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「緑化魔法」7.薄明(小説)

 未明の温室。揺り椅子に腰かけて目を閉じたエクリュは、月のような輝きを放つ角ばった石を握っている。
「エクリュは……どうして魔女になったのかとか、長生きなのかとか、そういうのを聞かれたら、嫌かな?」
 みどりの青の瞳を、エクリュの黄の瞳が見つめかえす。
「そうだな……心地よい話ではないが、隠すようなものでもない。ムーンストーンの加工にはまだ時間がかかる。暇をつぶす話くらいにはなるだろう」
「あ、その、嫌だったらぜんぜん……」
「問題ない、嫌ではない。どちらかというと、きみには聞いてほしいかもしれないな。ただ、幻滅するかもしれないが」
 怪訝な顔のみどりに、エクリュは自嘲するように微笑む。
「魔女になったのは、自分の国を守りたかったからだ。力が必要だった。ゆえに、素養があったこの道を選んだ。学びながら軍に所属した。敵対する周辺国は、ひとつやふたつではなかった。ゆえに守るため、たくさんの命を奪ってきた」
 エクリュの声に、震えはない。
「結果的に、ぼくの力は疎まれることになった。敵対国はもちろん、自分の国からも恐れられた。自分で言うのもおかしいが、強すぎたのかもしれないな。居場所をなくして逃げ続けることになった。ぼくを炙りだすために、無関係の人まで魔女として裁かれた。たくさんの人が、ぼくのせいで死んだ」
 ただ淡々と、自らの言葉を嚙みしめている。
「罪滅ぼしの方法はなかった。考えることに疲れても、死ぬことが許されなかった。この長寿は軍にいた頃、隣人の世界を壊したことへの罰だ。隣人……そうだな、きみたちの言葉でいうと、妖精と呼んだ方がわかりやすいかもしれんな」
「妖精って、実在するの」
「すると思えばするし、しないと思えばしない。四百年前には、あちらこちらにいた。丘の中の蟻塚に、湖の水面の裏に、彼方の常若の国に。彼らとの接触は、最近はずいぶんと少なくなったようだが、実際のところはわからない」
 温室では、ミモザの色の球体が浮遊している。みどりがここに来たときと同じように。
「ぼく以外の魔女もいたのだ。只人でありながら魔女を自称するものや、自らは否定しているのに魔女として扱われたものではなく、古くからの法を守り、人間と自然の境界上で存在を許される魔女がな。しかしぼくだけが、大切な約束を破った」
 みどりは、どんな事実からも目を逸らさないという決意をこめて、エクリュを見る。
「そのときのぼくは、隣接する敵対国への奇襲を目的として、仲間とともに行動していた。どうしても焼かねばならない場所に、隣人たちの蟻塚があった。隣人たちは警告をした。やめろ、やめてくれと」
 思い出すように目を細める。
「彼らの声が聞こえたのは、ぼくだけだ。だからぼくだけが裁かれた。仲間に説明したり、納得してもらう時間はなかった。ぼくは蟻塚を焼いた。彼らにとって、そこは特別な場所だったんだ。全身が痛んだ一瞬の後、怪我をすることができなくなった」
 星の終わりまで、生きよ。我らの家を奪った罪を、贖いつづけよ。
「十年経っても、二十年経っても、体が十代の頃から変化しなかった。耐えきれなくなったとき何回か『これなら死ぬだろう』という方法を試した。死ぬほどの苦痛を味わうだけで、体が滅びることはなかった」
 自分の両手を強く握り合わせて、みどりはエクリュを見ている。
「もし、蟻塚を焼かない方法を選ぶことができていたら。軍人になどならなかったら。魔法を学ばなければ。そもそも、生まれてこなければ。人の営みから外れて、そんな〝もしも〟を考え続けることが、きっと、ぼくへの罰なのだろう」
 よし、と呟いて、エクリュは立ち上がる。手の中の原石は、見事な丸みを帯びた宝石へと変わっていた。エクリュの瞳のような淡い黄色の光が、内側から湧き出て石そのものを包みこんでいる。
「じきに夜明けだ。手早く説明しておくよ」
 宝石には魔力がこめられていると、エクリュは言った。握って強く念じれば、ごく限定的に魔法を行使できるようになる。具体的で小規模な想像は魔力の消費を抑え、抽象的で大規模な想像は実現が難しい。籠められた魔力は大量ではなく、消えればただの石になる。
