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-Episode1- 森林の街 第一章 魔女の森


     1

 この世界には魔女が存在している。彼らは魔女の文明を築きあげこの世界に生きている。その存在やいなやとどまることを知らず、今もって進化を続けている。かたや人類は衰退した。大昔は現在の倍以上の人口だったらしい。沢山の人々が死に絶えた。今や人類は絶滅への道を着実に進んでいる。
 魔女とは何者なのか?
 ある者は魔法使いの再来と歓喜した。
 ある者は新たな人類と困惑する。
 ある者は滅びの使者と嘆いた。
 この世界にはルーニア大陸とマルガスト大陸という二つの大陸がある。ルーニア大陸にはレム王国、ルコ王国、アレス国、フェルク国という四つの国が存在する。ルーニア大陸を治めるのはレム王国である。ルコ王国、アレス国、フェルク国はレム王国を中心として同盟を結んでいる。

 レム王国。
 ルーニア大陸の中心にある城郭王国。高い城壁に囲まれた堅牢な王国。
 レム王国には魔女の立ち入りを固く禁ずるという絶対規律がある。
 ゆえに人間至上主義の王国とも呼ばれている。

 ルコ王国。
 ルーニア大陸の東南にある百花繚乱国。咲く花の種類が最も多い国。
 ルコ王国は魔鉱石の種類も豊富で、訪れる研究者も多い。
 周辺地域には魔獣の存在が多数確認されている。

 アレス国。
 ルーニア大陸の西北にある小国。一度迷えば二度と戻れない影の国。
 アレス国には港町もあり、ルーニア大陸の外から訪れる者もいる。
 現在アレス国はアダムス帝国の侵略の憂き目を見ている。

 フェルク国。
 ルーニア大陸の東北にある発明推進国。最も多くの人種の住む国。
 フェルク国には多くの研究機関があり、研究者たちは日々切磋琢磨している。
 周辺地域には山賊、賞金稼ぎ、魔獣が闊歩する。

 この四カ国の同盟はアダムス帝国への対抗手段でもあった。現在マルガスト大陸には、魔女帝国と呼ばれるアダムス帝国の存在が大きな影を落としている。そしてもう一つ、ルーニア大陸には国境地帯から遠く離れた辺境地帯があり、そこには濃霧に覆われた魔女の森と呼ばれる巨大な樹海が存在する。樹海の何処かに街があると誰かが言った。街の名をミストという。緑生い茂る木々に囲まれた美しい街並み。人間と魔女は街と自然が溶け合うその場所で日々生活を送っている。
 ミストでは人間と魔女が共存している。
 ある者は奇跡と微笑んだ。
 ある者は偽善と罵った。
 ある者は呪いと畏怖した。
 そんな街の一角で二人の魔女が向かい合っていた。一人はマルガスト大陸から訪れた魔女。多くの手下を連れた侵略者である。一人は旅の魔女である。どうやら災難に巻き込まれたようである。それとも自ら首を突っ込んだのだろうか? 一方の魔女は今にも襲いかかりそうな体勢をとっている。もう一方の魔女は少し考えるような素振りで相手に視線は向けている。
 そして戦いは始まる。

     2

 ルーニア大陸には魔女の森と呼ばれている樹海が存在する。濃い霧に覆われ、行く者をことごとく阻む迷宮のような広大な森林。そんな濃霧の覆う大きな樹海の中を歩く三人の男女がいた。
 一人は灰寄りの白髪の男。首筋にまで伸びた髪は右顔を覆い隠していている。彼の口は小さく閉じていて、鼻は少し高く、あらわになった左目は青色。黒色のニットとズボン。その上に深緑色のジャケット。右手には黒い手袋を着用している。身長は百七十センチ程度。必要最小限の荷物を背に男は歩く。左腰には小さな鞘をぶら下げている。今は右腰に下げた鞘の中から、護身用ナイフを抜いて茂みを取り除いている。
 一人は白桃色のボブヘアの女。綺麗に手入れされた頭髪はサラサラで彼女の流れるような動作に合わせてなびいていた。鼻は小さく慎ましい。双眸は青紫色。黄色一色。和服で胸部には白銀色の甲冑。少々奇抜で和洋折衷な出立ち。彼女も少ない荷物を背負いながら歩く。彼女の首筋には薄手のマフラーが巻かれていた。
 三人は森林の中を無言で歩いている。男は二人に話しかける。
「なぁ、シド、ローナ」
「何? どうしたのダウン?」
「ふぅー、ふぅー」
「二人とも足下は平気かい? 樹海は霧が覆ってるから辺りが見えにくい上に、足下はつまずきやすいから大丈夫かなと思ってな」
 確かに樹海は霧が濃く足下もぼやけて見える。しかし何も見えないというわけではなく、本当に曖昧にぼやけた場所なのである。その上、足場も不安定で三人ともさぞかし歩きにくいことだろう。
「大丈夫だよ。私には天性の野生があるからね。その感性に身を委ねて移動してるよ」
「すごいな。天性の野生か。確かに今のところ一度もつまずいてはいないよな」
 そう、シドは今のところ一度も足をつまずかせてはいない。ぼやけた霧の中から見える凹凸おうとつを足がかりに器用に歩いている。
「それはお互い様だよ。ダウンだってこんな足場の悪い叢を、難なく軽やかに歩いてるじゃない」
「僕のは経験値あっての技術だよ。経験則あっての動きと言えばいいのかな。とにかく日頃から旅をしていると嫌でも身につく技術なんだ。だけどシドは樹海に入るのは今日が初めてだよな?」
 ダウンは素直に驚いている。シドの適応力と順応性の高さに一目置いていた。
「それはそうだけど。ダウン、おだてても何も出ないよ?」
 ダウンとシドは歩きながら談笑する。
「ふぅー、ふぅー」
「ローナ、大丈夫?」
「ふぅー、ふぅー」
「ローナ、少し休むかい?」
「いいえ。二人とも気を使わなくてもいいわ。このまま先に進みましょう」
 一人は金色のロングヘアの女。ローナという名前。可愛さと美しさが同居したような美貌の持ち主。双眸は青色。赤色のシャツと黒色のハーフパンツ。赤と青が混合されたシューズ。アクティブな格好とは裏腹にその所作は上品である。若さゆえのアンチノミーとでも言えばいいのか、十代ならではの幼さと大人っぽさの同居。ローナはその真っ只中にいる。
 三人は黙々と樹海の中を歩いていた。しばらく険しい道が続いたためである。三人は歩くのに全集中を向けていた。険しい道を抜け、緩やかな道に入った三人は再び会話を始めた。
「なぁ、シド」
「どうしたの、ダウン?」
「ふぅー、ふぅー」
 ローナは相変わらず息を切らしていた。よって会話はダウンとシドの二人だけのものとなった。
「大昔の国のことわざに『かわいい子には旅をさせよ』ってのがあるみたいなんだけどさ。どう思う?」
「どう? どうって?」
「この言葉の意味を、シドはどう解釈するのかなと思ってな」
 シドは少々悩ましげな仕草で口元に手を当てた。
「う〜ん、そうだなぁ」
 シドは少し間を置いて続ける。
「大切なものほど可愛いし、大事にしたいと思うのが心情だけど。それを大事にしすぎるとダメになるのも事実かなって思うよ」
 そして、一息ついてから続けた。
「だから旅をして、多くを学び、より素敵な人生を歩んでほしい、かな?」
「なるほど。詩的な解釈だな」
「そう? これは素直な感想だよ?」
 シドは言葉を続ける。
「親子なら、親離れしなさい、子離れしなさい、という意味も含まれてるのかもね」
「ああ、なるほど。そっちのほうが現実的で正しい解釈なのかもしれないな」
 現在三人は樹海の中を歩いている。歩くのに集中しているからなのか、三人の口数も少ない。ローナはともかく、ダウンはシドに気を使って話しかけたのではない。ダウンとシドの付き合いは少々長く、基本話したい時に話しかけ話したくない時は黙っている。沈黙の中でも一緒に過ごせるくらいの良好な関係ではある。
「それなら私も聞くけど、ダウンは『旅は道連れ世は情け』ってことわざを知ってる?」
「ああ。聞いたことはあるな」
「ダウンはこのことわざをどう解釈する?」
「一人は寂しいから共に歩む仲間を大切にせよって意味だよな?」
「うん、そういう意味かもしれないね。他には? 別の解釈はないの?」
「そうだな。道連れにされては迷惑。度が過ぎる情けはより迷惑。しかし旅とはそのようなもの。旅は人生であり、人生は迷惑の連続だ。ま、細かいことは気にするなってことだな」
「あはは。なにそれ?」
「うん? 長いこと旅をしてると色々あるんだよってことだな」
「なるほど。実体験込みの解釈なんだね」
 ダウンとシドはしばらく会話をしながら歩き、樹海の中に滝を見つける。
「ふぅー、ふぅー」
 ローナの消耗を考慮してダウンは言う。
「少し休もうか」
「うん、そうだね」
「ふぅー、やっと休憩できるわ」
 三人は息抜きに足を休める。水分補給をしてから滝の辺りに流れる水を補充した。しばらくして三人は再び沈黙に戻って樹海の中を歩き出した。

