3つのこと

フランスの学校にいた時、期末の実技試験で試験官の先生に言われた言葉。

演奏をする時は3人の人が聴いていると思いなさい。
一人は自分の先生。
一人は別の専攻、別の楽器をやっている先生。
そして最後は、音楽を学んでいない一般の人。
なぜなら今日の公開試験でも扉は開けられていて、誰でもあなたの演奏を聴くことが出来るから。

この言葉を言われた時、めちゃくちゃ腑に落ちた。

ことある毎にこの言葉を思い出すのだが、最近また思い出す機会があった。

私は去年の年末、カウンセリングを始めようと思い立ってそれを書くのはめちゃくちゃ怖くて勇気が必要だったが、とにかく自分の中でハードルを下げて下げてそれを始めた。

周りの人にも話してやっていこうと思っていたが、なんか自分の中で少しずれている感覚がずっとあった。

なんで?って思ってたけど、まだその時は自分の中でとにかく音楽というものに疲れていて、音楽を仕事にするっていうことからは距離をとっていた。
もう音楽はしんどい、一生音楽に関わることはないかもしれない。(←この時の私こそカウンセリングが必要だったのでは?と今になったら分かる。笑)

で、その後色々経て あっやっぱり自分って本当に心から音楽が好きだったんや、って思い出した。
その気持ちがあったのに音楽と関係のないもので自分の心も身体も疲弊して目詰まりを起こしていただけで、その詰まりが取れて自分の中にあった純粋な気持ちを思い出した。

そしたら、高校生の時淀高の演奏のDVDを死ぬほどリピートして観ていたことを思い出した。
私の高校生活で誇れるのはそれだ、と断言出来るぐらいひたすら毎日DVDを観ていた。

その時の夢は学校の先生になって吹奏楽の指導をしたい!というものだったが、大学3年になるとやっぱり留学したい!と思って結局そっちの道に進んだ。
指導したいっていうのはその時だけの気持ちかと思っていたが、いややっぱりそれも本当はやりたかったんや!!とようやく自分の中からその気持ちが出てきた。


私はオーボエのレッスンはしたことがあるが、「音楽」のレッスンというものを意識してしたことはなかった。

どうしても「オーボエ」のレッスンは技術面やリードのことなどに時間が取られがちで、自分が生徒だった時もそうだった。
実際オーボエの側面からのアプローチも大事だが、音楽の側面からのアプローチでオーボエの問題が一気に解決することも多々ある。

オーボエのレッスンをやりたい!と昔からそこまで熱烈に思わなかったのは、「オーボエ」に特化したレッスンの危険性をどこか感じていたし、自分もその「オーボエのレッスンだ」という思い込みに苦しんだことがあるからだと今になって理解した。


私は色々なことに興味があるが、オーボエだけじゃなくてもうちょっと広い意味での音楽にも興味がある。
「音楽」のレッスンや講座をこれからもっとやっていきたいと思う。


そしてオーボエのレッスンをしていても音楽とは全然関係のない仕事をしていても思うが、自分の中の色んなことで引っかかっている人が多いなと感じる。
俗に言う「生きにくさ」みたいなものだ。
過去の私がその引っかかりが多くてそれをひたすら取ってきたここ2年だっただけに手に取るように他人のことも分かる。
そしてその引っかかりが楽器を演奏する時に表面化したり、仕事でも出てきたりするのを実感する。(もちろんプライベートでも)

無意識に人間の中で繋がっているシナプスをいつもと違うところに繋げる手伝いをするっていうことでカウンセリングをしようと思っていたが、私にとって相手と話してその作業をするっていうのはちょっと荷が重いと感じていたんだと思う。それこそ無意識に。

でも、私の武器でも相棒でもある音楽とそれを掛け合わせれば音楽の力も借りれて、私の力だけでは及ばないところまで行き着くことが可能かもしれない。


音楽のレッスンって 専門の楽器<音楽<人間とは みたいな感じで話はどんどん桁違いに拡がっていくもんだと思っている。

レジェンドと呼ばれるような人のレッスンは音楽を遥かに飛び越えた次元のことを教えてくれる。
ただそれは受け取る側がどう感じ取るかがかなり重要になってくる。
あの人の言ってることって全然理解できない、となるか
あの人の言っていることは宇宙の真理だ、ぐらい認識が違う。


頭の文章に話は戻るが、私はその3つ全部をやりたいんだという自分の欲求に気がついた。

オーボエも、音楽も、人間とは?という永遠のテーマも全部やりたいんだ、と。

それで納得した。
あの先生の言っていたのはこのことか、と。

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