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コロナ下のからだ、会うことの意味

からだのシューレさんが主催するオンラインイワークショップに参加します。タイトルが刺さりました。

【からだのシューレ コロナ下の〝からだ〟や〝会うこと〟の意味と価値を考える】

これこそが、私がまさにコロナ下で感じていたモヤモヤでした。出張治療と対面を一時休業、その代わりに提供していたもの。私は代替メニューにも自信と誇りがあります。でもモヤモヤしていた。ワークショップにはそのヒントがある気がしています。

私は現在、鍼灸マッサージ師として出張治療とセルフケア講座を開催しています。女性と子どもが対象で東洋医学を用いるので、妊活や産後の疲労、子育て中の心身の消耗等にも対応しています。

それがコロナ禍で大きく変わりました。まず3月下旬に出張治療を休業。同時にオンラインやメールを利用したサポートを開始。元々エネルギーワークの手法も併用していたので、いわゆる「怪しい」とされる部類の遠隔で心身を整えていくことも提供しました。

ちょっと話が逸れるのですが、私にとってエネルギーワークとは、からだを理解するツールにしかすぎません。そして東洋医学は「気」への理解が欠かせないので、存在を否定すると土台が崩れます。ですが、エネルギーワークは扱い方がとても難しいアイテムです。なぜなら有機体と無機体のどちらが優れているかを判断しているからです。そしてこれこそがまさにコロナ下で私が真剣に考えたことでした。

私にとってからだは、身体機能単独で構成されるものではありません。文化、生きている時代の社会意識、持って生まれた発達の凸凹具合や、愛情など、それこそ目に見えないものが大きく影響していると思います。

例えば私はここ最近、体調を崩しました。ある時、ちょっと歩いていただけなのに、急に息が苦しくなりました。そして胸痛が起きて、声もかすれて震えたのです。発熱やのどの痛みはなし。でも身体はすごく重い。

コロナでなければ風邪や気胸、咳喘息そして心身症を疑います。でも今はまず「コロナか否か」。仕事をキャンセルして一日半様子を見た後に、かかりつけ医を受診しました。

酸素飽和度正常。聴診正常。レントゲン正常(やや背骨が曲がっている)。よって心に負担がかかっていたのでは?と。現在受験生の母でして、思い当たる節しかない。連日よくわからない書類を書き、そして咳喘息用のステロイドを処方してもらい、翌日からは通常に戻りました。

目に見えないものが、身体に影響を及ぼす。今回も痛感したし、知識や技術としても理解しているけど。私には大きな大きなモヤモヤがあるのです。

じゃあ、目に見えないものを整えたら身体は変わるのか?
エネルギーワークの方が、身体を直接触る鍼灸マッサージより優れているのか?

私が学んできたエネルギーワークでは、エネルギー(無機体)が身体(有機体)より優れていると学びました。だから、心の在り方を整えよう。病の9割は心が原因だと。

理屈としてはすごく理解できるのですが、一方で今回対面以外でのサポートを行って、「身体にふれる」行為がどれほど私達人間に必要かも感じました。

からだって、他人にさわられる行為が心地よければ、その心地よさがきっかけになって、勝手に整い始めたりします。時には本音を出します。

オンラインでは自分でやるしかない。道具を使ったとしてもやはり限界があると思うのです。少なくとも私は、私が直接触れた時の変化をイメージできるので、その比較からもどかしさを感じました。

また、エネルギーワークは、理屈上は対面でも遠隔でも同じですが、、効果を実感できるかは、対面よりもはるかに相性に左右されると感じました。
その差を埋めるために、現状と対策、今後を文章化してメール送信するようにしました。そのメニューは対面ではほぼ希望されません。でもオンラインメニューではほぼすべての方がご利用になりました。これは無機体を意識と無意識に分けてつなげる行為なので、ちょっとややこしくなるので割愛します。

結論として、私は会えなくても、鍼灸師はできることはある。会えないことを嘆くより、出来る事を磨いていく方が健全だと思って活動しています。

でも一方で、会うと一瞬ですむことが、会わないと多くの工程やステップを踏まねば満たされないと実感もしています。さらに、今、一番ふれたいのは医療従事者の方、介護現場の方、学校の先生方です。感染拡大をおそれて、心身が追い込まれやすい方たちです。その方たちに関われないことが長期的に良いことなのか。という葛藤を抱えています。

明日のワークショップで自分の葛藤がどう変わるのか、楽しみにしています。


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