     3

 ダウンとシドは旅をしている。わけあってローナも二人に同行している。現在の目的地はミストだ。ルーニア大陸の東南に位置する樹海の何処かに存在する街がミストである。多くの旅人が樹海の探索に挑んでいる。同じ旅人仲間で情報屋のジェーンは「魔女の森は大昔とある魔女が住んでいた場所だった」と言った。ダウンはミストへ辿り着かなくてはならない。ダウンには目的がある。彼はミストを目指していて多少の危険は承知の上だった。ダウンに引き返す気はなく樹海の奥へと歩みを進めていた。ミストへ辿り着くには容易ではない。森林を覆う濃霧が旅人の行手を阻んでいた。ミストに辿り着けた旅人はほんのひと握りという話もある。ダウンたちは樹海へ入る前に何組かの旅人たちの姿を確認していた。彼らもミストを目指して樹海に入ったのである。
 同時にダウンは少しだけ気がかりを覚えた。それはさっきの旅人たちの姿が見当たらなくなっていたことだ。これだけ広い樹海なのだから当たり前といえば当たり前である。しかしあれだけ意気揚々と準備をしていたのにも関わらず、樹海から人の気配はまったく感じない。本当に静かだ。諦めて引き返したのか? それとも樹海の動物たちの襲われて帰らぬ人となったのか? どちらにしても何か不自然である。しかし森林の中は相変わらず静かで平和だった。樹海の中にいて平和とは何事かと思われるかもしれないが、森林に異常があれば前述した樹海の動物たちが黙ってはいないだろう。
「ねぇ、ダウン?」
「うん? どうしたんだ?」
 シドはダウンを呼び止める。彼は考えごとをしているうちにシドのことが意識から外れていた。ちなみにシドが旅をするのは今回が初めてのことである。ローナはさっきより息切れはなく余裕を持って歩いている。
「唐突なんだけど、ミストってどんな街なの?」
「私も聞きたいわ」
「端的に言えば、人間と魔女が共存する街だな」
 シドは続けて疑問を投げる。
「じゃあ、ミストには人間と魔女が一緒に暮らしているの?」
「ああ。人間や魔女、自然と文明が調和して寄り添っている街だな」
 ダウンは端的に伝えた。それはジェーンから聞いた情報の一端である。ダウンはジェーンの情報の確度の高さを知っている。よってダウンは情報の要点を端的に伝えた。ダウンは少々面倒くさがり屋でいい加減な性格であるため、人に何かを伝える時に誤解を生むこともしばしば。そんな話をしていると今度はローナがダウンに疑問を投げる。
「ちなみにダウン? ここからどうするの? この霧の中でどこに向かえばいいのか私には分からないわ」
「ああ、それなら。霧の濃度と色を確認するといいよ」
「濃度と色? どういうこと?」
「濃度はミストから遠ければ遠いほど霧が濃くなり、近ければ近いほど霧が薄くなるってことだな。色はミストから遠ければ遠いほど淡々として、近ければ近いほど鮮明になるってことだな。つまり霧の濃度と色を指標にして進めばいいってことだな」
「なるほどね。確かにさっきより霧が薄くなったみたいね。じゃあ次は色を確かめながら進めばいいってこと?」
「ああ、それから。二人とも覚えていてほしんだけど、さらに近づけばミスト独自の匂いを感じるそうなんだ。人工的じゃない自然な甘い香りがするそうなんだ」
「なるほど。濃度と色と匂いね?」
「ああ」
 三人は森の奥へと進む。
 彼らはミストを目指して歩いている。

