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-Episode1- 森林の街 第二章 絡みつく悪意


     1

 ルーニア大陸の東南に位置する魔女の森と呼ばれる樹海。
 深い霧に覆われたその場所は行手をことごとく阻んでいる。誰とて例外ではない。自然とはそういうものであり、時として恵みを、時として災いをもたらす化身だ。そんな森林の中をダウンは駆ける。同時に森林が霧に覆われていても彼に知覚できることはある。木の葉が掠れる音や土の匂い、今はまだ日中であること、人間と動物の気配や足音まで感知していた。そしてダウンを追う魔獣の姿も見受けられた。そう、森林を闊歩する魔獣テロルトロルが大きな棍棒を片手にダウンを目掛けて突進してくる。
 明らかにテロルトロルはダウンを標的にしている。
 ダウンは思う。
「人間や魔女ならまだしも魔獣に恨まれるようなことなんてしてないんだけどな」
 ダウンはそんな困惑の独り言を呟いていた。そもそも魔獣とは敵愾生物であり、人間にとってはもちろん魔女にとっても有害な存在である。中には魔獣使いなる者も存在する。今回のこいつはその類かもしれない。
 だとするなら、
「テロルトロルの飼い主はさっきの追手かもしれないな?」
 言ってダウンは魔力を帯びたワイヤーをテロルトロルへと放った。そのワイヤーの先端はテロルトロルの足を絡め取り拘束する。そのままもう一方の先端を樹木に巻き付ける。テロルトロルはそのまま獰猛に前進してくるが、ワイヤーによって足を引っ張られては地面に倒れ伏した。それを好機と思い、ダウンは全速力でテロルトロルを尻目に走り去っていく。
 その後、ダウンは障害物を掻き分けつつ軽やかな身のこなしで樹海を駆け抜ける。その動きはアクロバティックなもので、ダウンの得意とする技術でもあった。その時、ダウンの真正面から一本のナイフが投擲される。ダウンは咄嗟に身を捻り、ナイフをかわし体勢を立て直して再び前に進もうとする。しかし武具をまとった六人の男たちが、いつの間にかダウンの周りを取り囲んでいた。やはり狙いはダウンか?
 それにしても。
「ダウン・ラヴフィールドだな? 悪いが少し時間を貰うぞ?」
 男たちの一人は言った。六人の厳つい人相の男たちがダウンを囲っている。それにしても、ダウンは彼らの顔に見覚えがあるようだった。そう、それはさきほどケルシーという少女たちと言い争っていた男たちであった。
「どこかで会ったかな? 君たちとは初対面だと思うけどな?」
「ああ。それはこちらも同じだ」
 するとダウンは、何か腑に落ちたのか自身の現状を把握する。
「ああ、なるほど。君たちは依頼を受けてここにいる。そういうことかな?」
「ああ、そういうことだ。察しが良くて助かるよ」
 男の一人がダウンに向かって嗤いかける。男の名はリージエ。彼は無精髭をさすりながら、鋭い目つきでダウンを睨め付けている。片手にはナイフを持っていた。もう一人の名はクロエール。半弓を持った片目に眼帯を付けた男。
 あとは、大剣を持った常時鼻水を垂らしているアホンダル、日本刀を持った悪党顔だが生真面目そうなブシドウ、レイピアを持った悪党顔で不真面目そうなランラス。そして片手剣を持ったリーダーのサルコスが後方に控えている。
 すると男たちは、それぞれに武器を突き出して戦闘の構えをとる。
「そう、依頼なんだよ。悪いがお前にはここで死んでもらうぞ」
 六人の厳つい男たちはダウンを取り囲んでは、武器を片手に攻撃体勢を維持している。しかし男たちは、ガタイはいいが訓練されたプロではないようだった。ダウンは男たちの動きに無駄の多い印象を受けたためである。
「君たち、もしかして傭兵かな?」
「ほぅ。やはり察しがいいな、小僧」
「いやいや、これはただの当てずっぽうだよ」
 ダウンは少しだけ戯けて見せる。
「嘘つきだな、お前。根拠はあるのだろう?」
「……」
 腐っても傭兵か、とダウンは思う。彼には確かに根拠があった。なぜなら傭兵たちから殺気を感じることはあっても、ダウンに対しての私怨を感じることは全くなかったからだ。彼らにとって、これはただの仕事なんだろう、と。
「でもプロの傭兵ではなさそうだな? 賞金稼ぎと言ったほうが正解かな?」
「お前、挑発しているのか?」
 クロエールが不愉快そうな表情を見せる。
 同時に他の傭兵たちの表情にも変化が生じて、全員がダウンへの牽制を始めた。
「挑発? ただの事実だろ?」
 それでもなお、ダウンは傭兵たちを刺激する。
「分かった。もういい」
 傭兵たちはダウンを一瞥する。
「お前と話すことはもう何もない」
 リージエがそう言って会話を一方的に切った。ダウンは「少し言い過ぎたかな?」と内心苦笑していた。容赦を忘れるのはダウンの悪い癖である。すると後方に控えたリーダーのサルコスが言った。
「おいおい、お前ら勝手に話を切るなよ。しかし、まぁ、なんだ、あんたに恨みはないが仕事なんでね。どうか悪く思わないでくれよ?」
 ダウンへとにじり寄る傭兵たちは攻撃体勢に入る。ダウンも左腰に下げた鞘から一本のステッキを抜いた。それは太く短めの黒いステッキであった。ダウンはステッキをくるりと回して見せる。サルコスが再び口を開いた。
「器用なことだな。それで? その棒切れ一本で何ができる?」
 ダウンは再び小さなステッキをくるりと回転させる。
「悪いなスターチス。起きてくれ、仕事だ。眠いだろうけど付き合ってくれよな?」
 ダウンは誰かにそう呟き、ステッキを突き出して傭兵たちを見すえた。

