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読書記録2024(#5〜#9)

#5 『村上春樹全作品1990−2000 ① 短編集Ⅰ』
/ 村上春樹

去年から短編小説を意識的に読んでいて、その一環として村上春樹の短編をまとめて読み直している中の一冊。
村上春樹はデビューから同時代をリアルタイムに読むことができている数少ない作家の一人だけに、短編作品の変化も実感を伴って読むことができる。

#6 『文学のレッスン』 / 丸山才一

聞き手の湯川豊氏のインタビューに答える形式の分、他の著書の旧仮名遣いがなくて、読みやすい。
インタビュー形式とはいえ、実質的には文学講義。
丸山さんは自分が入学するはるか以前、母校の高校で講師をしていた時期がある。親しい同級生と「できることなら授業を受けてみたかった」と何かに付けいうことが多い。
なぜイギリスでは長編が多く、アメリカでは短編が隆盛したか。この辺りに惹かれて読み始めて、結局全部面白かった。

#7 『人生のちょっとした煩い』 / グレイス・ペイリー

短編集中読書運動の一環で10年ぶりに再読。
最初に読んだときの受けとめにくさが10年でどう変化しているかが楽しみだったが、最初の時と変わらない受け止めにくさ。スペードの器にハートの形の物を載せても入らないような受け止めにくさ。それがグレイス・ペイリーの文体、語り口が原因なのか、女性作家特有の不一致感に国民性の違いが輪をかけて、より受け止めにくくしているのか、その辺りは不明。でもブコウスキーの方が読みやすく感じるのは確か。原因はなんなんだろう。

#8 『リベラルアーツ 「遊び」を極めて賢者になる』 / 浦久俊彦

ネットによる情報氾濫で、かつて高かった「知識」の価値が下がり、その後にリベラルアーツの重要性が加速度的に高くなっているような気がして、このところリベラルアーツ関連の本を読むことが増えている中で本書を知り、読んでみた。
現代社会の中で捉えられる「遊び」という言葉のニュアンスとは違う捉え方の「遊び」をリベラルアーツの訳語的に捉えているとことは興味深かった。
「遊びをせんとや生まれけむ」の遊びとは何を指すのか。著者の捉え方もある部分で肯ける。

#9 『アメリカの61の風景』 / 長田 弘

詩人 長田弘のアメリカの旅のエッセイ。
インターステートを車で移動しながら目にした風景をエッセイにしているようで、高校生の時に片岡義男の小説から想像したアメリカを思い出したような気持ちになった。
かつてのアメリカにもその時々の問題があったのだろうけど、無味無臭、無機質な方向に向かっているような現代アメリカよりも、半世紀ほど前にあったであろうアメリカの方が、まだずっと魅力的に感じるのは、やはり片岡義男の刷り込み効果なんだろう、きっと。

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