     4

 魔女の森に入る前の出来事である。この日、樹海の探索のために何組かの旅人たちが集まっていた。基本的に旅人たちはパーティを組んでいて、厳つい男だらけのパーティや、凛とした女三人組のパーティもいれば、男女混合の騎導士と思われるパーティも存在する。中にはダウンやシドのように二人組の旅人もいる。そしてこの場には珍しく、一人旅をしているのであろう男の姿もあった。すると一人旅の男がダウンに声をかける。
「よう。あんたもミストを目指して樹海に入るのか?」
 ダウンに話しかけてきたのは剣士と思しき男だった。厳つい見た目に反して人懐っこそうな柔和な笑顔が特徴的である。男は柔らかな笑顔のままダウンを見ていた。
「ああ、そうだよ。僕はダウン・ラヴフィールド。退治屋をやってる。君の名は?」
「俺はマーディ・ロジスタル。旅の剣士だ。マーディと呼んでくれ」
 二人は握手をする。ダウンはマーディの太く厚い手に、剣士というより兵士のような印象を受けた。マーディの背負った二本の鞘には、それぞれに短剣が収められている。その姿がマーディをより屈強な男に見せている。もしもマーディが国に所属する兵士だったとする。だとしたら彼の所属するのはどの国であろうか。魔女の森からだと、東南にあるルコ王国と、北西にあるレム王国がある。両国共に騎導士が存在する。そしてミストにも戰士という存在がいる。ただ全てダウンの推測だ。真偽のほどは定かでない。それにお互いの素性を明かせるほど二人は親しくもない。ダウンはマーディの素性について考えるのをやめる。二人は自己紹介を終えて話題を戻した。
「マーディ、君もミストを目指しているのかい?」
「ああ、そうだ。噂が本当か確かめに来たんだ」
「噂? どんな?」
「ああ、それはだな。ミストは人間と魔女が共存している場所だって噂だよ」
 なるほどな、とダウンは得心する。
「ああ、その噂か。どこに行っても珍しい話だよな?」
「そうなんだよ。そんな話聞いたことがねぇからよ。人間と魔女の共存なんて夢物語だろってな? だから興味あってな。半信半疑だが確かめに来たんだよ」
 そう。この世界において人間と魔女の共存は珍しい非常に稀有な事例だ。この世界はルーニア大陸とマルガスト大陸に別れている。両大陸においてもそんな話は希少で眉唾なものであった。
「人間は魔女を許さない。なぜなら魔女は人間を食い物にする。奴らは人間の命を踏みにじる。人間はそんな魔女に容赦はしない」
「マーディ、それは君にも当てはまるのかい?」
「ああ。人間の生活を脅かす魔女とは相容れないな。出会ったら遠慮なく戦うぜ」
「そうか」
「ま、基本人間一人の力では魔女に及ばないのも事実だ。だから俺たち人間は知恵を絞るんだ。それが悪知恵だったとしてもだ。悪名高いアダムス帝国の魔女が相手でも変わらない。奴らも絶対の存在じゃない」
「ああ。その通りだな」
「だから知りたいんだ。そんな夢物語が実在するなら、少しは魔女に対する認識も変わるのかもしれないって思ったんだ」
「そうか。マーディ、君はいい奴だな」
「茶化すなよ、ダウン」
 マーディは少し照れくさそうに頬をかいた。
「そろそろ出発する。俺はひと足早く行かせてもらうぜ。ダウン、あんたと話せて良かった。縁があったらまた会おうぜ」
「ああ。僕も君と話せて良かった」
 マーディはそのまま樹海に入る。その姿はすぐに見えなくなった。すると魔女の森の探索前に自由行動をとっていたシドがダウンのもとに戻ってくる。その顔は少し嬉しそうである。
「ねぇ、ダウン。少しいいかな?」
「どうした、シド?」
「ダウンに紹介したい人がいるんだ」
「紹介したい人?」
「いいわよ、シド、私から自己紹介するから」
 言ってダウンの前に現れたのは金髪の美少女であった。二人組の旅人の一人であり、もう一人坊主で長身の男がいた。男は百八十センチメートルを超えた長身で、一歩引いた場所から三人を眺めていた。すると金髪の美少女はダウンと向き合って言葉を発した。
「はじめまして、私はローナよ。ローナ・ジャズライト。シドとはさっき知り合ってね。話が弾んじゃって仲良くなりたいって思ったの。あなたがダウンよね?」
 シドはさっそく同性の話し相手を見つけていた。
「ああ、僕がダウンだ。ダウン・ラヴフィールド、旅の退治屋だ。ローナ、君は商いをしているのかい?」
「ええ。ダウン、あなたって目ざといのね」
「積み荷を引いて馬を走らせているんだ。だいたい見当はつくさ。しかし何だな?」
「ん? どうしたの?」
「君たちもこれから魔女の森に入るんだろう? 馬車はどうするんだ? 樹海の中に連れて行くわけにもいかないだろう?」
「わお、質問攻めね?」
「あ、悪い。余計なお世話だったよな?」
「ううん、気にしなくていいわ。馬車は彼がここに待機して守ってくれるから平気よ」
 言ったローナの視線の先には、彼女の旅の同行人である坊主の男が佇んでいた。
「彼はアズライン。私の旅に同行してもらっているの。アズライン、二人に挨拶して?」
「はじめまして。私はアズラインです」
 アズラインはいたって簡潔に自身の名前を名乗った。アズラインは笑う。その笑顔はどことなく爽やかで、その立ち振る舞いは飄々としている。ダウンのアズラインに対しての印象は「胡散臭そうな奴」だった。実際に彼の飄々とした微笑みはどこか信用ならないものであり、ダウンは少々とっつきにくそうにアズラインを見ている。アズラインはそんなダウンの心中を察してか、おどけるように笑って見せた。
「ちなみに、アズラインはファーストネームでありラストネームでもあります。よって私はただのアズラインです。ただの修行僧です。お二人ともよろしくお願いします」
