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ふるさとキャンパス〜もうひとつのキャンパスライフin福島 vol.2&3

ふるさとキャンパスで福島県双葉郡楢葉町に来てもう3週間が経過しました!来たときは思ったよりぬくいからパーカーで過ごせてたけど、さすがに12月にもなるとアウターが必要になってきました。福島は東北でも南部やし、楢葉は沿岸部の浜通りやからそんなに寒くはないらしい。海辺の方が風に当たって寒いイメージあったからダウン持ってきたけど、このままやったただめっちゃ嵩張る荷物持ってきただけになってまいそう😢 期間中は週1でnoteを書く予定がさっそく先週サボってもうたんで、今回は2・3週目の内容をまとめます。


見えてきた双葉郡で暮らす子どもの暮らし

2週目は毎日誰かとの出会いがありました。2週目からは積極的に人に会いに行くことができるようになったので、ネットや地域の人からの情報で楢葉付近の面白そうな人にアポを取り話を聞きに行くということをやり始めました。その中で最も印象的だったのが、子どもが集まれる学校でも家でもない場所、いわゆるサードプレイスを作っているお二人の話です。一人は広野で生まれ育ち広野愛に溢れる方やけど、今広野で育っている多くの子どもたちが成長したときに郷土愛を持てないのではないかと懸念していました。双葉郡の学校は震災の影響によりバス通学になっており、授業が終わると寄り道もすることなくすぐに家に帰り、トラックの交通量が多いためあんまり外で遊ばせてもらえないらしい。そうなると子どもたちは家でゲームをするしか無くなる。同じような不安感を富岡で活動している方も抱いていました。放課後に友達と遊ぶことなく地域の人と触れ合うことのないまま成長すると、この地域で育って良かったとは思えない、つまり愛着を持てないとおっしゃっていました。僕は地元大阪の高槻が好きで将来帰りたいと思っています。今思い返してみると、放課後は毎日友達と遊んでいたし地域の人に遊んでもらったり怒られたりしてとても楽しかった。自分にとってはこんな当たり前だったことが、できない状況だということに衝撃を受けました。

メディアには映らない帰還者の思い

3週目の半ばで福祉事業をやっている方に話を聞きました。その方はメディアにも取り上げられている方で、そこで街に対する熱い思いを語っており僕はそれを見て連絡しました。実際にお会いするとメディアの前では話さない本音の部分を聞かせてくれました。5年前に楢葉は居住できるようになり、少しずつ人が戻ってきてるけど、双葉郡は人が住むとこじゃないと言っていました。双葉郡はいつ危険に見舞われるかわからないという不安・恐怖と隣り合わせ。そんな地域にわざわざ戻ってくる人でも少しはそういう気持ちを抱いている。でも時間と共にその感覚を麻痺させてるだけだとおっしゃていました。たしかに今まで出会った人たちも含め、とても前向きな人の話しか聞かなかったので、そういうところには気がつきませんでした。


最終週に向けて

楢葉生活もとうとうあと1週間というところまで来ました。ここにきて楢葉で子どもが集まれるサッカースクールか子ども食堂かを作りたいと考えました。あと1週間ではどうしても無理なので、これが終わってもまたここに来たいです。

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