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掌編小説 オタク品評会


 一冊の古びた書籍。僕は長編のファンタジー小説を読んでいる。なかなか分厚い物語で僕にはお気に入りのポイントがあった。それは登場人物たちの息遣いを作品世界全体から如実に感じ取れることだった。そう、登場人物たちが物語世界で立体的に生きている感覚を文字から鮮明に受けとれるのだ。登場人物の一人一人に厚みがあるといえばいいのか。憶測だが作者は世界観設定や人物設定に相当な時間と手間をかけているだろう。この長編小説は世界観や登場人物たちの情報量と密度が圧倒的に違う。

「ああ、今日もオタク品評会が始まったな」と友人Aは言った。

 例えば、アニメ作品でもそれはダイレクトに反映される。とかくオリジナルアニメにはその厚みが顕著に現れる。アニメのキャラクターを見ていると、作品各々にキャラクターの設定や背景に明確な差が生まれているように思う。それは情熱の差というか、胸を打つ作品はキャラクターの存在感や重厚感が別次元のように違うのだ。逆に厚みのないキャラクターはアニメ本編でものっぺりとした印象を受ける。これは手抜きしているなと理解できるほどに登場人物たちの描写がペラペラなのだ。友人Bと友人Cに聞いてみたところ同じ印象を持ったらしい。視聴者はちゃんと観ている。我々オタクは少しの矛盾も見逃さない。少しの妥協も許さない。絶対にな。しかし、異を唱える者が一人いる。

「でもさ? それで良くね?」と友人Aは言った。

 友人Aが言うには人それぞれ作品に求めるニーズは違って当然だと。暇つぶし程度にアニメを観る人にとってはそのくらいの軽快な作品のほうが丁度良いらしい。逆に厚みがあるといえば聞こえはいが人によっては重いだけだろうとも。その点、軽快な内容のアニメは視聴しやすいし、小説でもサラッと読める物語のほうが手に取ってもらえる確率が上がるのだとか。ところで、ところで、こいつは一体何を言っているんだ? 我々オタクを舐めるなよ。これだからニワカは困るんだ。僕が友人Aの言い分に悶々としていると「言いたいことは分かるが……」と友人Bは言った。続けて「でも納得はいかないかな」と友人Cも反論する。なー、そうだよなー、お前ら。そう、お前が、友人Aがおかしいのである。

 友人Aは「うわ、オタクってめんどくせーな!」と言った。友人Bが「お前さー、俺の彼女と同じこと言うなよな。色々と冷めるだろーが!」と言った。友人Cは「あ、もうこんな時間だ。そろそろ帰ろうぜ?」と言う。僕は「そうだな。じゃ、お疲れーっす」と言って友人たちと別れた。

 これにてオタク品評会は終わりだ。
 機会があれば再び集まりたいものだな。


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