 するとシドは身を乗り出して言った。
「ダウン! アズラインさんって凄いんだよ! さっきアズラインさんと手合わせしたんだけど全く歯が立たなかったよ! 全く気配を感じなかったし、私の野生でも感知できないほどに完成された呼吸だったの。ダウン、世界って広いんだね!」
 ダウンは「シド、何で手合わせなんてしたんだ?」とは聞かなかった。きっとこれも天性の野生の導きなのだろう。シドの言葉を聞いてローナは鼻高々に喜ぶ。
「でしょ? 私が言うのも何だけど、アズラインは本当に頼りになるわ」
「いやはや参りましたね。そう大層なものでもないのですが。それはそうとローナ?」
「ん? どうしたの?」
「いえ。ローナがミストに到着するまで、彼らと共に魔女の森を探索するのはどうですか、と思いましてね。もちろん彼らの返答次第です。ダウン、シド、ローナと一緒に行ってはいただけないでしょうか?」
 アズラインの提案にダウンとシドは驚いていた。ダウンはアズラインの意外な押しの強さに、シドはアズラインにあらためて不可解な感触を覚えていた。当のローナは「アズライン、なんて図々しいこと言ってるの」と言うかと思えば。
「その手があったわね。ナイスよ、アズライン」
 ローナはアズラインにサムズアップをする。どうやら彼女は乗り気のようだった。
「なぁ、お二人さん?」
「それではお二人とも、ローナをよろしくお願いします」
「おい」
「というわけだから、短い間だけどあなたたちをボディガードとして雇うわ。もちろん報酬は支払うわよ?」
「うーん」
「お二人とも今後ともよろしくお願いします」
「……」
 ダウンは「この坊主、案外いい性格してるな」と言いかけて言葉を飲んだ。
「二人とも少し待ってくれ。シド、君はどうかな? 君はローナが魔女の森の探索に同行しても構わないか?」
「うん。私たちとローナは目的地が一緒みたいだから構わないよ。ダウンはどうなの? 私はダウンに決めてほしい。私はそれに従うよ」
「ああ、分かった。いいよ、ローナ、一緒にミストを目指そう」
「よし、決まりね! アズライン、できるだけ早く戻るから馬車の警備をお願いね?」
「ええ、任されました。ダウン、シド、ローナをよろしくお願いいたします」
 ダウンが「ああ、任された」と口にしかけたその時。遠方から言い争いのような声が聞こえてきた。
「何だと、テメェ! 喧嘩売ってんのかぁ!?」
「否、儂はお前たちに喧嘩を売ったのではない。ただの事実を口にしたまでだよ」
「テメェ、俺たちに「魔女の森を攻略するのはまだ早い」とか、「あと三年ほど修行して出直せ」とか、言いたい放題言いやがって! お前は一体何様なんだ!?」
 どうやら厳つい男たちのパーティと、凛とした女三人組のパーティが言い争っているようだった。上品な黒いローブに身を包んだ黒髪の少女。フードから覗く白銀色の双眸は透徹した眼差しを見せる。少女は無表情かつ真剣な眼差しで男たちと向き合う。
 ダウンは思う。あの小柄な少女が発した「あと三年」という言葉が妙にリアルで生々しくて、せめて「百年早い」と言われていたほうがまだ笑い飛ばせていただろうと。それにしてもあの小柄な少女。一人称が「儂」とか、ロリババァ……いやいやこれは失礼いたしました。おそらく冗談だとは思うが彼女は一体何者なのだろう?
「ケルシー様に非はありませんよ。それに何様って、それはお互い様でしょう? あなたたちさっきからずっと高圧的な態度で話しているけど、まさか自分たちのことを棚に上げる気なのでしょうか?」
「なんだと!」
「サリーナ、やめときなってば」
「でも、シルキー、こいつら魔女の森の険しさを全く知らない。絶対無理、樹海の中で野垂れ死ぬのが関の山よ」
 青紫色の髪。紫色の双眸。両耳に赤色のイヤリング。上品な黒いローブを身に包んだ女。名はサリーナ。キツめの眼差しと理知的な顔。冷静沈着だがその実は激情家といった印象だ。
 茶髪。赤茶色の双眸。黒色の鼻だけを覆う特殊マスク。上品な黒いローブを身に包んだ女。名はシルキー。柔らかな眼差しと温和な顔。穏やかそうだが何やら落ち着きのない印象だ。
 二人はケルシーに従えているようだ。彼女の助手といったところか。シルキーは小声で「いいからほっときなってば。こいつらからは嫌な匂いがする」とサリーナに向けて呟いた。
「シルキー?」
「ケルシー様もそれでいいですよね?」
「是、儂は奴らに構うほど暇ではない」
 ケルシーたちは魔女の森に足を踏み入れていった。
「勝手に言ってろよ。あんたらの言うとおり魔女の森は危険がいっぱいだ。せいぜい気をつけることだな?」
 ダウンは思う。あのケルシーという少女の言ったことは正鵠を得ていたと。ダウンの目から見ても、あの男たちに樹海の探索は荷が重いだろうと感じている。何というか実力云々以前に心構えができていない。あれでは近いうちに取り返しのつかない痛手を負うだろうとダウンは考える。
「いやはや穏やかではありませんね。それに過程は違えど、我々はこれから魔女の森を踏破する仲間だというのに」
 アズラインは少々渋い表情で「本当に困った人たちですね」と言った。
「そうね。でも私たちも彼らに構っている場合じゃないわよ?」
「ええ、承知していますよ」
 ローナは「ならいいわ」と言って馬車に入り荷物のチェックを済ませる。どうやら準備はできたようだ。
「じゃあ、アズライン、気を取り直して行ってくるわね」
「ええ、行ってらっしゃい」
 今度こそローナは魔女の森へと歩を進める。ダウンとシドはひと足先に魔女の森に足を踏み入れていた。
「ダウン、シド、待ちなさいよー!」
 ローナは二人を追いかけて魔女の森に入った。こうして三人は現在にいたったのである。