「できれば、使ってほしくない。お守りくらいの感覚でいてくれ。石を使えば使うほど見つかりやすくなるし、きみ自身の魔力も増える傾向にある。本当に必要なときにだけ、代替案がないときだけ、使ってくれ」
 声も出さずに泣いているみどりの手に触れたエクリュは、しっかりと、そしてやさしく、仄かに発光する石を握らせる。
「ムーンストーンは旅人の石だ」
 みどりの手の中の宝石は、すこしずつ凪へ向かう海のように、自らの輝きを落ちつかせて、発光をやめようとしている。
「きみがかつてのように、前後左右もない暗闇の中にいて、生きる道を見失ったとしても、きっと歩く道を照らしてくれる。そしてきみを疎んだり、利用しようとする人間から、大切なものを奪われそうになったときは、危険を遠ざける光になってくれるだろう」
 大きくのびをしたエクリュは、わざとらしいくらいに清々しく笑い、そして、ほそい踝までを覆い隠すローブを身につけた。
「きみの今後を考えると、これを渡すのが現状の最善策だった。あれだけの破壊活動をした後だ。彼らは恐らく、ぼくの有効利用よりも排除を優先するだろう。国外で何度か目撃されておけば、目線はそちらへ向くはずだ」
 涙をぬぐって滲んだ視界を晴らし、みどりは、手の中の石をじっと見つめる。
「エクリュは……これからどうするの?」
「そうだな……まずは、きみを森の外まで送り届けないとな。それから、温室の不可視の魔法を解く。あとはさっきも言ったとおり、国外でわざと見られておこうと思う。この国から遠ざかるようにね」
 エクリュが杖を振ると、どこからか巨大な旅行鞄が現れる。そして本やティーカップ、赤い石などが、自ら鞄へ飛びこんでいく。
「その後は、またどこかで温室をつくるよ。本を愛でながら、緑の中へ埋もれる生活へ戻ることになるね。だから」
 さびしげに、しかしきっぱりと言い切ったエクリュは、雪の色の髪をシニョンにまとめ、先の尖ったおおきな帽子をかぶった。
「きみとはここでお別れだ」
 夜の中にまぎれ、空に溶けるその色彩。人の中で生きることを諦め、星の中で生きることを選んだ魔女の意思。
「かけがえのない、心地よい時間をもらった。本当にありがとう。どうか息災で」
 みどりは、エクリュを無言で見つめている。山ほどある言いたいことを、どう言ったらいいのかわからない。言うべきではないのかも、わからない。
 エクリュが慈しむように微笑むと、温室を満たすミモザの色の光が、ふっと一斉に消えた。渡されたムーンストーンは、すでにその輝きを消失している。自分の指先すら見えない暗闇に、エクリュの声だけが響く。
「縁があればまた、と言いたいところだけれど、それは贅沢というものだろう。すでに、たくさんのものをもらった。ぼくにはもったいないくらいの、大切な感情を。だからぼくは、これだけでいい」
 みどりは睨むような、泣きそうな顔で、エクリュの顔があるはずの場所を見ている。
「最後に一言でいいから……きみの声を、聞かせてほしいかな」
 エクリュは、みどりの返事を待っている。
 みどりは、一緒に行くと言いたかった。命の長さも、魔法の有無も関係ない。素養があるというならエクリュのようになりたい。罪だというのならともに背負いたい。この星が終わるときまで、ふたりで生きることができるなら、すべてを捨てても構わないと思った。
 それでも、エクリュはそれを望んでいないと、みどりは思った。
「戦争がなくなるような世界なら、わたしたちは一緒にいられるかな」
「ああ、あの男に言ったことか。そうだな、そうかもしれないな」
「なら、いつか」
 みどりは、手の中の石を強く握った。無重力のような暗闇に、光が生まれる。
 エクリュの瞳と同じ黄の魔力に、みどりの瞳と同じ青の魔力が混じる。おおきく目を見開くエクリュの前で、ムーンストーンは淡い輝きを放ちはじめる。やがて、おおきなひとつの黄色の石は、ちいさなふたつの緑色の石へと生まれ変わった。
