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遊助「ひまわり」とわたし

「クイズ ヘキサゴン」という番組を見ていた頃、私はまだ高校生だった。
そして、その番組から誕生したユニット"羞恥心"にハマってしまっていたのもその頃。

それからすぐ、2009年3月に遊助がソロデビューした。羞恥心の中で最推しだった上地雄輔さんがソロデビュー!こんなに嬉しいことはないわ!!ってうきうきした。

しかしその頃の私と言えば、社会人となり、仕事に必死でエンタメを楽しむ余裕なんてなく、CDをひたすら車内で流し、TVに映る彼を見つめることしか出来なかった。

そして、妊娠。

夏場の妊婦。暑いしお腹も重くなるし、仕事はしなきゃいけないし…でつらい時、真っ青な空を見上げては、幾度となく「ひまわり」を口ずさむ日々。元々向日葵の花が好きなこともあり、自然と歌ってしまう、不思議な力のある曲だった。

12月上旬、産休に入ってすぐの頃、切迫早産で入院することになった。仕事中、お腹の張りを感じていたものの「これくらいはまだ大丈夫かな?」と思って立ちっぱなしだったのがいけなかった。病室で自分を責め、入院したその日から毎日のように泣いていた。

そんな私を見兼ねた母が買ってきたのが遊助の1stアルバム「あの・・こんなんできましたケド」だった。
どこからか情報を仕入れたらしく、落ち込む私を元気づけようと買ってきてくれたのだった。

すぐにラジカセに入れ、再生。
1曲目の「みんなのうた」に続き、流れてきたのが「ひまわり」だった。
シングルも持っていて、何度も何度も聞いたはずなのに、ひまわりが流れた瞬間涙が流れてきた。

つらい悪阻も、暑い夏も、お腹の子と一緒に乗り越えてきたじゃないか…!!あと少し、あと少しで我が子に会えるのだから、泣いてばかりいるんじゃなくて穏やかに過ごそう、そう思えた。ひまわりという曲と一緒に闘ってきたような感覚、そんな感じだった。

病室で、毎日毎日アルバムを繰り返し聴いた。
色んなことを考え、切ない寂しい辛いと思ったことやエコーを見て嬉しい気持ちになれたこと…ごちゃ混ぜになった感情の側に、いつもこのアルバムがあった。
14年ほど経った今でも、このアルバムを開くとそのごちゃ混ぜの感情がぶわぁ〜っと蘇る。
音楽って不思議だなぁ。

入院中、プロモーションも兼ねて「遊助サンタの元気宅配便」と称してファンの家を訊ねていくという企画をやっていた。
何かの間違いで病室に来ないかなー?なんて妄想しながら、嫉妬と羨望の眼差しで携帯の画面を見つめるしかなかった。

生まれたて息子との生活が始まり、遊助はどんどんメジャーなアーティストになっていく。ライブやイベントへの出演も増えていた。
子育て真っ只中、ド田舎在住の私にはとてもじゃないが気軽に出かけられる場所じゃない。
でも!!という思いが拭えず、ひまわりの造花を買った。黄色いものを身につけた。
今ほどSNSを活用しきれていなかったが、それなりに情報は入っていたもんで、それなりに羨ましかった。
なんと言っても、遊助さんの歌う時めっちゃ楽しそうなんだもん。生で見たいって思うじゃん。

"俺らは 笑顔の ひまわりさ"

真夏の日差しを浴びて黄金に輝く向日葵の花と、黄色い声援を浴びて満面の笑みで歌う遊助が重なって見えたあの頃。

私にとってそんな思い入れのある曲を、THE FIRST TAKE、一発録りで歌うとのことで、YouTubeで映像を見た。

めちゃくちゃ楽しそうに歌ってる。あの頃と変わらない!わたしを元気にしてくれる、遊助自身が"ひまわり"みたいな存在だ、そう思った。

あれから沢山の音楽に触れてきたけど、向日葵の花を見たら歌わずにはいられないし、他の曲は思いつかない。

"つらいことがあったなら 深呼吸してごらん
泣き虫のひまわり またいつもの笑顔で
上向いて 胸張って 飛べるから"

ひまわり/遊助

この部分の歌詞が、季節なんて関係なく私を励ましてくれる。これからもずっと私の応援歌として居続けるだろう。

あー、なんかの間違いでひまわり畑の中に遊助混じってたりしないかな(意味不明)

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