     5

 ダウンとシドはルコ王国から魔女の森までやって来た。ルコ王国は魔女の森のさらに東南に位置する国でシドの故郷でもある場所だ。二人が出会ったのは五年前のルコ王国。度々ルコ王国へ訪れていたダウンの話を聞くたびにシドは旅についての好奇心が抑えられなくなり今に至った。彼の話から彼女が感じたことは、旅をすることの喜びや厳しさとほんの少しの憧れだった。シドのこの所感はダウンにも話してはいない。その時、シドは何かに反応する。
「どうしたの、シド?」
「ダウン、ローナ、誰かが来るよ」
 シドは誰かの気配をいち早く察知していた。
「ああ。そうみたいだな」
 樹海の中を進んだ途中で、ダウンたちは三人の男女と遭遇した。さきほど旅の道中に顔を合わせた三人の男女混合の騎導士たちとの再会。三人もまたミストを目指して魔女の森に入ったようだ。三人ともダウンたちのことを憶えているようだった。
「君たちはさっきの白髪くんと白猫ちゃんじゃないか。あと、金髪ちゃんも一緒か」
「白髪くん?」
「白猫ちゃん?」
「金髪ちゃん?」
 口を開いたのはローウェンという少し気安い口調の青年である。
 黒髪で蒼銀色の双眸。軽装な甲冑をまとい、少々短めの刀剣を腰に下げ、左手には小盾を装備している。彼の衣服の右腕には盾と槍を持ったライオンの紋章が施されている。それはレム王国の国章である。ちなみにローウェンはすぐ人にあだ名をつけたがる性格のようだ。そんな彼にダウンたちは少々困り気味。特にローナは難しい表情をしている。
「よせ、ローウェン。引かれているのが分からないのか?」
 バーグゼスという中年の男がローウェンに注意する。
 白髪混じりの黒髪オールバック。蒼銀色の双眸。左顔半分には火傷の痕。軽装な甲冑をまとい、少々太めの刀剣を装備している。彼の衣服の右腕にも盾と槍を持ったライオンの紋章が施されている。はたから見れば先生と教え子のように見える。
「先生。俺、空気はあえて読まない男なんで」
 本当に先生と教え子のようだ。それにしても明らかに空気が読めていないローウェンである。するともう一人の少女が口を開いた。
「アホ」
「イオラ、アホとは何事だよ」
 イオラと呼ばれた少女。彼女の言葉は端的で辛辣だ。同時にローウェンに対して親しみを感じるような声音であった。イオラは赤髪のツインテールに金色の双眸。軽装な甲冑をまとい、二本の短い刀剣を装備している。彼女の場合、衣服の左腕に盾と槍を持ったライオンの紋章が施されていた。左右の違いに何か意味があるのだろうか?
 おそらくイオラの年齢は十五歳未満。彼女は少々幼く見える。
「本当にひどいなイオラは。この毒舌幼女め。呪われろ〜」
 ローウェンは両手をイオラに向けて、何やら負の波動のようなものを発している。
「何、その表情? あんたの顔のほうがよっぽど酷いわよ?」
 またしても辛辣な言葉。今度は親しみが薄れて、本当にうんざりした様子であった。
「け、言ってろ。先生聞いてくれよ。俺さ、白髪くんと白猫ちゃんとは運命を感じるんだよ。もちろん金髪ちゃんともね」
「ほぅ。なるほどな?」
「だから三人とは親交を深めたいんだよ。いいでしょ、先生?」
「残念だが却下だ。ローウェン、我々の目的を忘れたか?」
「そうだよ、アホ」
「ぐぬぬぅ」
 ローウェンは駄々をこねる子供のように拗ねる。イオラとバーグゼスは呆れている。しかしローウェンはイオラとバーグゼスの言葉を意に介すことなく、ダウンたちに胸を張って提案をする。
「御三方よ。ここは一つ競争と洒落込まないか?」
 ローウェンの問いかけに「お前は何を言っている?」といった面持ちでイオラとバーグゼスはローウェンを見ている。ダウンたちも同じ心境であった。ダウンはローウェンに聞き返す。
「どういう意味だ? なにを競争するんだ?」
 ダウンは不可解そうな表情を見せている。
「またまた、分かってるくせに。白髪くん、君ってば焦らし上手だね。どっちが先にミストへ辿り着けるか競争しようって話だよ」
 ダウンたちは困惑した表情でイオラとバーグゼスを見やる。二人とも恥ずかしそうに我関せずを貫いていた。するとローウェンは体勢を低くした状態のまま構えをとる。
「それじゃ、いくよ? レッツスタート!」
 ローウェンは一目散に樹海の奥へと走り抜けていった。
「失礼しました」
「失礼した」
 イオラとバーグゼスは軽くお辞儀をするとローウェンのあとを追いかけていった。どうにも気苦労の多い二人のようだ。
「何だったのかな? あの人たち?」
「どうやらレム王国の騎導士みたいだな」
「どうしてそんな人たちが魔女の森にいるんだろう?」
「さぁな。シド、ローナ、僕たちも先へ進もう」
「そうね」
「うん、行こう」
 イオラとバーグゼスはローウェンを追って颯爽と走っていった。ダウンたちはローウェンたちの背中を呆れながらも最後まで見送った。なんだかローウェンには愛嬌があり、憎めない人柄なんだな、とダウンは一人呟いた。同時にダウンは悪寒を覚える。なぜならローウェンにそう言ったら歓喜しながら絡んでくるだろうと、短すぎる付き合いでも想像できることがダウンには少々恐ろしくはあった。冗談はさておきダウンたちの道のりは続く。まだ旅は始まったばかりだ。

