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「ノート」に没頭するこの頃のこと

 まとまった時間も取れない毎日が続いているこの頃、日々の隙間を「ノート」で埋める習慣ができた。
 鍵カッコ付きであるのは、言うまでもなく現実のノートにペンで書き込んでいるからなのだが、これが単純にnoteと比べてもずっと心地いい。
 人の目に触れないという前提の大きさなのだろうが、まとめる必要もないのが良いようだ。

 頭に浮かんだことを浮かんだ順に書き留めているだけだから、記憶やイメージの外部保存と意味は同じなのだけれど、中途半端なまま、結論のないまま、断片以下の断片であっても「とりあえず」保管しておけるというのは都合も勝手も気分も良い。

 日々の中で大した達成度合いがなくても、細やかな面白さや興味を満足させる何かがあれば、毎日は機嫌良く過ごせるし、機嫌が良ければその1日はまあまあ上出来と思える程度のものにはなる。
 頭の中に浮かんでくる様々なことを抱え込むことなく、外に持ち出す行為はとても効果があるようだし、なによりいつどこで何の役に立つのか見当もつかないことであっても、物質的にページが文字で埋まっていくというのは、思った以上に満足感があるものなのだ。

 使うのはどこでも手に入る文庫本サイズ、A6のノートだけれど、どこでも手に入る代わりに何の芸も、愛嬌も素っ気もない無表情・無機質な表紙にはさすがにゲンナリしてしまうので、最近はノートのカバーを自分でこしらえて遊んでいる。
 今日などはノートのカバーに飽き足らず、ブロックの付箋を入れておくボックスまで作ってしまった。
 100均で買ってくる付箋のブロックにボックスなどいるはずもないのだけれど、こういう必要のないことに手を動かしているのもまた機嫌良く過ごす一助になるというわけだ。

 身の回りにあるものだけで作れるんじゃないかと、ふと閃いて、菓子の空き箱やティッシュボックスの空箱、トイレットペーパーの芯、使いかけのまま黄ばみ始めた半紙の余り、風呂場で読み終えてゴワゴワになったハードカバーの小説等々、「あとは捨てるだけ」というものばかりで拵えてみたけど、意外とできるものなんだなと他人の作ったもののように眺めている。
 思いつきだけで作り始めたこともあって、些末なところに雑さや不完全さが山ほどあって、それがまた良い。

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