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本屋という仕事

概要

新型感染症の流行による行動制限や、インターネットショッピングの隆盛など、人が来店しなくなった時代に本屋を続ける意義とは何か。
「本屋は焚き火である」を合言葉に、書店員たちが本屋の仕事について語る。

人が影響を受けるのは「たった一冊」ではない

一冊の本を読んだだけで人生が一変するのならば、みんなそんなに苦労はしない。

三砂 慶明 編『本屋という仕事』(世界思想社、2022年)

本書に寄稿している書店員のひとりである田尻久子氏は、自らの営む『橙書店』や『喫茶店オレンジ』に、いわゆる「自己啓発書」を置かない。
読むだけで人生成功するという売り文句にうさんくささを感じてしまう、としつつ、人が影響を受けるのはたった一冊ではなく、読んできた一冊一冊すべて(たとえ気に入らない作品であったとしても)だ、と語る。

どんな本を読むか

総勢18人の書店員たちが思い思いに自らの「書店観」を綴る本書の中でも、この一行はひときわ珠玉だ。
大人の読書はどうしても実用的な側面が強調されがちで、読んで"即"仕事や人間関係を円滑にしてくれる(とされている)作品が「良書」として称えられるのをよく目にする。
個人的にも読書にそういった効能を求めて「自己啓発書」を読み漁った経験がある。だがそんな付け焼き刃のテクニックで実生活が上手くいったことがあるかと問われれば、思い出せる限り、ない。
結局、様々な人々が様々な考えを持って混ざり合いながら生きている社会において、重要なのは「単一の視点から他者をコントロールしようという思考」ではなく「多様な他者の視点に立てること」なのであろう。
(たとえ気に入らなかったとしても)たくさんの本(=他者の視点)に触れることに意味はある。

書店に行くことは「無駄」なのか

読みたい本はインターネットですぐに注文できる時代ではあるが、そこであえて書店に足を運ぶことも、他者の視点に触れるひとつの機会ではないかと思う。
書店員たちがどの本をどう陳列するか意匠を凝らすことを「棚づくり」と言う。
本書の中でも書店員たちの多くがこの「棚づくり」に関して持論を展開しているが、そのそれぞれに並々ならぬ思い入れと矜持が垣間見える。
そしてこの「棚づくり」を目の当たりにすることこそが、この現代において書店に赴く最大の醍醐味ではないかと思うわけだ。
歴戦の読者である書店員たち1人ひとりがその本を読んでどう感じたか、また過去に各々が読んだどのような本と共通点/相違点を感じたのか、ここにもまさに「他者の視点」のヒントがある。
インターネット書店の即時性や利便性とは、目指している方向が違う。

他者の視点に立つために

昨今凄まじい勢いで拡大を見せる動画サイトや各種サブスクリプションサービスでは、AIがユーザーの好みを自動で識別し、次から次へとおすすめを投げかけてくる。
これも実際面白いのだが、結局「自分の好み」という非常に狭いフィールドをぐるぐる回遊させられているだけでもあり、新しい世界への扉が開く感じに乏しい。
言うなれば、自分「だけ」の世界で生活を完結させることがどんどん容易になってきている。
しかしそんな時代だからこそ、他者の視点を得られる機会は貴重だ。
他者の著作に触れるだけでなく、それを第三の他者がどう解釈しているか知るという意味でも、本屋の存在意義はある。
書を捨てずに、街に出よう。

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