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手書きノートの幸福感

 若いころは多趣味多嗜好、全方位好奇心レーダーみたいな感じでわからなかったのだが、最近になって趣味嗜好の向く方向が一定周期で変化することがわかってきた。
 趣味嗜好が収斂してきたおかげで変化が明確になったというわけだ。これも年の功なのか、あるいは迫る残り時間への危機感なのかもしれない。

 ノートに手書きすることに浸かっているのは今も変わらずで、時間の隙を見つけてはふと浮かんだアイデアやフレーズをキーワードだけでも書き留めるようなことを続けている。
 分析すると僕には(1)創作期(あるいは執筆期)、(2)読書期、(3)工作期、(4)アウトプット期があって、不定期・順不同でグルグルと回っているらしい。
 今はアウトプット期から始まって、関連する工作と読書が走っているという状態だ。

 ノート使いの達人になる気はないのだが、図書館で情報術だの手帳術だのの本が目に止まり、このところで30冊近い関連書籍に目を通してしまった。
 結論としては「初期段階では手書き最強」という、僕個人としてはわかり切った答えに改めてたどり着いただけでした。

 文庫サイズ(A6サイズ)の方眼ノートにメモやらアイデアやら、余白など気にせずページを改めて何でも書き留めているおかげで、ページの進みが早い(中身が薄いというわけではない)。
 バブルの残り香をかすかに嗅いで、物質欲の波の飛沫を浴びた世代としては、手書きノートのように物質として残ることに幸福感があるのは確か。
 手書きがもたらす記憶効果とか、発想の飛躍さとか、デジタルとの優劣を語るのは簡単なことなのだが、根底にあるのはそうした実用性よりも、単に「使い終わったノートが溜まっていく」ことで得られる満足感を味わっているだけなのかもしれない(もちろん便利で有用なことも多くあります)。

 デジタルネイティブの若い人たちにしてみたら、ノートに手書きするってどう映るんだろう。
 学校ではノートを使う場面も多いだろうし、それほど違和感もなさそうな予感もする。
 意外に「新しいもの」として(好意的に)受け取られたりして。

(というようなことを書くために、やはりノートに手書きでひとりブレストをしてしまいました。楽しかったのは言うまでもない)

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