はタイトルマッチなどなく、当時空位だった《IWGP王座決定トーナメント》を主体に試合が組まれてました。
メインイベントは永田対中西。当時全盛だった第3世代の対決ですね。
当時16歳の僕は、高校の同級生Yくんと一緒に一番安い2階席で観戦していました。
ちなみに脱線しますが、新日本プロレスはその前年(2001)に、開業したばかりの札幌ドームで、プロレス史上初にして今のところ唯一の興行を行い、僕はこの時初めて、野球よりも先に札幌ドームデビューを飾っております。
今調べたら観衆28,000人となってましたが、正直ガラガラな印象だったのでその後一回も開催されない理由かなと笑
スタンド席だったので豆粒くらいにしか見えませんでしたが、音効などに興奮したのを覚えてます。
すいません、話を戻します。
その日の第6試合。
蝶野、天山、後藤達俊vs越中、長州、藤波という今考えたらなかなかすごいカードが組まれていて、試合後に蝶野がマイクを取ります。
『このリング、我々の上にひとり、神がいる』
『ミスターイノキ!』
そうです、新日本プロレスの創設者でありプロレス界の重鎮、アントニオ猪木を呼び込んだのです。
観客は大興奮。
もちろん16歳の逸材少年も大興奮。
後にも先にもアントニオ猪木を生で見たのはこの時限りです。
(以下、表現は忠実ではないかもしれませんが簡単にまとめます)
『俺は怒っている』
はじめに猪木は一言そう言いました。
なぜか?
猪木は元々格闘技志向が強かったため98年の現役引退後は小川直也などとUFOなどという団体?を作る等活動しており、新日マットからはほぼ離れていました。
一方でカシンや永田といった新日本プロレスの選手を格闘技ルールのリングで戦わせて、相次いで負けるなど、世間にプロレスラーは弱いというネガティブなイメージを結果的に植え付けていました。猪木からするとプロレスラーは強いはずなのに不甲斐ない、という思いがあったのかもしれません。
また冒頭に話した通り、この時新日本プロレスは選手や経営陣の離脱などで混乱し、特に経営陣が社内の機密まで持ち出したことに対して怒っていたようです。
俺の居ぬ間に、という感じです。
かたや闘魂三銃士で唯一残っていた蝶野の危機感は強く、猪木に直談判するため札幌に呼び、リングに上げたのです。
『会長!ここのリングでプロレスがやりたいんですよ!』
蝶野は神と崇められている猪木に対して、格闘技ではなく、プロレスがやりたいと直訴します。半沢直樹ばりの、通常の会社などではあり得ない事です。
猪木は蝶野の思いに応え、蝶野に現場を指揮するよう命じます。それまで支えてきた藤波、長州を差し置いて、です。
会場も大盛り上がり。
次に猪木は若手をリングに上げます。
ここから始まるのが猪木問答、もとい踊るイノキ御殿です。(以下はとあるサイトから一部抜粋)
猪木「オマエは怒ってるか?」
中西「怒ってますよ!」
猪木「誰にだ!」
中西「全日に行った武藤です!」
猪木「お前はそれでいいや」
(会場大爆笑)
猪木「お前は?」
永田「全てに対して怒ってます」
猪木「全てってどれだい?」
永田「・・・・」
猪木「言ってみろ。俺か!幹部か!長州か!」
永田「上にいる全てです!」
猪木「そうか。テメエで気付かせろ」
(会場大爆笑)
猪木「おめえは!」
健想「僕は自分の明るい未来がみえません!」
猪木「見つけろ!テメエで」
(会場大爆笑)
棚橋「おれは!新日本のリングで!プロレスを!やります!」
猪木「まあ。それぞれの想いがあるから、それはさておいて」
(会場大爆笑)
猪木「なあ。テメエ達がホントの怒りをぶつけて、ホントの力を叩きつけるリングをお前たちが作るんだよ。オレに言うな」
(会場大爆笑)
と、簡潔にまとめるとこんな感じですが、お分かりいただけましたか?
さんざん質問しておいて最終的には
『俺に言うな』
ですからね。蝶野も困って、少し笑っちゃってるようにも見えました。
ネットに動画もあると思うので興味のある方探してみてください。(敢えて貼りはしません。)
この後選手同士握手をして、お決まりの1.2.3ダァー!で締めるのですが、締まりませんよね笑
しかもこのあと3試合も残っていたので、選手たちもやりづらかったと思います。
そしてここで僕が注目するのは当時若手中の若手だった、棚橋です。
「おれは!新日本のリングで!プロレスを!やります!」
思いは蝶野と同じでしょうが、とにかく格闘技じゃないんだ、プロレスをするんだという熱い思いが伝わります。
そしてその後迎えるプロレス暗黒時代を支え、再浮上させる太陽のエースへと成長していくのです。
これらを踏まえ、僕がおこがましい限りですが逸材を名乗る理由でもあります。
今の新日本プロレスは棚橋無くして存在しない、それぐらい彼の貢献度は高いてす。
だいぶ長くなってきたのでそろそろ締めますが、猪木問答以外にも僕自身にとっても思い出深い話があるのですが、それはまたの機会にさせてもらいます。
コロナになってから生で観戦はしてませんが、コロナが落ち着いて声援が送れるようになった暁には会場に足を運びたいなと思います。
週末、冬の札幌二連戦。楽しみましょう。
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