     6

「シド、本当によかったのか?」
「何が?」
「今更だけど、故郷を離れて旅に出たことだな」
 ダウンは唐突にシドに問う。ローナは黙って二人の会話を耳にしている。
「うん。自分で決めたことだから、一応、覚悟はできているよ」
「そうか。しばらくはルコ王国を訪れる予定はないから、ホームシックに陥っても僕は知らないからな?」
「心配してくれるんだね。ありがとう」
 シドは少し嬉しいようである。
「けど、大丈夫。おばあちゃんの写真は何枚か持ってきてるから」
「そうか。シドの育ての親だもんな」
「うん。おばあちゃんのこと大好きだよ」
 シドは元々身寄りのない子供で、経緯は不明だが十二歳の時にルコ王国へと流れ着いた。詳細不明だがシドには何やら曰くがあり、ルコ王国で一悶着あったそうだった。しかしツカサ・春雨とレイナ・春雨の尽力もあり、シドは二人の養子としてルコ王国に身を置くこととなった。
 シドが十七歳になった頃、春雨夫妻が血の繋がった息子を連れてフェルク国に住居を移すと決める。シドにも一緒に来るように伝えたが、彼女は両親については行かなかった。祖母であるコトネ・春雨はルコ王国に残ると言い、シドもルコ王国に残ることを決心する。
「ダウンは? 私がダウンの旅に同行しても良かったの?」
 シドは難しそうな顔をしてダウンを見ている。
「うん? ああ、気を遣うことはないな。知らない仲でもないし、君の家族には色々と世話にもなった。それとジェーンのお墨付きでもあるしな」
「うん、ありがとう」
 彼女は思い出したように再び言葉を紡ぐ。
「ジェーンさんといえば。一年前にダウンがジェーンさんとルコ王国に訪れた時から一度も会ってないよ。ジェーンさん、今どうしてるかな?」
「うん? あいつは基本的に神出鬼没だから、どこにいるやらさっぱりだな。案外近くにいたりしてな?」
 そう嘯くダウン。実は一ヶ月ほど前にダウンはジェーンに会っていた。魔女の森についての情報をジェーンから得るために、ほんの少しだけの時間ではあるが言葉も交わした。ダウンはシドにその事実を伝えない。旅人としては新人であるシドに余分な情報を与えて困惑させないためだった。ダウンはシドに、まずは旅に慣れてもらわないといけない、と考えていた。観光旅行ならまだしも、ダウンは国から国へと旅をして回る生粋の旅人だ。それを実現するためにはそれなりの基礎体力や持久力も必要である。情報過多になってシドを混乱させては、それらに集中できなくなるとダウンは考えていた。
「ジェーンさんって旅人だよね? 本人に聞いた話だと情報提供をしているって言ってたし情報屋みたいな?」
 ダウンには少々悩みの種がある。シドは思いのほか好奇心旺盛だった。好奇心があるのは良いことだが、行き過ぎると危険に遭遇することも少なくない。なぜなら知らなくていいことまで結果的に知ってしまうからである。例えば他人の危険な趣味や、訪れた国の大事な機密やら、大きなものから小さなものまで知ることだってある。過去にも例はあるだろう。そして重大な事柄は秘匿されるのが世の常だ。ああ、恐ろしい限りだ、ダウンはそう思った。ただそれとこれとは別の話だ。
「ジェーンの本職はどちらでもないよ。あいつの旅は本職のついでだからな。情報提供も同じくな」
 ジェーンの本職について本人は隠してはいない。
「そうなの? ダウン? ジェーンさんの本職って何なの?」
「秘密だよ。今度ジェーンと会ったら本人に直接聞いてみな?」
「えぇ! ダウンの意地悪!」
「悪いな。本人は隠していなくても旅人仲間の個人情報を明かすことはできない」
「なるほど。だから本人に直接聞けってことだね?」
「ああ。それからシド? 話を戻すけど、少しは旅には慣れたかな?」
 シドは考える。すぐに答えは出たようだ。
「まだまだだね。体力や持久力にも、知識だってそれなりに自信はあったんだけど、全然不足してたんだなって思い知らされたよ。ダウン、旅人って凄いんだね」
「ああ、僕も最初はそう思ったよ。体力や持久力も、知識だって徐々に身につくから心配はいらないよ。その好奇心を上手に使えれば君はいくらでも成長できる」
「えへへ。そこまで言われると照れるね。話を戻すけど、私がダウンの旅に同行しても良いんだね?」
 ダウンは微笑んだ。彼にはシドを旅の仲間として迎え入れる理由もあった。
「ああ。シドは僕が魔女だって知っても変わらず接してくれた。正直に言うと嬉しかったしな」
「そっか。それなら良かった」
 唐突ではあるがダウンは魔女である。ダウンはシドに自身が魔女と呼ばれる存在であることを打ち明けていた。人間よりも柔軟かつ頑丈ではあるが、基本的な構造は人間と同じであることも、呪文を詠唱することで放鬼と呼ばれる魔女の操る特殊な武具を具現化できることも彼女は知っている。
「でもダウンが放鬼を使ってるところ見たことがないよ」
「君な。いたずらに見せるものじゃないから見せないだけだ」
「そっか。それ、少しだけ分かるよ」
「ま、アダムス帝国の魔女なら話は別なんだろうけどな」
 そう。今魔女を中心としたアダムス帝国の侵略行為が全世界で横行していた。この世界はルーニア大陸とマルガスト大陸に二分された世界である。ルーニア大陸はレム王国を中心に人間が多く住まう大地である。対してマルガスト大陸は、アダムス帝国を中心に統一された魔女たちの住まう大地である。マルガスト大陸の多くはアダムス帝国の支配下に置かれている。その侵略行為の矛先はルーニア大陸にまで及ぼうとしていた。
「だからシド。危険が迫ったらすぐ逃げな?」
「うん。分かった」
「ねぇ、ダウン。少し質問してもいい?」
 その時、沈黙していたローナが話しを切り出した。ローナは少々訝しむようにダウンを見つめる。
「うん? 何かな?」
「ダウンって魔女だったの?」
「……ああ。そうだよ」
「そう……。ねぇ、シド、ダウンを少し借りるわよ?」
「ローナ?」
「ダウンに聞きたいことがあるの」
 ローナは真剣である。同時にシドには少し黙っていてほしいという意味でもあった。シドはローナの意図を汲みつつ返答する。
「うん、分かった。ちなみに私は二人の会話を聞いていてもいいのかな?」
「ええ、それは構わないわ。ごめんなさい、気を使わせてしまって」
「それで? ローナ、僕に聞きたいことって何かな?」
「ダウン、あなたは本当に魔女なの?」
「ああ、そうだよ」
「なら、あやかしの魔女という異名を聞いたことはある?」
「いや、初めて聞いた異名だな。そんな魔女が存在するのかい?」
「ええ。私は妖の魔女を探している。そのために旅をしているの。ダウンが魔女なら知っているかもと思って聞いたのだけれど」
「悪いけど、僕も知らない魔女だな」
 ローナはダウンを探るように見つめる。するとローナは小さなため息を漏らした。
「いいの。あと、ごめんなさい。私少しだけダウンを疑ったわ」
「うん? 僕の何を疑ったんだい?」
「ダウンが妖の魔女なんじゃないかって疑ったの」
「なるほどな」
 ダウンはすぐに浮かんだ疑問を口にした。
「ローナ、仮に僕が妖の魔女だったらどうするつもりだい?」
「殺すわ」
「……物騒だな?」
 ダウンの表情は徐々に真剣なものに変わってゆく。
「ごめんなさい。でも、私も真剣だし本気なのよ。あと正確に言えば、妖の魔女から聞きたいことを引き出してから殺すわ」
「ローナ、理由を聞かせてもらってもいいかな?」
「ええ。ここまで話したのだから、隠すのも気持ちが悪いし少しだけ話すわ」
 ローナは深呼吸をして再び言葉を紡ぐ。
「私には姉がいるの。大切な家族よ。その姉に呪いをかけた魔女がいたの」
 それは、つまり。
「それが妖の魔女というわけだな?」
「ええ。妖の魔女を見つけて姉にかけられた呪いを解かせるの」
 ダウンは口元に手を置き、少しだけ考え込む。ローナに何か伝えたいことがあるようだ。
「ローナ。呪いを解く方法がこの世界にはいくつか存在するのは知っているよな?」
「ええ。ダウンが言いたいことは理解できるわ。でも、どの手段も効果はなかった」
「そうか。全ては徒労に終わったんだな。だから妖の魔女から呪いを解く方法を引き出したいってわけだな?」
「ええ。そんなものが存在するなら、だけどね」
「そうか。見つかるといいな、呪いを解く方法が」
「ええ、ありがとう」
 そう言ってローナは自身の両頬を軽くパチッと叩いた。ローナは軽く微笑む。
「はい、湿っぽい話は終わり。先へ進みましょう?」
「ああ。先へ進もう」
 二人が会話を終えるとシドがローナに視線を向ける。どうやらもう喋ってもいいかの確認らしい。それに気づいたローナは思わず吹き出すように笑っていた。
「シド、もう話してもいいわよ」
「うん。ありがとう」
「それに、そもそも律儀に約束を守らなくても良かったのに。喋りたかったら自由に会話に参加しても良かったのよ?」
「ううん。さっきのローナは真剣だったから。それにローナとの約束だから簡単には破れないよ」
「ふふ。シドって本当に従順よね。私、あなたのそういうところ好きよ」
「えへへ、照れるな」
「ねぇ、シド。私心配だわ。ダウンに酷いことされてない?」
「え?」
「おい、ローナ、君な」
「ふふ、冗談よ。さぁ先へ進みましょう?」
 三人は樹海の中を進む。ダウンは少々面映ゆい顔で頭を掻いた。シドはどう反応したらいいのか分からずに照れながら俯いた。ローナは前を進む二人の背を眺めながら、凛とした神妙な顔を覗かせた。そして三人の道は続く。