「戦争がない世界になるように、わたしはこっちで、がんばってみる。エクリュと一緒にいられるように。何ができるかなんてわからないし、何もできないかもしれない。でもいつか、そんな世界になるように、考えて、がんばってみる」
「やめておけ、無理なことだ」
 緑色の光の中で、エクリュは悲痛に顔を歪める。
「それは、この世でもっとも残酷な夢物語のひとつだ。美しい願いは呪いに転じ、極小の希望は巨大な絶望に塗りつぶされる。これは想像ではない。四百年の中で、きみと同じ夢を抱いたものが辿る道を、ぼくは知っている。きみが苦しむだけで終わる夢だ。どうか、そんな願いはもたないでくれ。ぼくのことなど忘れて、穏やかに生きてくれ」
「それこそ無理だよ。エクリュを忘れるなんて無理」
 緑色の石は、みどりの手の中で輝き続けている。
「それでもだ。きみは、自分が何を言っているのか、わかっていない。人類の歴史は戦争の歴史だ。戦争をなくすということは、人類を滅ぼすか、さもなくば人類を、人類とは別の種に変えると言うようなものなんだ」
 エクリュは、緑の光の中で苦しみ続けている。
「きみが生きているうちに、どうこうできる問題ではない。きみは、きみの夢を忘れずにいる限り、一生ずっと苦しむことになるんだ。ぼくはそんなことを望まない。そんなことを望んではいないんだ」
「それでもわたしは、望み続けたい。種を蒔くみたいに」
 驚いたエクリュは、戸惑いの瞳をみどりに向ける。みどりは、泣きながら笑っていた。
「エクリュは……ずっとわたしのことを、わたしの心のことを、心配してくれているから。ならきっと、あなたがわたしを大切にしてくれるように、わたしもあなたを大切にしたいということを、わかってくれるはず」
「ぼくは魔女で、人間ではない」
 エクリュは、緑の光が届かない場所へ遠ざかろうとする。
「だから、人の営みから外れても、生きることに支障はない」
「魔女でも、人間じゃないとしても、エクリュはエクリュだと思ってる」
 エクリュに近づいたみどりは、そのちいさな白い手をとる。
「わたしは、エクリュにもここにいてほしい。エクリュもわたしも、一緒にいられる世界で生きたい。世界の中心じゃなくていい。はしっこで、すみっこで、一緒にいたい人同士が、一緒に生きられるような世界。今は無理で、離れるしかないとしても」
 緑色の石をひとつ、エクリュの手に握らせる。
「旅人の石だっていうなら、エクリュにこそ持っていてほしいから。これを持っていればきっと、また会えるから。また会いたい約束は、贅沢なんかじゃない。また、きっといつか、そんな願いくらい、あっていい」
 しずかに立ち尽くすエクリュから手を離し、みどりは、自身の小指を差しだした。
「また、きっといつか、どこかで会う。これは、みどりとエクリュが定める、決して違うことを許されない約束」
 ふたつのムーンストーンの輝きが、消えようとしている。みどりは不安になる。光が消えたら、そこにエクリュがいるかどうかはわからなくなる。やがて朝が訪れたとき、そこにエクリュがいなかったとしても。
 約束のことを思うなら、今度こそ、逃げるわけにはいかないのだ。
 仄かな緑の光の中で、エクリュは帽子で顔を隠している。光が弱くなる。雪の色の髪も、淡い黄色の瞳も、見えなくなる。みどりは小指を差しだし続けている。エクリュの指が触れる感触はない。
 やがて、すべての光が消え去った。
 無重力のような暗闇の中で、みどりの小指が震えている。エクリュは魔女だ。音もなく消えたとしても、きっと自分にはわからない。でも、消えてほしくない。きっと、まだ、そこにいるはず。祈るように思う。
「きみは、愚か者だね」
 声とともに、小指にあたたかな指先が触れる。
「そしてぼくは、きみ以上の愚か者だ」
 その言葉とともに、ふたたび光が生まれ出でた。しっかりと繋ぎ合わされたふたりの小指から、眩いばかりの緑色の光が広がり、温室の隅から隅までを照らし、駆け抜けていく。みどりは、そしてエクリュも、同じことを考えている。
 まるで、夢のような光景だった。

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