     2

 シドには異能がある。彼女が喰べたことのあるネコ科動物に獣化する変身能力だ。彼女のような異能を持つ者のことを獣師と呼ぶ。シドはネコ科動物に触れることを頑なに拒んでいる。
「ラオ⋯⋯つい、思い出しちゃった。ダウンのせいだね」
「シド?」
「ううん、何でもないよ。ローナ、ここから一気に行くけど体力は平気かな?」
「ええ、頑張ってシドについて行くわ」
 少しだけ日が翳り出した頃、シドとローナは農霧の広がる樹海を駆け出した。シドは多少の障害物はものともせず、とても俊敏に森林の中を駆け抜ける。その速度はダウンを優に超えている。シドは辺りを見渡しながら、危険がないか確認する。それを確かめてからローナを誘導した。ローナも素直にシドに従う。するとシドはさきほどのダウンとの会話を思い返していた。
「追手は来ない。どうやらダウンの予想は当たってたみたいだね」
「ええ、そうね」
 なぜなら二人の周囲には人の気配はない。敵の狙いはシドやローナではなくダウンである。二人はそう考えつつも前進する。二人が前に進むにつれ徐々に霧は薄くなってきている。周囲の色味もみるみる鮮やかになった。
 もう少し先に行けばミストは見えるはずだ。
「シド、このままたどり着けるの?」
「ううん。ミストまではもう少し距離がありそうだね」
「そう。体力が持つか心配だわ」
「大丈夫。いざとなったら私がローナを担いで行くから」
「わお、シド大胆! そうね、その時はよろしくお願いするわ」
「うん。任せて」
 シドとローナは軽く談笑する。二人はミストへと繋がるであろうルートを走る。ダウンとシドにはミストに目的があった。その本来の目的を念頭に置きつつ、シドは努めて冷静に森林の中を走る。無論、ローナにも目的はある。心配はしていないが、シドはダウンのことを考えていた。ダウンを少なからず知っているからこその信頼であり行動であった。
「ダウンは追手を振り切れたかな? ダウンのことだから大丈夫だとは思うけど」
 同時にシドは一抹の不安を拭えずにいた。何か言いようのない不安に襲われたからである。彼女は何かしこりが残るような違和感を覚えた。そう、出来過ぎてはいないか、上手くいきすぎていないか、という違和感である。
「!?」
 次の瞬間。シドは強烈な悪寒に身を震わせる。
 誰もいないはずの森林に誰かの強烈な視線を感じたからである。
 粘っこく絡みつくような視線を。呪いのような視線を。
 冷や汗を流しながらシドは辺りを見渡した。
「いない」
「シド? どうしたの?」
「誰もいない」
「え? どういうこと?」
「ローナ、今、私たち以外に誰もいないよね?」
「ええ、誰もいないわよ。シド、私、そっち系の話はあんまり得意じゃないわ」
「えっと、うん、ごめんね。多分気のせい」
「そう、ならいいわ。このまま先に進みましょう?」
 だが、しかし、シドの心のしこりは消えてはいない。
 再び周囲を見渡しても人の気配はない。
 さきほどの視線ももう感じない。
 今のは一体……?

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