     7

 樹海の中には野生の動物たちの姿が見える。森林には鹿や梟の姿がぼんやりと見え、はたまた木々には爪の痕跡があり、三人は細心の注意を払いながら樹海の奥へと進む。ダウンは樹木に刻まれた爪の痕跡を撫でる。
「まだ真新しい爪痕だな」
「ええ。この爪痕は熊でしょうね」
「やっぱりそうだよね。近くにいるのかな?」
「どうだろうな? いたとしても一頭だけだと思う」
「どうして? どうして分かるの?」
「全て同じ爪痕だからな。爪痕の大きさからして子熊かもしれないな。親熊とはぐれたのかもな」
「大変、早く助けないと!」
「うん? 誰を?」
「子熊をだよ! 親熊とはぐれてきっと寂しい思いをしてる!」
「あのな、シド。僕らは子熊を助けるためにここまで来たわけじゃ……」
「ダウン、あれ!」
 ローナが示した先には何か気配がする。それは子熊であった。
「ああ、予定変更だな。少し戯れて行こうか?」
「え? それってどういうこと?」
 ダウンはシドから目線を外して別方向を見つめる。シドはダウンの視線を頼りに後ろを振り返る。そこには子熊を探して歩いていたのであろう親熊の姿があった。シドは少し動揺していたのか、普段ならすぐに気づくであろう気配を察知できなかった。すると彼女は咄嗟に二人へ告げる。
「ダウン、ローナ、戦闘態勢を解いて。一歩ずつ引こう。熊たちに敵意を向けてはいけない」
「ああ。そうしよう」
「ええ。ここはシドに従うわ」
 ダウンたちはゆっくりと親熊と子熊を刺激しないように離れる。すると親熊は子熊に歩み寄る。子熊は親熊にしがみつき、そのまま二頭の熊はダウンたちの前から早々に立ち去った。
「ふぅ、行ったな」
「ええ。おとなしく去ってくれて本当に良かったわ」
「うん。戦闘は避けることができたね」
 その瞬間、シドとローナの言葉をきっかけにダウンの脳裏を何かがよぎった。
「ああ。あいつらはゲームの序盤に出てくるボスクラスのエネミーだ。可能なら戦闘は避けたほうがいいからな」
 シドはポカンとした表情でダウンを見た。
「ゲーム? ボスクラス? エネミー?」
「ダウン、それ何の話?」
 シドとローナは彼の言葉に少し困惑気味である。ダウンは一瞬何かを思い出しかけるが、その正体は掴めない。彼の記憶には虫食いのように所々欠落がある。今その片鱗が顔を覗かせたような錯覚に陥っていた。
「何だろうな。自分で言っておいて何だけど思い出せないな」
 或いはしかし、と。ダウンはしかし言葉を飲み込んだ。
「変なの。それはそうと、親熊と子熊の気配はもう消えたよ。遠くまで行ったのかもしれないね」
「ああ。ここら辺に熊のテリトリーがあるみたいだな。幸いこの場所はテリトリーの中心ではないみたいだな」
「うん、そうだね。私たちも彼らのテリトリーを荒らさないように進まないとだね」
「ああ、そうだな」
「この世界に生きているのは人間だけじゃないからね」
 シドは真剣に語る。彼女は自分で考えているよりも偏見が少ない。人間や動物であろうと共存できるのならそれに越したことはないと考えているようだ。それが魔女であっても変わらないのであろう。
「なぁ、シド」
「ん? どうしたの?」
「僕はシドが獣化できるっていうのは知ってる」
 ダウンはシドの異能について語る。
「そうなの!?」
 ローナは驚く。シドは面映ゆい表情で二人を見つめる。
「うん。ダウンには猫になっているところを何度か見せたよね」
「ああ。猫以外になることはできるのかなってな。例えば熊とか」
 おそらくさきほどの熊の親子がきっかけで思い浮かんだ問いなのだろう。
「なるほど。面白い質問だね」
「なれるのか?」
「ううん。私の獣化はネコ科動物に変身する能力。他の動物にはなれないよ」
 シドはさらっと自身の異能を明かす。ローナはポカンとした顔でシドを見る。
「シド。ダウンにならまだしも、私にまでそんな大事なことを話してもいいの?」
「ううん、本当は怖いよ。どう思われるのか不安だし、この異能が原因で離れていった人たちもいるからね」
「そう、そうよね。ならどうして?」
「ダウンは自分が魔女だって打ち明けてくれたから。ローナだって自分の事情を打ち明けてくれた。だったら私も少しは打ち明けないとね?」
「なるほどな」
「ありがとう。嬉しいわ、シド」
 するとダウンはシドに一つだけお願いをした。彼女にもう一度猫へと変身してほしいようなのである。どうもダウンは白猫の毛並みがモフモフとして心地よかったらしい。ローナも「見てみたい!」と乗り気である。ダウンとローナの突然のお願いに、シドは「しょうがないなぁ」と言って変身する。それは一瞬の出来事だった。さっきまでそこにいたシドの姿は消え、彼女の服だけがふわっと地面に落ちる。その時シドの服の中から現れたのは、一匹の柔らかそうな毛並みの白猫であった。シドが獣化した姿である。
「あわわ、可愛いわね!」
「ありがとう。シド、触れていいかな?」
「うん。少しだけだよ?」
 ダウンは獣化したシドの毛並みをさするように撫でる。
「シド、私もモフりたいわ!」
「うん、いいよ。ローナ、優しく触れてね?」
 ローナは「任せて」と言ってシドに触れた。大変に幸せそうな顔で「癒されるわー」とご満悦のローナ。少しの間、二人は白猫のシドを優しく愛でる。
「どう? 満足したかな?」
「ええ。それはそうと、獣化しても言葉を話せるのね?」
 シドは白猫の姿のままで話している。ダウンはともかく、ローナはシドが話していることに少し驚いている。
「うん。一応はね」
 するとシドは少々恥ずかしそうに、ソワソワしながら言葉を続けた。
「ダウン? ローナ? そろそろ元に戻ってもいいかな?」
「ああ、すまない。ありがとう、僕のわがままに付き合ってくれて」
「同じく。私もありがとう」
「いいよ。喜んでくれたようで私も嬉しい。ただ、ダウン、ちょっとあっち向いていてもらえないかな。……その、服を着ないといけないから」
「ああ、なるほどな」
「大丈夫よ、シド、私が見張っているわ」
「ローナ、君な」
「ふふ、念のためよ。ダウンは男で、シドは女だからね?」
「ああ、そうだな」
 二人が話している間にシドは服に着替える。彼女の獣化が解ければ、彼女が人間の姿に戻れば、つまりはそういうことである。シドが獣化をあまり人に見せないのはこれが主な理由である。単純に恥ずかしいから人前で変身したくはないのである。
「二人とも、こっち向いてもいいよ。もう着替え終わったから」
「ああ。ありがとう、シド」
「私からも感謝するわ。またモフらせてね、シド」
 シドは少々照れ臭そうにしながら、ダウンとローナに微笑みかける。
「ねぇ、二人とも少し休憩してから行こう?」
「ああ。そうしよう」
 三人は少しの間だけ息抜きを兼ねて軽食と水分を摂る。三人は再び樹海の中を歩き出した。

