体育と「少ないちゃんルール」
以前の記事に書いた通り、私がITPと診断されたのは小学3年生、8歳の時でした。
私は足も速く、球技も器械体操も人並みにこなせる、運動&外遊び大好きっ子でした。
子供会のフットベースボール部にも小2の頃から在籍していました。
が、ITPと診断されてからは主治医によって、数値に応じて段階的に次のように判断が下されるようになりました。
・体育&外遊び全面禁止
・球技のみ禁止
・自由に運動ができる
もちろん小学校在学中のうち、一番下の選択肢になることはほとんどありませんでした。
一番上の全面禁止もそこまで多くはなく、「球技のみ禁止」という時期が一番長かったと思います。
そんなわけで、フット部は強制退部。
当時の私の「体育教師になる」という夢も実質潰えました。
体育は見学の日が多くなりました。
みんなが嫌がるマラソンの授業を見学していた時は、同級生には相当羨まれていたと思います。
それでも球技以外はOKの時期が多かったので、当時体育を教わっていた先生に走り幅跳びの才能を見出されたりもしたのですが、それはまた別の時に書こうと思います。
外遊びはクラス全員、男女別、班ごと、と曜日ごとに昼休みに遊ぶグループが決められていて、その日は全員外で遊ぶルールでした。
クラスメイトたちは私も一緒に遊べるように色々考えてくれました。
外遊び禁止の時は審判として参加。
球技禁止の時は大縄跳びやリレーなど、私も参加できる遊びに。
そしてやがて、ドッジボールに「少ないちゃんルール」ができました。
きっかけは、高学年になると夏休みに女子はドッジボールの試合があったことだったと思います。
小6の夏、みんなと一緒に思い出を作りたいという私のために、主治医や教師や親が話し合って決めてくれたのか、詳しいことは忘れました。
そのルールというのはドッジボールに私が参加する時は外野限定、私が外野から相手チームの内野にボールをぶつけた時は私のチームの別の外野の子が内野に入れる、というもの。
これなら球技が禁止でもギリギリ参加できるというルールでした。
夏休みが明けても、このルールなら昼休みにドッジボールを楽しむことができました。
そして小6の3学期、数値が5万以上に安定してきたため、初めて「自由に運動ができる」が適用されました。
私は中学受験をしたので一人だけみんなと進路が違ってしまうため、思う存分球技を楽しみました。
一番の記憶は、卒業式前日の昼休みに、クラス全員で男子対女子に分かれてドッジボールをしたことです。
私は内野で、腐れ縁の男子の投げたボールを思いっ切り受け止めました。
周りの誰かが「さすが幼馴染!」とはやし立てていました。
中学以降は数値が増え、一応寛解となったため、運動が制限されることはありませんでした。
けれど、一番遊びたい盛りの小学生の頃に運動を制限されたのは本当につらかったです。
だからどうすればいいとかは私には言えませんが、もし小学生くらいでITPと診断され運動を制限されているお子さんがいる親御さんには、メンタル面でのサポートやストレス発散方法を考えてあげるなどしてあげてほしいなと思っています。