     8

 しばらくダウンたちは樹海の中を歩いていた。
 ダウンとローナが二人で話し込んでいると、シドは何やら異変に気づいた模様である。
「ねぇ、二人とも気づいてる?」
 シドは歩く速度を変えぬまま言葉を発した。
 どうやらダウンとローナも気づいていたようであった。
「ああ、どうやら僕たちあとをつけられてるな。さっきの騎導士たちではないようだな」
「うん、そうだね、それはなさそう」
 ダウンとシドが言っているのはローウェン、イオラ、バーグゼスのことである。同時に今ダウンたちをつけているのは別の集団である。日々旅をしてると、このようなトラブルに巻き込まれることも時々あるようだった。それゆえ二人は冷静である。ローナも臆した様子はなく言った。
「ダウン、何人いるか分かる?」
「人数は大体五、六人ってところだな」
「うん。しかも少し殺気立ってるぽいよね? 森がざわついてる」
「穏やかじゃないよな。しかも徒党を組んでだなんてな。よほどの小心者なのか?」
 するとシドはダウンに質問を投げかけた。
「ダウン、最近人の恨みを買うようなことをした?」
 なるほどな、とダウンは妙に納得した。ダウンに限っての話でもないがその可能性もある。彼は職業柄恨みを買うことも珍しくはないようだ。
「してない、と思う。嘘です。むしろ心当たりが多すぎて分からないな。シドは?」
「ダウンほどではないけど私も心当たりはあるよ」
「私には心当たりはないわ!」
 ローナはきっぱり断言した。
「本当かな?」
「ダウン、何よ、その問いは?」
「いや、随分と清く正しく生きてるんだなと思ってな?」
 ダウンの問いにローナは少し面映そうに頬を掻いた。
「何と言われようと、心当たりはないわ。多分」
 三人が話をしてる間に相手は徐々に距離を詰めてきている。完全に悪意剥き出しの集団だった。するとダウンは意を決したようにパンッと両手を叩いた。
「シド、ローナ、奴らの狙いは僕という前提でここから別行動を取ろう。僕が奴らを惹きつけている間にシドとローナはミストへ直行。いいかな?」
「ダウンはどうするの?」
「僕も頃合いを見計らって奴らを巻く。そうしたらすぐにミストへ向かうよ」
「分かったわ。それじゃ、ミストで合流ってことね」
「ああ、そういうことだな」
「ダウン。気をつけてね」
「ああ。二人もな」
 話はまとまった。あとは行動あるのみだ。
 相手の様子を伺いつつ三人は一度立ち止まり、すぐに二手に別れて走り出そうとした。しかし追手のいる方向とは別方向から、何か大きな地鳴りのような音が響いてきた。それは足音だった。それは大きな足音を鳴らしながら接近してくる。

 ドルルゥゥゥウウ。
 ドルルゥゥゥウウ。
 ドルルゥゥゥウウ。

 足音と共にそれは声を鳴らした。
 それは低く重い咆哮であった。
「ドルルゥゥゥウウ、ドルルゥゥゥウウ、ガァァ!」
「な、何!?」
「何なの、こいつ!?」
「こいつは、魔獣だな! どうしてこんなところに!?」
 緑色の肌。黒い結膜と真っ赤な虹彩。頭部には毛の一本も生えてはいない。それは二メートルを優に超える大男のような体躯をした魔獣。その名をテロルトロルという。頭部に生えた、二本の白い角が特徴的な普遍種と呼ばれる魔獣。それは一本の大きな棍棒を携えている。知能は魔獣の中でも比較的に低い。ルーニア大陸全土にて存在が確認されていて、一角から三角までの頭部に角の生えたテロルトロルがいる。魔女の森で魔獣が確認されたことはほとんどない。テロルトロルも例外ではない。
 ではなぜ?
 そんなことを考えていたダウンに魔獣テロルトロルは猪突猛進に襲いかかる。
「ダウン!」
 魔獣の狙いはダウンだろうか?
 しかし、そう、どちらにしても。
「シド、ローナを連れてミストへ向かってくれ!」
「でも、ダウンは……」
「早く!」
「シド、行くわよ?」
「……うん。気をつけてね、ダウン」
「ああ。ミストで合流しよう」
 二人の姿が消えるのを確認してから、ダウンは魔獣テロルトロルを罵倒して挑発した。知能は低いが自身が侮辱されたことには気づいたらしい。テロルトロルは逆上してダウンに襲いかかる。ダウンはテロルトロルをそのまま誘導する。しかしその一瞬、ダウンは何か得体の知れない視線を感じていた。それは粘つくような悪意に満ちた視線だった。


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